19. 気付いた時は、自分は寝台にいた。 制そうとする手を振り払い半身を起こし、視界が揺らいだ。 きつく瞳を閉じ眩暈を押しやろうとし、耳に流れ込んでくる音に無理矢理に意識を向けた。 柔らかな女の声で、6日の間眠り続けていたのだと告げられる。 その間にも、目の覚めたことを知らせに扉の外へと人影が足音もたてずに抜けて行った。 「頭首は―――」 「先ほど、出立されました。皆様はただいま御見送りに」 返された言葉に寝台から飛び降りるようにし、クツ、とだけ告げると衣装棚へと進みながら上衣を脱ぎ捨てる。 「お待ちくださ……」 元より制止の声に耳など貸す気も無く、手にしたシャツに腕を通すとそのまま奥の水差しの備えられている 角まで足早に向かう。やがて届く水の散る音。 水滴がまだ髪から伝い落ちるまま、自室の扉を抜けたところで再び制止の声が背に投げかえられた。 「どうかお待ちを、」 「案ずるな」 すぐに戻る、と口中で呟き厩舎へと向かった。 何の確信のあるわけでもない、ただ駿馬の頭を向けていた。いつか、ナミを見送った境界の丘の頂きへと。 尋ねたいことがあった。「始祖」に。 何をかと問われれば答えに詰まることはわかってはいても、それでも。 たとえ、その既に去った軌跡を目で追うことしか叶わずとも。 内から湧き起こる物に突き動かされでもするように、追わずにはいられなかった。 20. 丘の頂きに立ち、駿馬の鬣に手を差し入れた。 押し当てられる生命の熱さと、息づく血の流れが掌を通して伝わってくる。 溢れるような緑に囲まれ、見晴らす限りに眼下に流れて行くのは草の葉。その間をまっすぐに貫く石畳の 小道には既になんの影も残されてはいなかった。 それでもその道の消えていく先までを見つめ、深く息を吐いた。 「間に合わなかったか、」 「見送りか。義理堅いことだな」 突然に声が起こり、振り向いた先には晴れた蒼穹を背にしていても尚、夜を思わせる黒衣の男が立っていた。 「あなたは―――」 聞き覚えのあるそれに、ゾロの双眸が僅かに細められる。 「……頭首?」 小さな呼びかけには応えず、男が微かに唇端を引き上げた。 「おまえは、何かを望む眼をしているな」 「おまえは何を望む、」 風が起こる。頭上の大樹の枝が打ち合わされた。 「例え叶わずとも、望んでも良いのであれば。ひとつ、」 その言いよどむような様子に、ふと男の纏う気配が和らぐ。 「……容易く諦めるというのか」 いいえ、と即答され男が小さく笑った。 「ならば、足掻くかおまえは」 「父は、おまえのように頑固な者は見たことがないと口癖のように」 「あれも苦労が絶えぬことだ」 微かに揶揄うような色がその口調に含まれるのにゾロが目を上げる。 「嫡子が生死の境を彷徨った挙句に、目覚めればすぐに剣を帯び館を飛び出るとはな」 「頭首。ある者を守るために、誰よりも何よりも強くあろうとするのは間違いなのでしょうか」 翡翠の双眸は逸らされることなく、目の前に立つ姿をみつめる。 「あなたは、"剣聖"とまで謳われたと、」 「史書を読んだのか」 低い声が返された。 「あなたは―――、」 「私は、強くあることをやめた」 「なぜですか、」 風が、丘を渡っていく。 「おまえは、人間の生の重さを考えたことはあるか?」 「……重さ、」 「そうだ。剣で断てばヒトは死ぬぞ、いとも容易く」 思い出したかのように、風に沿って足下の草が流れていった。 「私は、その営みを外れた。同等の重みを持ち得ることは、もはや叶わぬこと」 ゆえに、剣は捨てた、と。穏やかに鋼の冷たさを思わせる声が続けた。 「ロロノア、」 初めてその名を呼びかけられても、臆することもなく。まっすぐにその瞳をみつめ。 「おまえは、いずれを選ぶ?剣か、永久の生か―――」 そして、男の双眸が黒に近い暗紅であることにいま、気づいた。 燃え立つような新緑の中で、溢れかえるような生の歓びを木々が奏でる中で対極に佇むような深い色。 その姿を見つめ、はじめて口もとをほころばせた。そして、 「―――剣」 涼やかに、風の流れる先を追い、答える。 「そうか。私もそれを願う」 「だが、良いか」 ひたりと暗紅がその流れる先を捕らえ。 何が起ころうとも、と続けられた。 「自分の血を、決して呪ってはならぬ。血族を、恨んではならぬ」 「おまえは、滅びてはならぬ」 眼差しを向けられ、総ての音が無くなり、取り込まれ色彩が反転する。眩暈を覚え 気が付けば一人、丘の頂きに立ち尽くしていた。その手に、剣を握り締めて。 Chapter Two. Taken for more information about this series going back back to story seven |