Lento
こんな寒い日に屋外ライヴなんて馬鹿みたいだ、と思っていた筈なのに。珍しくどんよりじゃあなくって真っ赤に染まった空に最後のオトが消えていくのを耳にするのはキモチがヨカッタ。ソラにラストノートが吸い込まれていくのを目で追いかける。
そしてギターの音が歓声に呑まれていって。けれどアンコールの要望には応えられなくって。喋りの早い進行係のヤツが、歓声に無理矢理割り込むようにもう次のバンドの紹介を始めていた―――――中途半端にイったファックみたいで、気分が削がれる。
トッドは最後にマイクをディックを擦るみたいに撫でてから、さっきまでソラと繋がっていると思っていたステージを後にした。自分じゃない誰かがMCを始める音に意識を閉ざした。
袖に姉のカーラがいて、くしゃ、と笑っていた。キレイにネールの整えられた手が伸ばされて、さらりと頬に触れていった。
「ベイビィちゃん、少しは楽しかった?」
少しだけ笑っているようなカーラの声に、トッドはぽつりと返す。
「ヒトリがいい」
「ヒトリ?」
「まだ全然タリナイ。中途半端」
ふわ、とまたカーラが笑った。さら、と掌が頬を撫でていく感触に目を瞑る。優しく甘い香水の匂いが心地よかった。
「それって楽しかったからなんじゃないの?」
笑うように告げて目を覗きこんでくるカーラに、トッドは眉根を、きゅ、と止せ。
「イけそうでイけなかった」
ぶす、と頬を膨らませてそうカーラに訴えれば。最後にステージを引き上げてきたドラムスが、こつん、と頭を小突いた。む、と振り返る。
「だからってまた手当たり次第に適当なところでオンナに咥え込ませてンなよ」
小言めいた言葉をヤツから聞くのはこれが初めてじゃない。売れ出してきたから余計、“不祥事”ってヤツを気にするようになったみたいだった。バンド、The Color Green、ヴォーカルのトッド・スパロゥ、淫行で逮捕―――――ぱ、と。一瞬チープな見出しのイメージが頭の中で躍った。あまりに安易なイメージに、唇を尖らせる。
「両腕がクリーンなコとしかヤんないし」
さっさと遠ざかっていく背中にぼそっと告げれば、カーラが頭をなでなで、ってしてくれた。少しだけ気分が浮上して、目を細めた。
「いいコで遊んでいらっしゃい。明日にはここを出て、次のフェスに顔出すから」
迷子になったりはしないで。トラブルに巻き込まれないでね?と頬にキスをくれたカーラに、ん、と頷きを返し、バックステージからそのまま真っ直ぐに裏口から出て行く。
歌うことしか出来ない“トッド・スパロゥ”は、バンド全体の明日の予定だとか移動スケジュールだとかを決める立場に無い。そういう面倒なことは全部カーラと他のメンバーに任せっぱなしだ。それがいいことかどうかはトッドには解らなかったけれども、少なくとも自分さえそこにいなければ物事は結構すんなりと決まっていく、ということはいい加減に学習していた。
バンドというものが誰のものであって、誰のためのものか、ということを一度だけぼんやりと考えたことがあったけれども、トッド自身に必要だったのはとにかく自分のウタを歌える場所であり。その願いさえ叶っていれば、バンド自体のリーダーでなくても全然構わなかった。グルーピーがバンドにとって有り難い“なんでもいうことを聞いてくれる素敵な暇つぶし”であり必要とされているのと同じくらいの価値しか自分に価値がないとトッドは思っていた。つまりは“声でオトを歌わせることのできるパーツ”。
楽器ならば演奏が終われば練習の時まで放って置かれる。ドラムのようにレンタルで代用が利くものじゃなくてよかった、と。それだけは思うけれども―――――結局自分がこのバンド、このメンバーの中の一員である必然性はまるっきり感じていなかった。
使い慣れ親しんだ大事な楽器―――――実際に音を出す楽器とそれらを慣らすメンバーが固定される必要はまるっきりなく。もしカーラがいなければThe Color Greenはとっくに消滅し、今頃自分は青空の下でただオトだけを歌って生きていただろうと思う。
メンバーのことは好きだったし、彼らが自分のために作ってくれる音は居心地がよかったけれども。ステージを降りてしまってリハもレコーディングもしていない時には、顔を合わせたくなかった。オト作りの時には話すことはあるけれども、その他の時に喋ることなんかなんにもない。連中のプライヴェートには関心がなかったし、連中もトッドのプライヴェートには関心がないだろう。だから “あんまりヤンチャすんなよ”とただそれだけを繰り返しパターンを変えて言われる。
ヤンチャってどういうことを言うんだろう、と。バンド関係者以外の立ち入りをチェックしている連中の側を通り抜けながら考える。入り込む連中のチェックには異様に厳しい彼らは、なぜか出て行く連中には視線を飛ばすだけだ。ヤツらはきっとバンドなんか好きじゃないんだろう、視線が退屈だ、と訴えていた。出待ちをしているファンたちを、最早好奇心も薄れた目で牽制しているだけだ。雰囲気は言ってみれば年老いた牧羊犬……果たして狼はどちらなんだろう?そう考えてトッドは薄く笑った。
狼と子羊ちゃん。アーティストたちは悪い狼で、集うグルーピーを食い物にしている、と言われるけれども。トッドにしてみれば、カノジョたちがアーティストを集団で狩りに来ているようなもんだろうと思う。ノーガードで出て行けば、あっという間に裸に剥かれてむしゃぶりつかれる。狼はいつだって可哀想なのだ。子羊の皮を被った狼より肉食な何かに最終的には喰われちまうものなのだ。7匹の子ヤギのハナシでだって、赤頭巾チャンでだって、狼は最後に喰われてしまった―――――狼とはそういうもの。だからトッドにしてみれば同じ喰われるのだったら自分が楽な喰われ方をしたかった。面倒臭い感情抜きに、スルことだけスル。
そのスタンスがいいのか悪いのかはどうでもいい、ただそういう風に割り切っておけば、グルーピーたちも割り切ってくれた―――――自分たちはトッドを喰うことができるけれども、トッドはシリアスにはならない。誰がトッドとセックスをしようとそこに“特別”はない、と。
トッドにしてみればグルーピーとファックするのは、腹が空いたらメシを食うのと一緒だし。ついでに言えばドラッグは痕になるようなモノもしない。後遺症が残るとウワサされているヘヴィなものは問題外だ――――だから、精々ハッパ程度。時々セックス系。軽いスナックに塗すスパイスのようなもの。
タバコは吸うけれども、咽喉に突っかかるからそんなに本数は吸わないし。アルコールも浴びるようには飲まない――――奢られでもしない限り。
ケンカは好きだったけど、カーラが口をきいてくれなくなるから、あまり殴り合いはしないようにしていた。馬鹿みたいな理由で警察署に連行されたトッドをカーラが迎えに来るたびにカノジョの溜め息が深くなっていたから―――――トッド、ベイビィちゃん、保釈費用ってモノがかかるって知ってる?そう目が言ってきていたのに気付いてしまったし。
それにそもそも、あまりカーラの居る場所から遠くにはいかない。
いけない、と言うのが正しいのかもしれない。
なにしろ、カーラに見捨てられたらそれこそ自分は帰る場所を見失う。息をすることも忘れてしまうかもしれない。トッドはカーラがいるからこそこうやっていまこの場所で生きていられるわけで――――――そして唐突に、ウタを歌ったまま死ねたらいいのに、と思う。
息を吸う代わりに、歌をオトにする。最後の息を吐き出す代わりに、最後のオトをウタにする。それが何色か解らないけれども暗くなりつつあるだろう視界の中でソラに帰っていくのを見詰めながら死ぬ。物凄いエクスタシィに違いない。そうすればどんな風に死んだって、そこには恍惚感がある筈だ。ラストノート、ファイナル・ソング、ゆっくりと搾り出して……じわりと、自分の中で熱が渦巻いた。
自分達の後にステージに上がった別の誰かのオトが、まだ自分の中に残っていたオトを包囲して殴り殺していく。
歌い足りなくて、身体の奥底でオトが燻っている。まるで中途半端に煽られて、でもありつけないでファックも出来ずに放置されたみたいに体が熱い。
耳から入ってくるオトを追い出して、アー、とオトを出してみる。内側にあるオトがふわりと浮いてソラに出て行った、けれどそんなモノじゃちっとも誤魔化せないくらいに内側にオトが渦巻いては溢れ出してくる。
街角に立って時間とセックスを買ってくれるのを待っているフッカーみたいに、どこかに立って歌わせてくれる相手を募ってみようか、と思う。
想像がおかしくて少し笑って、自分の内側を探って何が欲しいのかを考えてみた。
そして、ちら、と。長い亜麻色の髪と白黒のワンピースが視界の端を通ったような気がして顎を上げた。
笑ってトッドにバイバイ、と言ったあのコを、不思議と恨む気にはならなかった。
長い髪の、喋るときは一気に洪水みたいに喋ってたあのコ。ずっと自分を追いかけてきていたのに、ブラウン大に行くから、と自分を捨てていったオンナノコ。
ウタを歌う以外にはファックするぐらいしか脳のない自分を、あの頭のいい馬鹿なコがいつまでもそう付き合っていられるわけもないと最初から解っていたし。グルーピーなんてそもそもそんなモノだ。一過性の高熱。平常心を取り戻せば、いなくなるモノ。グルーピーの恩恵に与る狼の立場からすれば、選り取り見取りの手頃なスナックな子羊ちゃん。
なのになんでオレはあのコを探してるんだろう、と溜め息を吐く――――――別にカノジョが恋しいわけじゃない。たとえあのコが自分を“The Color Greenのトッド”としてよりカンペキな何かにしてくれる力があったとしても……もうカノジョは居なくて。だから総てはそれまでのハナシだった。逃した魚はもしかしたら大きなモノだったかもしれなくて、もしかしたら自分は今と違うトッド・スパロゥに成れていたかもしれないけれども……結局、カノジョと出会う前と変わらないままの自分が、ただ1年ばかりの年を経てココに今在るのだった。そしてトッドは遠くに煌く太陽が欲しいと手を伸ばすような性格でもなく。ただ内側に生まれては溢れるオトをどうにか消化してしまおうと足掻く毎日を過ごすだけで精一杯なのだった。
ぐるりと周りを見回した。いつも顔を見るグルーピーの連中が、耳障りなオトでトッドに向かって叫んでいた。目を一瞬瞑る。自分の内側ではオトと熱が燻っているのに気分は萎えている―――――クレイジィだ。完璧に壊れている。誰でもいいから歌わせてくれ、と願う。そうでなければ、このイレモノをなんとかしてくれ、と。
明日ステージに立つまでの間、気分を紛らわせてくれ、とソラ高いところで高みの見物の誰かさんに願う。腹の底のほうで昇華されるべくオンガクが飛び出したくて震えているのに、もうこれ以上は引き出せないのが苦しい。
早く歌いたい、でもきっと明日もこんな短い単位でしか歌えないに違いない。もっと歌いたい、オープンな場所で思い切りオトを搾り出してイきたい。フェスなんかキライだ、知り合いのバンドはいるけれども今自分が歌いたいのに、彼らのオトを耳になんかしたくない。出したくて堪らないオトが留まり続けてるのがツライ―――――オトが燻っているのを出してしまいたい。
トッドは無造作に、ステージ関係者サイドから出てきた“The Color Greenのトッド”を待ち受けていた誰かの手を取った。どんな顔をしていようと、どんな身体をしていようと、どうでもよかった。顔も見ないでその手を引いて、自分のオトでない音楽を流している場所から一目散に抜け出す。いまはそっちのほうが最重要課題だった、ファックの相手は誰だって一緒だから……熱を吐き出せる手段を呉れる相手だったら、どんな相手だろうと構わない。相手をしてくれるだけで充分なのだから。
人混みに一度紛れて引いていた手を見失い。もう一度手を伸ばして引っ張ってみた。そして、一歩踏み出してきた人影を見遣って目を瞬いた。
そこに居たのは、期待していたようなオンナノコでは全くなく。同じくらいの背丈の、ラフな格好をして少し驚いてトッドを見返してきたオトコだった。
口許がセクシィで、それはマリリンみたいな黒子があるせいかな、と思う。色が白くて、触れた体温は少し高くて。
ふぅん、とトッドは少し首を傾げた。襟も袖もだらりとした薄いニットに黒のデニムで。それに包まれたカラダはちょっとばかりゴツいけど、結構なビジンじゃん、と評価する。甘い色合いをした伸び気味のクセ毛も、なんだか可愛いし?とじっと見詰めて思う。
なに、と。アルコールのせいなのか天然なのか、少し擦れた高めの甘い声が囁くように言ってくるのに、トッドも「何が?」と返事をする。
すると、くい、と繋がれたままの腕を引き上げ。咥えタバコのままで甘い声が言った。
「シタイノ?」
シタイかシたくないか―――――歌い終わった瞬間は、その場でひん剥いてもいいくらいにシたかったけど。いまこの瞬間は、欲望が捻れてイカレタ頭は自分の衝動をどう捕らえていいものだか解りかねていた。セックス以外の方法でトッドの明日歌えるまでの時間を潰してくれるのだったら、別にもうなんだって構わなかった。
それでもひとまずもう一度ぐるりと辺りを見回してみる。グルーピーのコたちは、なんだかみんな引き際のいいコばかりで。ヒトリの手をトッドが取れば、それまで、と諦めて散っていくみたいだった。だからいまこの場に居るのは、トッドが誰でもちっとも構わない、トッドを“待っていない”人間ばかりだった。いま手を掴んでいるこの相手以上にトッドに何も“期待”していない人間―――――その連中と知り合うのも面倒臭いなら、いま居るコイツをひとまずターゲットにするしか他に道はない。ダメになったら―――――戻るのもメンバーに会うのも嫌だから、だったら一晩どっかでソラでも見上げていればいいのかもしれない。部屋に篭って歌っていてもよかったけど……。
意識を今に戻して、じっと目を眇めて見詰めてきていたオトコを見返した。コイツを含めて周囲には知らない人間ばかり。それでも、ヒトツだけ気付くことがある。
「オマエが一番ビジンてどういうこと?」
言った自分のセリフがおかしくなって笑った。
How come you're the prettiest around here?―――――Yeah, right. How should he know?そんなの、ヤツが知るわけないのにな。
ハハ、と笑ったオトコが、ピン、とタバコを弾いて捨てていた。親指と人差し指の間に、星の小さなタトゥが見えた。
甘い声がなんでもないことのように言葉を返してきた。
「It happens、(あぁ、よくあるそれ)」
耳にとろ、と馴染むような声だった。トッドはその聴き心地の良さに、ほんの僅かだけ口端を引き上げてみた。
「Like shit happens(クソッタレな展開みたいにか)」
歌うように返して、まだ繋がっていた手で腕を引いてみた。
正直に言えば、トッドは別に相手がオトコでも構わなかった。楽しみ方はとっくに“学習”していたし。相手さえ構わなければ、もうどうでもよかった。これだけカワイイ顔をしたオトコで、これだけイイ声をしていたのなら、歌わせてみるのも楽しいだろうし。
ひょい、とオトコが気軽に肩を竦めた。
「Yea, right,(だな、)」
自分と同じくらい、ことの展開がどうなろうとどうでもいい、と言っているような返事が気に入って、トッドは薄く笑った。
「You wanna just come over?(それともただ来るか?)」
「O-K-A-Y(いーよー)」
なんでもないような口調で返されて、トッドは笑って引き寄せる手に少しだけ力を込めた。ほんの少しだけオトコの目が笑っていたような気がしたのは、気のせいかな、と思う。
「Wao,(あ、)」
「Huh?(なに?)」
少しだけオトコを振り返って顔を見遣る。
揺れる髪の間で、きらきらとブルゥアイズが遠くのステージの光りを弾いていた。
「You're fuckin' SERIOUS, huh?(マジでしたいんだ、ふぅん?)」
「If you ain't up to it, that's just fine too(ベツにシたくないならそれでもイイ)」
肩を竦めて首を傾げる。
「Might as well just have a beer or two(ビールでも飲んでけば?)」
すい、とオトコがステージを見遣った。つまんね、と。その目は言って、視線がまたトッドに戻ってくる。周りは随分と暗くなっているにも関わらず。透明なブルゥアイズがキレイな宝石みたいにキラキラと光をずっと弾いていた。その上、に、と口端をつり上げて、奇妙にざわつかせるような笑みを刻んでいた。目が悪戯な子犬のようにも、性悪な猫のようにも見える―――――ふぅん?
「Na, “just do it” before that(シたあとにしねぇ?それ)」
どうぜ喉渇くし、と付け足された言葉に、く、とトッドも笑った。
「ハジメテとかじゃないよな」
まさか、と。歌うように返された返事に満足し。
「But you're “Clean”?」
けど“クリーン”だよな?と訊いておく。後で病院に担ぎ込まれたら、明日ステージに上がれなくなる。それだと本末転倒だし。
Damn,と呟いたオトコの声が少し擦れて耳障りがよかったのにまた小さく笑えば。
「こんなとこに救世軍がいらァ」
と続けられたのに、ふにゃりとトッドも笑みを深くした。
「For me or for you?(オレのため?オマエのため?)」
「You decide(あんたが決めれば)」
ぺろ、と唇を舐めたオトコに一歩近づいて、トン、とキスをしてみる。先ほどまで真っ赤に染まっていたソラはもう暗い色を移しこんでいて。周りのヒトの顔も解らないアリサマだったから、トッドは衝動のままにオトコに口付けてみた。
わずかばかり間近で見開かれた青い双眸を覗き込みながら、ゆったりと唇を啄ばんで目元で笑いかける。口端がつりあがった唇のラインが、随分と官能的なんだなあ、とぼんやりと思いつつ。そしてそのまま舌先を差し伸ばしてディープキスをしかけながら、ゆっくりと目を閉じた。
少し遠くなったバンドのオトは耳に届いていたけれども。トッドの内側で出せ出せと騒いでいたオトは漸く内側を軋ませるのを諦めたようだった。
甘く重く変化しつつある吐息を零し、開いていた唇の間から熱い濡れた舌に触れて。くう、とトッドは笑いながらもっと唇を合わせていった。
奇妙に気分が満たされていた―――――――久しぶりに気が合うヤツが居たんだ、と思い至って薄っすらと笑った。
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