8.
「呪が唱えられぬなら、おれから離れるなよ?」
かさりと、立ち止まったゾロの足下で露に濡れた草が音を立てた。
何の物音もたてずに少し前方を歩いていた男が顔だけを向けてそう告げた。そして、自分をみつめ返してくる暗い中
でも光るような翠がひどく不満気なことにまた男がわらった。
「亡者は剣では切れない。少なくとも、いまのオマエには無理だ。自然の理だからな、おれに不満を言われても
こればかりは如何ともしがたい」
離れるなとは言ったものの、男は依然として歩を緩めることはせずまっすぐに荒れた道を進み。搭への入り口を示す
石組みの前でようやく立ち止まると身体ごと振り向いた。
「ローロ、なにをしている?」
離れて暗がりに立ったままの姿に不死者が声をかけた。

「呪を教えろ」
「……ハ?」
男がわざと首を傾けて見せる。
「おまえの庇護などいらない。だから、呪を教えろ」
バッカだねェ、とまた聞き覚えのある口調で呟かれたのが聞こえ、何かを反論するより先に男が間近に立っていた。
「すぐに覚えられるのならムラの人間は全て術者だ」
自分の言葉を受け、相手が眉根を寄せるのを目にして今度はそれが嘆息交じりのものに変わった。
「あのな、使えるモノは使え。それが許される内は一人で抱え込むな、いいな?」
左手首を掴むと引き立てるほどの強さで男は搭の入り口へと戻って行く。

「おい、わかったから離せ」
「おれにも名前があるんだけどねェ」
ゆらり、と石組みの傍らで影が動くのを視界の隅で捕らえながら不死者が言った。
「エース、離せ!」
「うん、よくできました」
それはおれの名前だね、と酷く明るい声が届き。閉ざされた扉へと繋がる石段に足をかけるその頃には、
自分たちの後を追うように地を這いながら影も扉の両端に蟠り、一層闇色を濃くしていた。
「けどな、ダメだよ。おれがおまえを此処に連れてきたんだ。生きて返すのが道理ってモンだろうが」

「失せろ」
低く落とされた声と同時に、一閃。何かが煌めいた。それが、自分が帯びていた剣であると数瞬遅れてゾロが
気付き。いつの間に抜き取られていたのかそれは不死者の手に収まり夜気を切り裂く音と一緒に扉の隅に
蹲り蟠っていたモノが、霧散した。その刹那、風を薙ぐ刃鋼のそれとは別の声が確かに聞こえたと思った。
ほんの、瞬きにも満たないほどの時間だった。
「―――おまえ、」

「ああ、クソ。おれは剣は得意じゃないんだよ」
左手にだらりと剣を下げたまま男が言った。
「とはいえ、こんな雑魚共におれの手の内を見せるのもな」
にかりと、唇が吊り上げられた、ゾロに向かって。
「手の内、」
「ああ。おれはな、"焼く"んだよ。わかったなら、離れるなよ?ロロ、」
ぐいと腕を引かれ、まだ不死者の利き腕が自分の手首を掴んだままであったことに思い当たった。

「ミコヒメに会わせてやる。いこう」
剣を握ったままの男の手が扉に触れ、ゆっくりと虚空が開かれた。


9.
何を想像していたのだと問われれば、返答に窮すことになるのかもしれないけれども。
この、目の前に広がっている光景でなかったことは確かだとサンジは思っていた。崩れた搭の裏手、
荒れた墓所が広がると思っていた場所は柔らかな色合いをした下草に覆われていた。その所々が
薄く青いようなのは、なにかの花が咲いているからなのか。そして、その草に埋もれるように朽ちかけた
石の碑が遠く続いていた。
「以前は、この辺りは白砂に覆われていた。よく憶えている、墓所だけは地面の色が違った」
「あの花、多分。ミオソーティス・アルフェストリスだ」
「花、」
ふい、とゾロが振り返った。

「そう。あの青いの」
言いながら、群生している一角を指す。
あのあたりは、と。眼差しを示された先にあわせたままゾロが言葉を続けた。
ちょうど両親を埋めた場所だ、と。瓦礫から引き出してあそこに埋めた。せめてもの手向けに妹が
よく摘んでいた花を盛り土に置いたが、そんな名前じゃなかったような気がする、と。
ひどく静かな声にサンジが息を呑み。伸びてきた手に髪を弄ばれる。

「学名しか知らないのが、おまえらしいな」
「埋めたって……」
「見つけられた者はムラからここまで連れてきてやった。見分けのつく者は家族と一緒に。どうしても
判らない者は、一人ずつ。おれが、埋葬した」
言葉にばかり気を取られ、穏やかな色の揺らぐ翠にばかり意識を持っていかれ。サンジは、自分が崩れ
落ちた搭の内側に導かれていたことさえ気付かなかった。自分達の背丈までしか、崩れ落ちた内壁は
残っておらず、広い円形の石張りの床はその半ば以上が土に返っていた。

「この下に。霊廟がある」
石床に片膝をつき、告げる後姿にサンジはかける言葉を無くし、ただ傍らに寄った。ゆっくりとその肩に掌で
触れた、続きを促すように。耳に聞きなれない音が忍び込み、それは言葉というよりは何かの結晶のようだと
そんなことを思い。

亀裂にしか見えなかった線が、口を開いた。ぽかりと、四角く切り抜かれる。午後の陽が下へと導く石造りの
階段を照らし、微かな空気の流れが封印を解かれて交わっていた。影のように、陽の射す中ゾロが立ち上がり
ふと息を吐いたのを、そのわずかな背の揺れでサンジは感じ取り、額を預けるようにした。


「なあ、ゾロ。おまえの妹。名前、なんて言うんだ―――?」
だってさ、逢った時。名前で呼んであげたいじゃないか、と。そうっと続けれらた。
その言葉を受けて酷く内の深い場所が軋むように感じ、眼を閉じた。甦る細い、華やいだ笑い声と。いつもどこか揶揄う
ようだった男の声と。いつも冷たかった水の流れ。水車のたてる眠気を誘うような水音。そういった全てに不意に瞼の裏が
熱を持ち、ゾロは唇を噛み締めた。








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