33.
窓外を影が過ぎるのを見詰めた。
あ、来た、と。サンジが一つ瞬きした。小ぶりのショットグラスを磨きたてのなかから取り出す。乾いた音をたて扉が開き、冴えた外の空気を纏ったままのゾロが入ってくる。
ほんの僅か目元が和らぎ笑みを佩く相手を見詰め、サンジもひらりと右手を軽く揺らした。
「よ、外、寒かったか?」
「あァ。雪はまだ、ってとこだけどな。いっそ降った方が却っていいくらいだ」
素っ気無い挨拶と裏腹に、どれだけ柔らかに微笑んでいるのかこいつは知っているのだろうか、とゾロはスツールに座りながら思った。

とん、と目の前に透明な液体を満たしたショットグラスを置けば。目で、ナンだ?と問われ、サンジがすぅと目元で笑った。
「トロットロになるまで冷やしたウォッカ」
「ロシアかよ此処は」
ゾロも笑うが、軽く引き上げたグラスから上る香りが違うことにすぐ気づいた。
「ウソだよ」
「はン?」
「お客サンの土産。あー……なんだっけな?磨いたコメの芯の部分だけで作るんだってさ。ニッポンのサケ」
ええと、とごそごそとボトルでも引き出そうとしているのかカウンター下に潜りそうなサンジを笑ってゾロが制止する。
「ごそごそしてンなよ」
「んー?だって見たいだろ?」
「いいから、別に」
「そうかー?」
「あぁ、」
イタダキマス、とあっさりとグラスをゾロは飲み干し。
「どうだ?」
好奇心からか、きらきらと蒼が煌くような明るい色味を浮かべているのを、グラスを下ろしたゾロが見遣る。
「ドライなんだが、」
「うんうん」
「底が自然にあまい、美味いな」
「そっか」
満足気にサンジが頷いた。すい、と指の一振りでグラスを引き取り新しく、いつもの好みのモノを用意する。

「さっきまでな?ナミさんとチビがいたんだ」
「ウルサカッタロ、」
に、とゾロが笑みを乗せ。
「賑やか、って言え」
ばぁか、と言いながらもまた蒼がゾロにあわせられる。
「なんか、食う?」
「ん?」
タバコに火を点けかけていたゾロが視線を上げる。
「だから、腹減って……」
「イイ」
「は―――?だっておまえ……」
言い募ろうとし、けれどサンジも言葉を途切らせた。
カチ、とライターのフタが勢い良く閉じる音がし。また、フタが開き青い火が長く空気に揺れ。また、閉じたフタに隠される。
それは苛立ちをあらわす所作なのではなく、けれどほんの僅か常と違うような風情の相手の様子にサンジが少しだけ首を傾けた。
「カオ見に寄っただけだ、」

ここにパートナがいたならば、確実にこの無自覚男の頭をド突いていただろうし、外科医がいたならば……想像だに空恐ろしい、が。サンジは僅かに目を見開き、わ―――?とだけ内心で呟いた。
自分がまあ呼んだとはいえ、こうまであっさり何でもないカオで返答されてしまえば対応も瞬時には浮かんで来ない。

ぽーん、と高く空中に投げ上げられるライターのゾロの掌まで落下していくサマを視線が追いかけ、またサンジが瞬きした。視線をゾロに戻せば、いつもなら直ぐに浮かぶどこかからかい混じりの笑みの欠片じみたものは一向に相手の目には浮かばすに、そのまま気づかないほどひっそりと、まるでどこかが痛みでもしたかのような色味に変わっていくのをサンジが見詰めた。
その過ぎったものに自分まで僅かに息苦しくなるかと思う。どうした?と訊いてしまいたのを、あのさ!と寧ろ明るく言葉を切り出すことで押さえ込んだ。
なんだ?と翠が問いかけてくるのを受け止め、サンジがまた一つ笑みを乗せた。

「あのチビ、ルフィ。おまえが実は密かなライバルだったらしいぜ?」
「―――あー……、」
ふわりと、またゾロが目元を和らげる。
その気はねェって言ってるのにな、あのガキ。ホッケーならともかく、と続けていた。
「あれ?おまえもしてたんだ?」
「一応な?コレでもプロになる気は半分あったぜ、おれもガキのころは」
なんか、あまりにイメージしやすくて寧ろがっかりだ、などとサンジも軽口で返し。
「家族があのままだったなら、そうなってたかもな」
「家族、って?」
「ン?」
笑みの残った眼差しがサンジにあわせられる。
立ち入ったことだったろうか、と一瞬思ったが口を突いて出てしまった言葉は引き止めようもなかった。
僅かにゾロが表情を変えた、ように見えた。やはり何か酷く込み入った部分に触れてしまったかとサンジが話を変えようとしたとき、静かな声がした。あぁ、おまえには言ってなかったか?と。
「いねェよ、」
「―――え?」
チカ、とゾロが掌で放ったライタがまた光を長く弾く。
「コドモの頃、おれだけが友人の家に止まりに行っているときに、住んでいたアパートメントが全焼した」
さらり、と告げられる。
「けどまァ?両親を早くに亡くしたのはおまえも一緒だろう?」
あのおっかねェのはオレにはいなかっただけの話だ、と僅かに口端で笑みを刻みながらゾロが言う。
そして不意に名を呼ばれ、サンジは自分が目をそらすことも忘れていたことに気づき。瞬きした。

「救い出せなかったことを後悔してた、」
人を救うため、とか言いながら本当は。おれはガキの頃の悔しい想いをもう二度としたくないだけなのかもしれねェな、と続けたゾロの目に迷いが一瞬過ぎり。
サンジが、符号を理解した。
異母兄や、この男の友人たちが告げずにいたこと。
「おまえ、昨夜……」
「助けてやれなかった、目の前で」
人を救いきれなかった、と低く漏らされた言葉にサンジが息をひとつ詰めた。




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