--- Fate ---
1.
「あの道の先に―――」
翠の眼差しを、まっすぐに追うように前を見据えたままサンジが声に出した。
気配だけを頼りにサンジに向かいゆっくりと腕を伸ばすと、その肩の線をゾロは掌で確かめた。
「ああ。搭の名残がある。ただ……、」
サンジが横に立つゾロに目を戻した。
「―――なんだ?」
「あの場所では、何にも触れずにいてほしい。おまえは―――」
肩口に残された手を取り、口元へともっていき。そっと指先に唇で触れ、先を促す。

「おまえは。おれと共鳴をする。だから、何にも触れないでくれ。石が、―――搭が。叫び始めるかもしれない」
遠くに開かれた黒土に変わらず眼差しをあわせたままゾロが言った。
「―――きこえるか?」
いま。
自分に向けられることのない双眸は映しているのだろうと、その先をサンジは追い募りかけ。
またゾロの横顔に意識を戻した。
「いや、きこえない、」
一瞬の躊躇いのあと、その首筋に顔を埋めるようにした。

「なにも聞こえないよ」
何故だか。そう答えることで、この男が安堵するのだろうと感じ取っていた。
「とても静かな、きれいで。寂しい景色だけがみえる」
そう続けて、額をいっそう押し当てるようにしたとき

瞬きよりも短い間
映った。
――――トリ?
影を拡げて、抜けるような天蓋を過ぎる
拡がる黄金の……

目を見開いたままで、幻をみた。直接に取り込まれた残像。
切れたフィルムのように網膜に映った幻。
ほんの刹那。

瞬きをした。
そのまま、瞳を閉ざしたままで流れ込んだイメージを記憶に押しとめようとした。
「ゾロ、」

「触るな、というのなら。触れない」
言葉にし、自分の喉が僅かにひりつくようなのを意識する。
ゾロが、掌に自分の髪を滑らせていることも。
「おれが最後にこの地に立ったときは、生命の欠片さえなかった」
抱き合うような自分達の両脇を流れる緑の波を低く紡がれる言葉が追う。

「おれは、全てを呪ったのにな、」
過ぎてみればこの地は変わらず美しい、と。

「―――ゾロ、」
両腕を廻し、抱きしめようとした。
この。触れたところから流れ込むモノを、おれは知らない、サンジは思う。
血管を、重く熔かされた液体が流れていくように、身体の先から包み込まれかける。凪いだものに。

「マイ・チャイルド。それはね、ゼツボウっていうモノだよ」
ふと。記憶の底、遠い女医の声が甦った。

不意に顔を埋めていた首元が僅かに強張り。そっと、引き剥がされた。
おまえは―――、追ってこなくて良い。そう言いながらゾロは口もとを無理に笑みの形に撓め、
指先でサンジの頬を慰撫した。
「いまのは、唯のおれの感傷だ。気にするな」

きちんと、順を追って話してやるから。そう告げる唇で眦に触れられ。
そうされて初めて、涙を留めていたことに気付いた。
痛い、と声に出さずに思った。

「嘘だ。ゾロ、いまは。おまえから、痛みしか感じない」
瞬きをし。留め切れなかったモノがこぼれ、もう一度抱きしめられた。
サンジ、泣くな。おれはいま以上に幸福だと思ったことはないのだから、と。
ほんとうだと繰り返し睦言のように注ぎ込まれた。

ひたすらに、廻した腕に力を込めた。凪いだモノが薄らぐまで。



「嬉しくはないのか?」
いこう、と促され歩き始めてからサンジが言った。
「おまえの妹が、待っているんだろう」
「あの場所には、おれの―――古い友人もいる」
「守人か、」
「ああ。―――待っているだろうよ、」
初めて、僅かな笑みに似た影がゾロの目元を過ぎった。
「待たせすぎたかもしれないな」

先まで草原を翠の水面に変えてしまうほど絶えず流れていた風がいつのまにかさわりとも
そよがないことにサンジが気付き。足下で、砕かれた石欠が乾いた音をたてた。


2.
名を呼ばれた。
大樹の下、同じ丘の頂きに並んで立ち森を抜けて行く道を見下ろしていたときに。
また祭りの季節になり旅人達がムラを訪れ始めていた。そして、二人とも在り得ないことだろうとは知っていても
一日をこの場所で過ごす時間が長くなっていっていた。あの道の向こうから、もしかしたら。あの燃え立つような
髪色をした者がやってくるかもしれないと。

なんだ、と返し横に目をやれば、蜜色の髪が風に解かれ拡がる様があった。腰に届くまでに伸びたそれ。
その下から覗くひどく白い小さな顔。ほんの一年の間に、いつも外を駆けていたコドモからは日差しの名残が
すっかり抜け落ちていた。わずかにふっくらとまるみのある頬の線が変わらないだけで。
あれから。遠出が出来るまで回復したのはまだそう昔のことではなかった。日を追うごとにその肌色が透けるように
変わっていくのをただ自分は見守ることしかできず。そしていまも、微かな苛立ちを何処かに覚えながら請われるままに
館から連れ出していた。

「外には、なにがあると思う」
「ナミからさんざん聞いただろう、おまえは」
「うん、本も読んだ」
寝ている間に、と付け足してゾロを見上げ小さくわらった。自分で読んだ、というよりそれは自分が伏せっている間に
兄に読み聞かせをさせていたものだから一層笑みが深くなる。けれどもやがてそれは消えていった。
「あの森は私たちを護るものだっていうけれど、感じるの」
さらりと、髪をすべる指先を感じ、言葉を継いだ。
「とてもゆっくりとだけど、軋むような音や何かとても―――」
「旅人が言っていた。外では、ナミが話したよりももっと西の地方で騒乱がおきていると」
「そんな遠くじゃない、もっと……」
言い募ろうとするのを、ゆっくりと頬を撫でてゾロは押し止める。
おまえはまだ変わっていない、まだそれを負わなくていいんだ、と声に出さずに。

「風が冷たくなってきた。戻ろう」
「ねえ、きょうも。来なかったね」
「気紛れなオンナだからな、アレは」
目を細めるようにして笑みを作り、軽い身体を抱き上げた。
駿馬の背にそれを預け、自分もその後をすぐに追う、馬上へと。
「不死者は、随分と扱い辛い」

「お願いがあるの、」
前を向いたままで少女が言った。その頭を、背後の胸に預けるようにしながら。



「私、搭を見に行きたい」









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