39.
夕刻前に、自然と目が覚め。やんわりとサンジを起こすようにすれば、きゅう、と眼を瞑ったままでサンジが眉根を寄せていた。そして、口を開き。
「……休む、」
どこかほわりとした口調で言われ、はン?とゾロが眉を引き上げた。
「急に、いいのかよ」
ゾロとしても特に異存はないが、蒼が見えなくなるほど目を細めてふにゃ、とまだ半分寝ぼけて笑うサンジを覗き込んでみた。そして、安堵した。相当殴り合いはしたが、それほど酷い痣は顔に残っていないことに。
「んん、いいんだ。偶には休めってカーラも……」
いってるし、と。サンジが顎を軽く上向けた所為で、金髪がゾロのハナサキを軽く擽った。
ふ、と笑い出しかけ、―――やられた、と。
突然ゾロが思う。
何時の瞬間からか、この存在の欠けた日常は意味をもう変えていることに気づく。
奥底に灯る一点の光のように。
視界を蔽い、光さえも遮る熱された煙のなかでその存在を信じる光り、手を伸ばし触れることは出来ずとも消えることの無いソレ。
セーフティネットどころの話じゃねェよ、と。声に出さずに思う。

「休むって?」
「んん、」
あと少し寝る、と何とか口中で呟くような相手の髪に軽く唇で触れて、ゾロが腕を伸ばしデンワをベッドサイドから取り上げていた。カーラ個人のケイタイ番号は知らずとも、その「ダンナ」は実に腕の良いメカニックで、オールド・トライアンフのメンテナンスの世話にもなっており番号は知っている。
サンジからの伝言を伝えれば、出かける直前だったカーラが明るく笑い、あンたがデンワしてきたことはナイショにしといてあげるわ、と言った。『誰に』かは言われずとも判り、よろしく、とだけゾロも苦笑して返した。
通話を終えて、ベッドサイドへ戻しかければサンジの腕が不意に伸ばされ、おやと思うまもなくデンワをフロアへと落とし。

「やすむ、ったらやすむんだ、」
ふてくされてでもいる口調が、どこかとろりとしている。
これはもう完璧に寝ぼけている、とゾロが笑みを押さえ込み。
「あぁ、だな」
さらさらと肌を擽るような髪ごと、サンジをまた腕に抱き寄せむしろ組み敷くようにすれば。
ふう、とどこか威張ったようなそれでも満足げな息がサンジから長く零れ、今度は笑いを押さえ込むのに失敗していた。軽く脚まで掛けられ。逃げやしねェけどな、とまた額をあわせるようにして眼を閉じてみた。
おそらく、また眠ることは無いけれどもこの状況は実際悪くない、と。ただ、次に目を開けたときにはあんまり寝ぼけられててもなァ、と指の間にさらさらとサンジの髪を潜らせながらゾロが思っていた。
そして、窓の外には、雪が降り始めていた。



                                     40.
「―――あン?おれのベイビイは」
夜中近く、パブに入ってきたなりそう言ったのは大甘やかしの外科医だった。雪がうっすらとのるロングコートをはさりと軽く振りながらやってくる。
「今日はねオヤスミするって、アタシがデンワ貰ったわ」
ハァイ、とカーラが頬にキスしながら言ってくるのを、へえ?と僅かに眉を引き上げはしたが。
「風邪とか?」
「違うわよ、ただ単にオヤスミ」
「まぁ、そういや何のかんの言って休み無しだったもんな」
にこり、と微笑むと視線を店内に巡らせカウンターに「結婚したて」の姿を見つけていた。

「よう、ミス・ビビ」
声に振り向き、ぱあ、と笑みを乗せたビビの頬にとん、と口付ける。
「ミス、じゃもう無いのに」
お仕事オツカレサマです、とくすくすと笑いながらビビがスツールから見上げてきていた。その前にはフルーツジュースが置かれ、絞りたてのオレンジの香りが立ち上っていた。
「あれ?そうだっけ」
にっこりと外科医の機嫌は良い。
「気が変わったらいつでもデンワしてな?たとえ三つ子でも面倒はみるヨ」
そう言われ、またくすくすとビビが笑い。
「ヘイ、ドクタ」
にぃー、と『クソガーディアン』の片割れがその隣で微笑んでいた。

「よ、クソガキ。何してやがら、てめぇ。今日もお仕事じゃ……」
ふ、と軽口を言いかけた口元が不機嫌にひん曲げられる。
「おまえら、今日オフ?」
「じゃなきゃココいねェって」
「ディナーの帰りなの」
ビビがまたふわりと微笑んでいた。一方外科医はそんなビビには笑み、コーザにはぎろりと一瞥を投げた。
「もう一匹のアホは、」
「あいつもオフ」
「でもココにはいねェよな」
「あァ、トライアンフでも散歩に連れ出してンじゃねぇー?」
あーらこれはちょいヤバイかもしれねェ?とコーザがアラートサインを頭の中で聞きはしたが、あくまで表情はにこやかだった。が、そうはいっても夕方から雪が降り始めていたのだ。

「……XXXX」
大層下品な罵声を口中で押し殺したのは外科医サマだった。
あのバカが休み、かーわいいオトウトも急に休み、一昨日はこのバカ共を落ち込ませるだけのインシデントが起こったばかりで、おれのカワイイベイビイは胸糞悪ィことにあのヴァカに惚れ………
「―-----my God」
ますます呟きが低くなり。あと一息で地底から何かが召喚されそうだ。
きょとん、と自分を見上げてきたビビに、あぁ何でもねェよ、とコーザが微笑み指先で軽く頬に触れた。少なくともキミには被害は及ばないからね、とは口に出さなかったが。そして視線を外科医にあわせた。

そして。
ああああああああああ、トラが怒り狂ってるけどすんげえええ表面が静かなんですけどーーーーー!!!
怖いもの知らずの消防士が内心で叫んだ。

「---------おら、コーザ」
「---ウン?」
にこお、と爽やかハンサムさん笑顔を乗せてみはしたが。

「-------っだ…ッ!!!」
ひっでええええー、ナンだよ突然!!と頭頂を押さえ半分なみだ目であったのはコーザだった。
「るせェ、連帯責任だ」
どきっぱり、と言い切ったのは外科医なのか格闘家なのかもはや判らないサンジの異母兄であった。何故に瞬速で踵落としを食らわすことができるのかは謎だ。
ビビの目がますます見開かれるのを見逃すオニイサマではけれどなく。
「あぁ、心配いらないよ、大人のちょっとした事情ってヤツなんだ」
怒りの収まりきらないサーベルタイガー、そんな風情の外科医はそんなことをのたまいながらビビの髪にキスを落としスツールに身体を休めると、ひらりと指先で、苦笑していたカーラを呼んでいた。
「カーラ?悪ィ、このアホにアイスパック渡してやってくれねェかな。頭は放っとくとヤバイからさ」
「すんません、じゃあ蹴らないでくれませんか……っ!」
「生きてるだけ有難いと思いやがれ、クソガキ」


「くっそう、いまからケイタイにデンワかけてやる」
まぁまぁ、と連帯責任の一環で外科医サマに一杯ご馳走しながらコーザがひらりと手を振って見せた。ビビがにこにこと押し当てていたアイスパックはもうとっくに溶けてしまっている。
「ソレってでもやぶへびじゃねェの?ドクタ」
「ハン?」
ぎろ、とミドリ眼がおそらく底光りしている、かもしれない。が、灰色目にやんわりと微笑まれ罵声の機関掃射は引っ込められた。
「あンのクソガキ」
また低く呟くのは外科医だった。
「でもさ?何でドクタそんなに反対なわけ?まァ諸々は置いとくとして」
「つうか。強引に引き剥がすだけの理由が無いとこがムカつくぜ」
ゴチ、と額を手加減無しにまた小突かれ、コーザが低く笑っていた。
「んー?まァねェ。おれらモテルしー」
「言ってろ、次にウチに来たらてめェらもれなく天国行きにしてやる」
「もう、ドクタってば」
ビビが柔らかに言いながら、その肩に軽く寄りかかるようにしていた。
「あービビ。でもこのヒトくらい頼りになる医者いないって、マンハッタン中で」
にこ、と。
それでも真意を滲ませるコーザの口調に、フン、わかってンなら感謝しろてめぇら、と外科医が短く言葉を吐き。
「なのに!恩を仇で返されちまったぜ、」
する、とビビの頬に唇を寄せるようにし言葉を継げば。

「コラコラ、」
後ろから声がした。
「人妻の誘惑か?まー、そりゃあンまり感心しねェな、シャンクス」
またSPを撒いたらしい市長がいた。
「ハン?てめェは何してやがる」
「決まってる、仕事帰りに市民生活の視察だナ」
カーラが市長にするりと近づき、頬へキスを落とすとオーダーを取っていく。古参のバーメイドにとっては市長といえど、まだまだコドモ扱いだった。

「最近、オレにばかり保護官役が回ってくる」
グラスを空にし、そうコーザにこそりと市長が告げれば、わは、と声に出さずにコーザが表情で笑みを作り。
「ドクタ・ベックマンは?」
「来週まで学会でニースでナ、都合よく忙しい。運の良いヤツだ」
「ハハ!」
「おら、聞こえってっぞ、てめぇら」
外科医がスツールから振り向いた。
「JFKが死んだってこのクニは周るがな、おれらじゃなきゃ死ぬ患者はいるンだよ」
「あぁ、わかってるさ」
す、と政治家が微笑んだ。
「だからオレはイシャになってねェんだろうが。空き時間があるようにな」
「フン、バカが」

あらら?とコーザが眉を引き上げた。これはあんまりおそらくここにいるのは賢明じゃないな?何だか雲行きが、ウン、と。
けれど、その懸念は「お騒がせしたな」とあっさりと市長がまるっきりネコの首でももって連れ出す気楽さで、沸々と静かに怒れるサーベルタイガーを連れ出したので杞憂に終わった。

「ねえ、コーザ?」
ふわ、とビビが微笑んだ。
「うん?」
くるくる、と二杯目のオレンジジュースの、半分以上が空になったグラスをまわしながらその淡い色の目を合わせてくるのを笑みで受け止める。
「私、すっかりあの2人って公認なんだと思ってたのに」
「うわ、そう?」
コーザが小さくわらった。
「だって、あんなに素敵なデートしてたじゃない」
にこにこ、とビビは実に嬉しそうに続けていた。
「だな。けどどうやら昨日今日辺りから、みたいだね」
ふふ、と笑みのカタチのままの唇が軽く耳元に押し当てられるのを感じ、コーザが片眉を引き上げた。

「ゾロって面食いだったのね、ルフィのこと言えないわ」
「だなァ、一等カワイイのが出てくるまで待ってやがったネ、アレは」
「あら、そういうことだったの!」
いまこの場にいない2人をからかっている「結婚したて」な2人にカーラが微笑みながら同意していた。




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