19.Jake

スカッドの言葉のひとつひとつが、ジェイクの心にまるで柔らかな花弁のように降り落ちてくる。そしてその場所から微かな痛みと、温かな何かが広がっていくのがわかる。
泣いているスカッドを見詰め、そのグレイがかったブルーアイズ以上に美しいものなど見たことがないと、何度目かにして思い。そこから零れ落ちる涙はもう止めようとは思わなかった。
握り緊められている片手でスカッドの手を握り返し。空いている手で、それでも頬に触れて濡れてひんやりとした跡を辿る。

喉元にまで柔らかくて温かい何かが競り上がっている。それを言葉に置き換えてみたかったけれど、正しい言葉が見付からずに、堪えきれずにジェイクはそうっとスカッドの唇を啄ばんでみた。
冷たいけれど、柔らかな唇―――――とくん、と心臓が鳴ったような気がした。
もっと触れてみたくなるのを抑えて、目の前で大きく目が見開かれたのを覗き込む。
けれどそこに拒絶がないのを知ってジェイクはそうっと息を零した。

「もっと前に、オマエと向き合ってればよかったんだ」
言っても仕方がないことだと解っても、それでもジェイクはそう言わずにはいられない。
もっと前に、オマエがまだヒトだった頃に、ちゃんとオレがオマエと向き合っていればよかったのだ、と後悔する。
スカッドが自分に向けてくれている感情は、昔とまったく変わっていなかった。朗らかさが為りを秘めた分だけ激しさを纏ったように思えるけれども、ジェイクだけを想ってくれていることになにひとつ変わりはなく。
だから、その気持ちをずっと向けられていたにも関わらず、逃げ続けた自分だけに責があるのだ、と痛い程に思う。

「オマエをヒトのままにしておいてやれなかったのは、オレの不手際だ」
スカッドを“失って”から、もう何度も何度も思ったこと――――――ミナウに告げられるまで、その可能性をまるで考えてもいなかった愚かさに、何度自分を責めたか解らなかった。ジェイクを想ってくれるヒトを狙うのは、敵からすれば常套手段以外のなにものでもないのだから。

ちがう、と小さく首を横に振ったスカッドの揺れるソフトグレイがかったブルゥアイズを見詰めて、ジェイクは言葉を継ぐ。
「でも、それでも」
微笑んで、繋がれた手に力を込める。
「オマエの手を、離したくない」
触れて冷たいけれども、それも気にならない。ただもっと温もりを与えたいと、それだけを思う―――――ヒト在らざるモノの体温。けれど、ヒトの温もりをジェイクは知らないから、ただその冷たさが切なくなるだけだ。

「本当は、どうしなきゃいけないのか解ってる」
だけど、と言葉を継ぎながら、真っ直ぐにスカッドを見詰める。
「だけど、オマエがいなくなるのは、嫌なんだ」
そんなことを言われても困るかもしれないけれど、それが偽らざるジェイクの本音だった。
“スカッドを、失いたくない。”
他に、自分の気持ちをどうにも言い表せなくて、ジェイクは困って小さく笑った。だから、言葉を捜す代わりに大切なヒトの名前を呼ぶ。
「スカッド」

見詰める中、スカッドの目の中に沢山の感情と迷いが渦巻いているのが解って、ジェイクはそうっと告げる。
「カミサマに、オマエを還したくない」
これ以上困らせたくなくて、けれど一度溢れた本音は止められそうになかった。
手を滑らせて、スカッドの小さな後頭部を掌で包み込んで引き寄せ、首元に泣いている顔を抱きこんだ。
く、と身体が強張るのが哀しくて、濃いブルネットに鼻先を潜り込ませた。
吸血鬼の“本能”に抗おうとしているのが解って、それでもいいんだ、と不意に理解する。
スカッドを還してやれないのはジェイク一人の我が侭なのだから、それならば、と決意する。

「悪魔のためにも、神のためにも、オレは渡らない。オマエのためだけだ」
原因がどうでも。
過程がどうでも。
ジェイクは、スカッドと在るためだったら―――――堕ちても構わない。
「I will only cross over for you」
悪魔に為っても、それがスカッドと在るために支払わなければいけない代償だというのならば、構わなかった。
それだけ、スカッドというヒトだけを、自分は求めていた。今なら解る、どれだけこの腕の中のヒトが、自分にとってかけがえのないものなのかが。

「ジェイ、…ジェイ、だめだよ、」
喉奥で唸るようにし、必死に言い募ってくるスカッドの額に額を押し当て、泣き濡れた顔を上げさせる。
ジェイ、と哀しげにジブンを呼ぶヒトにもう哀しんでほしくなくて、ジェイクは懇願するような声を押しとめるように唇を半ば強引に合わせた。
尖った牙が薄い表層を裂き、そこからじわりと血が溢れ出し。びくりとその匂いに敏感に反応し身体を硬くさせたスカッドを強く抱き締めて、痛みを訴えるのに構わずに噛み付くように啄ばんだ。

ぬる、と血がスカッドの唇を濡らし。強い性欲に同等するだけの“餓え”を呼び起こされ、スカッドが眉根を寄せて空気を求めるかのように喘いだ。
もっと欲してほしくてジェイクは舌で傷を拭い、自らの血を開いたままのスカッドの口中に運んだ。
そのまま、とろ、と竦んだ舌先に絡めて、蒼がゆら、と色味を変えるのを間近で見詰めた。
くう、とそれでも堪えるように顔を歪めたスカッドから目が離せなくなる。

口蓋をてろりと舐め上げ、目を細め。酷い餓えがスカッドを苛み、何度も吸血本能を呼び起こされそうになっているのを見据え、それでもまだ唇が触れ合う距離を保ったまま囁く。
「食ってないんだろ?」
こく、と息を呑んだスカッドに告げる。
「なら、オレで満たされてくれ」
ゆら、とまた揺らいだ双眸を見詰めて、ジェイクはただそれだけを願う。
――――――なあ、スカッド。オマエの中の空虚を、できることならオレで満たしてくれ。餓えも、空ろもなにもかも、ただ“オレ”だけで。



20. Scud

感じたことのないほどの深い喜悦にスカッドが震える息を零した。触れ合うことだけで漣のように全身に拡がっていた重い痺れが、深く口付けることで劣情に変わっていき、そして僅かな血の一滴、それだけで全身が軋むほど渇いていく。
ただその熱さだけで飢えを満たしたいと本能が呻き、歯噛みするかと思う。細胞のヒトツヒトツさえもが、捻じ切れていきそうな餓え。
触れ合うほどの唇が、恋しい、そして―――

満たされてくれ、と。どこまでも優しい声が告げてきた。

ジェイ、と不意に抱きしめたくなった。変わり果てた自分をそこまで想ってくれるだけで、もう十分だ、と。刹那、あれほどまでに苛まれていた渇望がすぅ、と遠くなる。

乾ききることのない、涙交じりの笑みを、知らずにスカッドは浮かべていた。ジェイクの優しさと、それを受けるだけの価値のない自分に。
「……ほんとに、空腹なら―――あんたと話なんて、できねぇんだよ、」
ひどく静かにスカッドが呟いた。
誰よりも望むひとの姿を、その温かな身体を前にして話しなど。とてもできるはずも無かった。恋情と絡まりあった本能に、抗えるはずもないのだから。だから、この城に向かう途中で……
「あんたの守るはずの、神の子……おれ、喰い殺して―――あんたに……」
後悔と、押さえ切れない思慕とでスカッドの声が甘く掠れていった。
「ジェイ、」
許しを請うように、ただ一人の名を呼ぶ。
許して欲しいとは言えない、ただ、そうまでして、あんたにあいたかったんだ……
言葉を続けられずにスカッドが僅かに目を伏せ、びくり、と視線を跳ね上げた。そしてジェイクから齎された言葉に目を見開き、苦しげに表情を歪ませた。

「オレは、総てのヒトをオマエひとりと引き換える」
その声に、鼓動の絶えた胸奥が軋んだ。
「オマエがオレの渇きを潤してくれた、だから…オマエを一度でもいい、満たすものがオレで在りたい」
ただヒトツの言葉以外、スカッドの内から全て消え去っていった。
「ジェイ、」
間近に在る蒼を見つめ、くぅ、と唇を噛み。それでも、離れていくことはもう出来なかった。頬に頬を寄せるようにし、重ねていた右手を握り締めていた。
求められ、たとえ僅かなあいだでも、こうして存在を許されたことに強張っていた身体が蕩け落ちそうに感じられ。絶えず揺らいでいたような飢えは、ただ熱い感情にその姿を変えていき。スカッドが短く息を零した。

「スカッド、」
ジェイクの落とした声が耳に届く。
「他の誰でもない、オマエにやりたいんだ。オレにやれるのは、オレ自身しかないから」
もう十分だ、と形無く内を満たしていた想いが模られた。
何年もの間、自問し続けていた答えが見つかったと思った。呪われた身になっても自死できなかった理由も、忌むべきものたちに組み敷かれ齎される喜悦に涙し、初めて奥深く刺し貫かれたときさえも、死を選ばなかった理由が。
ジェイク、とスカッドが囁いた。

「抱いてくれよ、おれのこと埋めてくれよ……」
耳元に唇を寄せ。エルダーたちでさえ、その抗い難いこと密かに愉しんだ声が囁いた。
「で、そンときにおれのこと殺してくれたらイイ、」
それが、自分の在ることを願ってくれる相手に対して、どれだけ惨い願いであるのかも十分に知りながら。それでも、ジェイクを暗がりに引き込むことだけは、したくなかったから。
「ジェイ、おねがいだから、」
ジェイクの身体が、一瞬の間、強張るのを感じ、スカッドが一層手に力を込めた。
「……わかった」
応えに、とろりとスカッドが微笑をうかべた。
柔らかく髪を撫でられ、その笑みがひときわ蕩け落ちそうに甘くなる。唇で味わった甘やかな滴が引き起こした感情をもう抑えることはせずに。
ブルネットを何度も掌に滑らせながら、ジェイクは小さく俯き、微笑んだ。
「……いいよ、スカッド。オレをやるから」
どちらからともなく唇が触れ合い、それがすぐに深くなり。短い喘ぎがやがて混ざっていき、ジェイ、と吐息に溶け合った声が漏れていった。

劣情に振り切れそうなアタマが、それでも此処がどこであるのかを告げてくる。同族の殺戮のあった場所、その灰の上で身体を繋ぐのか、と。
甘く唇を噛み、舌で弄り。半ば引き起こすように抱き合ったまま後ろ手に扉を開ける。何処でも良かった、その場所が陽の光から遮られてさえいれば。そしてこの城の殆どの居室は、厚い壁に囲まれ窓など作られていないことも知っていた。

扉を開け、時代を経てきた寝台に縺れるように倒れこみ。
身体の下にヒトの体温を感じ微笑もうとしたとき、ひく、とスカッドが肩を揺らした。そしてジェイクの双眸を見つめ、く、と笑みを刻もうとした。
ヒトならぬモノの鋭敏な感覚が、部屋の持つ記憶を読み取り、そして。ジェイ、とスカッドが自身からシャツを剥ぎ取りながら、熱を取り戻したように赤く濡れた唇を引きゆがめた。
コドモのように素直な表情を浮かべ、まっすぐにスカッドを見上げながら、さら、とジェイクがスカッドの頬を撫でていった。

「……ここ、ミナウの部屋だ、」
何時ともしれない時の狭間に、確かに“マスタァ”の在った痕跡を“チャイルド”だけが感じ取っていた。
「オマエを一人にさせた。けど、もう一人にはさせないから」
ふ、と微笑んだジェイクの掌に直に背中を撫でられ、スカッドが短く息を零した。その声に、微かに潜められていた想いを感じ取り、いいんだ、と呟く。おれがオーファンになったのは、なにもあんたの所為だなんて、思ったこと一度もないんだから、と。
そして、そうっとジェイクの頬へ唇で触れた。
ちら、と酷く優しい顔で微笑むジェイクを間近で捉え、スカッドがくすん、と小さくわらった。
ヒトの血でイノチを購っても、仮初の温かさを纏っても―――

「ごめんね、もう冷たくなってきてら―――」
自身の四肢がもう冷えてきていることを自覚する。ヒトの体感にとっては、石や鋼に触れるほどには冷たいはずの……
「それでも、オマエはあったかいよ」
ジェイクが笑みを返した。過去に腕に抱いた悪魔は、どれも冷たかったから。さらさらと掌でスカッドの背中を辿り、酷く滑らかなその手触りに、ふわりと微笑んだ。
頬から首筋までそうっと唇を滑らせ、うっとりとした声でスカッドが囁く。あんたは、熱い、と。その熱さが、何よりも誰と共にいま在るのかを告げてくる。
くう、とジェイクが笑みを刻み、言葉にした。
「もっとくっ付いて、オマエも熱くなっちまえ」
からかうような誘いに、スカッドが初めて、そうっとジェイクの首筋に口付けた。とくん、と。その薄い皮膚の下を流れる血、それを運ぶ鼓動を感じ。背骨の奥から、震えた。そのまま牙を立てたくなる誘惑を、舌で肌を擽ることで辛うじて押さえ込み。く、と鼻先を首元に埋めるようにし、柔らかく肌を吸い上げる。その間にも、するりと手を柔らかな生地の下に滑り込ませ、その冷たさに端整に容どられた半身がひくりと反応するのを感じ取り。
「ジェイ、」
そう嘆声めいて吐息に名を混ぜ込む。

「あんたに触れたかった、」
告白するように言葉にすれば。
「みんな、やるよ」
ふ、とジェイクが笑みを浮かべる。
「―――うん、」
する、と柔らく唇をすり合わせ、消え入りそうな声で応え。そのまま、唇をずらせていった。首筋、喉元、その線の作り出す陰影をヒトツひとつ辿りながら、残された小さな傷のヒトツひとつに触れながら。伸ばした手はブラックデニムの前を寛げていき、唇は半身を辿りおりていく。小さく反応の返される箇所をやんわりと吸い上げ、舌で舐めあげ。そうする間にも、肩や背を絶えず柔らかに触れられ、息が甘く零れ競りあがるようで。
唇で中心まで辿りおり、とろりと濡れた蒼がジェイクにあわせられた。
ふ、と抑えていた衝動がぐらりと内で沸騰するかと思う。渇き、そして……

「ジェイ、」
声が酷く掠れていた。欲情しきったソレ。
眩暈がする、とスカッドが目を細めた。手指でそうっとその容を辿り、その熱さに指先が焼けるかと思い。手指で触れ、知らずに息が漏れた。生命を植えつけるもの、それが熱く脈動するのを感じ、耐え切れずに舌を伸ばし先端に触れ。ぞくり、と身体の奥深くが重い痺れが拡がる。
緩く唇に含み、柔らかく吸い上げ、舌を絡め……手指を添え。咥内でその熱が脈打った、その熱が舌を押し上げたのを感じ。ふつ、とスカッドの視界が白くなった。抗い難いほどの渇き、それに全身が覆われたかと思い、気が付けば貪るように中心に顔を押し付けていた。

熱を奥まで含み、その僅かな震えさえくまなく捕らえ唇で、舌で、濡れた咥内全てで高め、啜り上げ。漏れ聞こえる荒い息に歓喜し、指に髪を掬い上げられて熱を一層深くまで含み、舌を絡みつかせる。
狂信者めいて求める、その僅かな滴でさえも一滴たりとも残さずに。
強請るように押し上げ、唇に含み揉みしだき。手指で縋る、流れ込む感覚が同じだけ高まっているのに一層強請るようにその先を求め。
そして、舌に、喉に熱く迸るものに震えた。喉を鳴らし、舌を閃かせ貪婪に絡みつかせ。熱の上がったジェイクの身体が跳ねるように快楽を隠さずにいるのに夢中で舌を這わせ。
滴さえ残さずに舐め取り、ようやくスカッドが甘く、長い息を吐いていた。上げた視線の先、ジェイクが乾いた唇を舌で辿るのを見つけ、ずくり、と腰奥が重くなる。

「ジェイ、」
欲情に濡れた声がスカッドから漏れた。そして、熱い舌が、ジェイクの腿を内側深くまで舐め上げていった。




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