Chapter Two: Taken

--- Aftermath ---
「ドクター、ほんとうに"D"のサンプルを全て処分してしまうのですか」
抑えられた研究者の声が肩の後ろ側、スクリーンから聞こえた。
「いいのさ。消してしまおう」
「ですが政府が……」
「事後回収ができなかった被験体なンだよ?そのサンプルをどうしようと私の勝手だ。それに、リリースした
被験体を保護しきれなかったんだ、事情はどうあれね。その証拠ごと消しちまった方が政府のためでもあろうさ」
「イエス、ドクター」
この研究所では、所長の命は絶対だ。研究者は自分達が名付け、育てた被験体を思い出し、瞳を閉ざしたが
それはほんわずかのことであり。ボタンを押しサンプルを保管しているセルの抹消を命じた。

「ドクター、サンプルDデータの抹消を終了しました」
「ありがとう」
「ドクター、お戻りをお待ちしています」
控えめな声と一緒に、背後でスクリーンの消えた気配を感じ取った。
「そうだね、私も。もうそろそろ戻るかねぇ」
研究者用の居住スペース、その高層の窓から学都を見下ろし女医はさっぱりと小さくわらった。
「さあ、私との契約はきちんと守るんだよ、小僧」




原因不明の爆破事故に巻き込まれて、身体組織の欠片すら回収できなかったサンプルD、"サンジ"。
自分と会った同日だったというその事故の知らせを聞いて以来感じる視線があった。まるで見張られて
でもいるような。研究所に戻らずいつまでも学都に留まっているのも、その視線のためではあった。
そしていま。明らかに、その視線の持ち主は近くにいると感じられる。アカデミーへと続く街路で。

「やっとお出ましかい、」
小さく笑みを刷き、誰にともなく呟いた。そのまま、ゆっくりと振り向いた。眼差しの捕らえた者は、消える
ことなく雑踏に立つ一人の男だった。かちりと、視線がぶつかり。姿を見せただけで充分だとでもいう風に
さして急ぐでもなく男は背を向けかける。
「お待ち、あんた。その眼は隠しておかないといけないよ。光を反射しすぎるだろう」
すう、と。明らかに男の纏う気配が冷めていった。構わずに女医は続ける。
「観るものがみれば、すぐに露見しちまうよ。そんなに無防備に虹彩を晒していたならね」
「おまえは……、」
「私を見張っていたのは、あんただね?違うかい、」
男が頷いた。
「お聞き。私はあんたに感謝したいくらいなんだよ」
人通りの絶える事のない街路に、その二人の周りだけが流れに置いていかれでもしたように刹那、
静まり返っていた。僅かに冴えた光が男の瞳に過ぎり、そのまま続けようとする女医の腕を取ると
目に付いた古いホテルのロビーへと入っていった。

「……何を、」
感謝しているのだと男が初めて口を開く。女医は軽く聞き流すと自分の注文を給仕に告げた。
「あのこは、機嫌よくしているのかい?」
「―――ああ」
わずかに、男の気配が和らぐのを女医の眼は見逃さなかった。
「そうかい、それは良かった」
本心から告げ、穏やかな笑みを浮かべた。
「研究所の子供たちは、」
その言葉に、翡翠の瞳がひたりと自分にあてられるのを。そして、初めてといっていいほどの威圧感を
まだこの年若い男から感じ取った。
「あのこたちには、リミットがあるんだよ。実験だからね、成功例といえども"耐用年数"が設定されているのさ」
言いながら女医は長い指を三本揃えて卓に伸ばした。
「随分と良い趣味だな」
返されたのは、感情の読み取れない声だった。

「だから、あんたが。その輪からあのこを引き摺りだしてくれたことを私は感謝してるのさ」
「―――どこまで知っている、」
「何も。わたしはただの研究者だよ。あの馬鹿げたジェノサイドには関わっちゃあいなかったからね、"生き残り"がいようがいまいが関係のないことさ」
運ばれてきたグラスを手にし、口もとまで持っていく。
「まあ、正直驚いてはいるけれどね。まさかまだいたとはね、"不死者"が」
「世の終焉を見届けるのは一族のものらしいな」
「信じてもいない事をよくもまあ、」
微かにわらうようだった女医が、卓にグラスを戻し言った。それで?おまえは私をどうするんだい、と。
屠りはしない、と男が答えた。
「あなたは、仇を為すとは思えないからな。それを確かめたかった」
「あのこは私の息子だからね、そんなことをするものか」

「あれは―――命に代えてでも守る。こんどこそ」
ひたりとあてられる双眸に過ぎた色に、女医は微かな痛みを覚える。
「バカだねぇおまえは、」
低い声で続けた。
「幾年生きてきたかは知らないが。とんだ愚か者だよ」

「滅びの時には連れておいき。手を、放すんじゃあないよ。私の息子はね、情が深いんだ。強情だしねぇ」
そう告げて、口もとだけで笑みを模る。
「不死者とやら。おまえがそれを約束してくれるなら、私はあれがこの世にあった一切の記録を消して
あげようじゃあないか」
「魔と契約するのか、」
男がゆらりとその眼だけでわらい。
「おや。私だってね魔女呼ばわりをかれこれ50年はされているんだよ」
女医は火酒を飲み干した。
「え?どうだい」

初めて、笑い声が相対する男から洩れた。
どこか、懐かしい響きだとそれを聞いて女医は思っていた。



--- Fate ---
道を進んだ。石畳を足下に踏み付け、落ちてくる日差しにちらりと眼を上げる。
両脇の草が赤い、夕刻。
知らず唇を噛み足を速めかけ、呼び止められた。

「若、搭まで行かれるのか」
ひっそりと、道の脇に佇む男。半年ほど前に負った怪我が元で館から暇をだされていた厩番が
手折られたばかりの百合を持ち、立っていた。家で待つ妻へのものだなと僅かに笑みを刷いて
頷き返事とし、歩み去ろうした刹那、
「巫女姫のお加減はよろしいか、」と言った。
ふ、と足を止める。
振り向き、言った。
「そのようなモノはあの搭にはいない。おれの妹がいるだけだ」
「されど、私どもにとってあの方は……」
「だまれ」

自らの声に含まれるものに、僅かにゾロの眉が顰められる。
「これを、」
気にした風もなく、男が百合の束を差し出す。谷間に咲く百合。
涼やかな水辺を思わせる微かな芳香が、ゆらりと立ち昇る。
「どうか、妹君に」
声に出しながら淡く笑みをうかべ、そっと元の主の手に押しやるようにし。
「すまない、」

受け取った相手が、ほんの刹那その深い翠の瞳に過ぎらせた色を眼にすると男も微かに
吐息に似た物を漏らした。
「はやく、行ってさし上げることだ。つい、お引き止めしました」

「なあ、……あれは」
「それを知っているからこそ、あなたは戻っていらしたのだろうに」
ここへ、と男が小さく付け足し。まっすぐに眼をあわせてきた。

ざ、と風が鳴り

搭への道を渡っていった。








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