はぁ?と言わんばかりに目を見開いた遠衛門吉親に、次郎久右衛門はフンと鼻を鳴らした。
「見抜けなんだか?婿殿」
卒倒しそうになりながら、「な、」と言ったきり遠衛門吉親は絶句し。目を大きく見開きながら、信じられん、と言わんばかりに首を横に振った。
「二人して…儂を謀りよったか」
そう力なく呟き、がっくりと項垂れる。
「花魁であるだけならいざ知らず……なにゆえ、コーザ、お前はそのような人に惚れたのだ!……匿っていたと知られれば、儂の腹を切るばかりでは済まず、お家断絶を申し付けられるやもしれん」
わなわなと震えながら、言葉尻を吐息に濁す。
それからまたがっくりと項垂れ、ぼそぼそと言葉を次いだ。
「異人の女人がなにゆえ廓なぞにおるのか……異国の隠密ではないとは思うが……」
顔を見合わせるたびに、はんなりと微笑んでそっと頭を垂れる雪花の笑顔を思い浮かべ、遠衛門吉親は深い溜め息を吐いた。
「いや、そんなことより。もし組織立って吉原で隠匿していたのであれば、報告しないわけにはいくまい。老中の職を上様にお返しし、石高(こくだか)も返上してから腹を切るだけで済めばよいが。うちで抱えている者たちにはなんと申したものか……」

明らかにパニックに陥っているような遠衛門吉親の言葉を、真摯な表情でコーザは受け止めていたが。次郎久右衛門は、は、と低く息を吐いてから、すぱん、と婿の頭を叩いた。
「落ち着かれよ、婿殿」
頭を両手で押さえた遠衛門吉親が、丸い目玉で次郎久右衛門を見上げた。
「婿殿が其の様であるから、我も孫も貴殿には告げずにおいたまでのこと。斯様に騒がれては毛だらけの目が覚めるぞよ、、静まられよ」
うとうととコーザの布団の上で騒ぎに頭を擡げたまま船を漕いでいる碧を目で見遣って、次郎久右衛門が言った。
「婿殿一人が胸のうちに収めておけば良いだけのことぞ。その程度の器量はあられよう、吉親殿。何を騒ぎ立てるか、愚か者めが」
「いや、しかし…」
「婿殿が腹を裂こうが、幾人の首が白砂に飛ぼうが知ったことではないが、我はあの者を逃す、婿殿が番所に走るとならば、見逃さぬぞ」

殺気が満々に篭った眼差しで婿を見遣った次郎久右衛門に、
「祖父殿……!」
とさすがにコーザはたしなめに入った。
そして、す、と遠衛門吉親を見遣って、にこっと笑って言った。
「なに、知らさずにおけば良いのです」
そして、あんぐりと口を開いた父親に告げた。
「万が一、雪花の身に嫌疑の及ぶようなことがあれば……」
言葉を切ってじっと見詰めてくる息子の、金混じりの目を見遣り、こくりと遠衛門吉親が息を呑んだ。
「雪花は、あのものを生かすも殺すも、おれ次第だと言いました」
静かに言葉を次いだコーザに、次郎久右衛門が目を細める。
「されば、我が手にて」

物騒な光りを灯して言い切った息子に、がっくりと遠衛門吉親は肩を落とした。
「……そこまで覚悟しているのならば、儂がなにを言ったところで今更通じまい。そもそも聞いてくれた例もないが」
しょんぼりと項垂れた遠衛門吉親が、溜め息交じりにぼそぼそと呟く。
「異国人といえども、雪花さんがよいお人なのはもう知っておる。……儂とてみすみす死なせたくはない。コーザ、馬鹿息子めが。お前だけのことではない、あの人もだ……」
息子をきっと見上げて、遠衛門吉親が静かに言う。
「しかし江戸の屋敷に住まわせておくことも到底できん。黙っておくことはできよう、しかし手近にあって見過ごしておくことまではできん。上様に申し訳が立たぬ。なにより、代々このお役目を果たしてきた我がご先祖様たちにな」
深い溜め息を吐いて、次郎久右衛門をちらりと見遣って、またコーザに視線を戻す。
「いっそ義父殿のおっしゃる通り、せめて雪花さんを連れて大陸に渡るがよい。あの国も最早安泰とは言わぬが、英吉利領が設けられたと聞く。そこであればなんとかなろう」
決して盆暗でも無能でもない遠衛門吉親は、静かにコーザに告げる。
「その暁にはお前を死んだものと見做す。どこぞへと行きなさい」
言い切って静かに頷き。最早なにも言うことはない、と言うばかりに立ち上がって部屋を出て行こうとした遠衛門吉親が、戸口で引き締まった表情のままでいる息子を振り返って言った。
「行く前には挨拶にきなさい。雪花さんとな」

明らかに傷心な様子で出て行った遠衛門吉親が、静かに閉じた襖をじっと見詰め。次郎久右衛門が深い声で言った。
「婿殿にも多少は血の気が戻ってきたか、」
そしてコーザに視線を戻して、静かに言った。
「さて、これで江戸にオマエの居場所は無いぞ」
如何致す、と訊かれて、コーザは難しい面持ちで次郎久右衛門を見返した。
「……考える」
孫の回答に、ハ!と次郎久右衛門が笑った。
「そうであったな、その身体では動けぬわ!」
なにやら忙しくなってきた様子に機嫌よく大笑いをしてから、次郎久右衛門が孫に言った。
「剣も持てまい、いまならばお前、子狸にも劣る」

忍びであるサンジにすら劣ると告げられ。コーザは己の至らなさに、ぐっと顔を顰めた。
そんなコーザを見遣って、次郎久右衛門が、ふン、と唸った。
「まあ焦るでない。焦ったところで治りが早くなるわけではないのだからな」
さっさと腹を据えて養生せい、と次郎久右衛門が言って部屋を後にした。
コーザはその足音が静かに遠のくのを聞き届け。漸く部屋が静かになったことに、ころん、と寝返りを打った碧の顎の下をそっと撫でた。
そして、一つ深い息を吐いたのだった。




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