3. 「足元に気をつけろよ。ここは元来ヒトが降りるための物じゃないからな、勾配が奇妙だろう?」 ぼんやりと、不死者が手にした燭台が影を長く壁に沿わせ下から流れる空気に揺れていた。 「急すぎるんだよ。これは、少しでも早く降りるためだけのモノだからな」 湿った壁に手をついて、どうにか下へと段差の大きすぎるほどの石組みを下りながらゾロは前を行く不死者の 背中をみつめた。黒の上衣をゆるく纏い、まるで野原を進むかのように何の気負いもなくみえるそれを。 「おまえは、ここへ来たことは?」 「ああ、あるよ。一人めの守人を屠ったときに」 そのとき。なにかが揺らいだと思った。この男の常にもつ諧謔に紛れた何かが揺れたと。 「おい、エ……」 「そのときの連れは面白くもない死体だったが。ローロ、安心して足滑らせて良いぜ?いっくらでも抱きとめて やるからな」 にかりと。振りむきざまそう言い、口もとが引き伸ばされた。明らかに、からかって楽しんでいる風で。足を滑らせた 振りでもして突き落としてやろうかと、ゾロは一瞬真剣に考えかけたが。そんなことをしたら、逆にそのまま背負われ かねないと思い直し小さく首を振った。 いつまでも続くかと思われたその勾配も、やがて底へと導き途切れた。 目の前に広がったそれは。順番に、広い円形の部屋の隅に誰の手もかりずに火が灯されてから初めて朧な輪郭を 現し始めた。隣に立つ男をみやるようにすれば、微かに得意げに指を小さく鳴らして見せた。そして、その音と連らなる ように壁に備え付けられていた人の腕を模った火皿に、明かりが灯されていった。それでも。圧倒的な量の空間を前に、 その火は逆にこの墓所の大きさを際立たせるためだけにあるようにも思われ。ゆっくりと瞬きをした。暗がりに眼を慣らす ために。 そうして、暗がりに慣れ始めた眼が見出した。 棺が。石造りのそれが、等しい間隔でもって並べられているのを。そして、その傍らには必ず長剣がひっそりと横たえ られているのを。 「ヒメはみな、なかで眠っている」 変わらぬ姿のままで、そう続け。棺へと不死者が一歩を踏み出した。促されるように後に続きその石棺の蓋が半ば 透けていることに気付いた。中の姿が朧に見えるほどに。 「眠って―――?」 「たまァに文学的表現を使ってみたらコレだよ」 つい、と不死者がゾロをみやった。ちかりと、闇色よりも濃い双眸に光が掠め。すう、と唇を吊り上げ笑みを作った。 これはただの抜け殻だ、と。石棺の一つにその手を滑らせた。 「けれど、まあ。キレイなものだな。おれの記憶にある姿と何一つ、変わらない」 「ヒメの髪はみな、白くなるものだと思っていた」 ぽつりと漏らされた言葉に、不死者が小さくわらった。オマエ、おれの姉の変成は珍事だとさっき言ったばかりだろう、と。 二対の眼差しの先には、頤の長さで切り揃えた黒髪をした「ヒメ」がいた。朧な姿でも高く通った鼻梁や、まだ淡く色を乗せる ような唇の描く滑らかな線が見て取れた。 「ならばこれはオマエの、」 「ああ。よく見てみろよ、おれに似て美人だから」 軽口には答えず、見つめ。 美しい人だ、とそれだけをゾロは言った。 「ヒメはな、」 男の声が霊廟に低く響いた。幾つも並ぶ石棺の間を抜けていくようだった。 「このムラの"贄"だ。時を詠み地を詠み、導く。おれたちの足場は酷く脆いんだよ、知っているか?ゾロ」 す、と眼差しが石棺から自分にあわせられたのをゾロは感じとった。 「おれたちのようなモノは不死者の中でも異能だ。他の族とは違う。彼らは陽を仰ぐことはできない、代わりに おれたちは眷族を作ることができない、彼らは―――」 ふい、と不死者が口を噤み。やがて、ゆっくりと息を吐いた。 「おれたちは、この場所が断ち切られれば。永遠に彷徨う。ナミが言っていなかったか?一番の恐怖は孤独だと」 答えようとして始めて、自分が唇を噛み締めていたことに気付きゾロはただ、頷いた。あのときのナミの瞳は底が見えない ほどの深い色をしていたと思いながら。 「おれたちは、自らは変成を選べない。血が、オマエたちの中から選び取る。オマエは、もしかすれば血を運び継いでいくだけ の器であるかもしれない。ヒメもそうだ、自らは選べない。贄となってこの地に繋がれ、長すぎる生をヒトとして過ごす事を選ぶ コドモがどこにいるよ……?」 「こども、なのか。先のヒメも……?」 微かな記憶にある姿は、抜けるような白過ぎる肌をした、まだ幼かった自分の畏怖の対象でしかなかった。 「みな、14、5で変わってしまう。先のヒメもなんの例外でもない」 深い翠の眼差しが自分にあわせられるのを受け、不死者が頷くようにした。 「負うには重過ぎる荷だと思うか?だからモリヒトがいるのさ」 剣があるだろう、と歌うような声が続けた。 「ヒメが亡くなると、霊廟の石棺に抜け殻を収めるのはモリヒトの役目だ。最後の祈りを捧げて自らの剣で心臓を貫く。 モリヒトはな、完全な不死者ではないんだ。おれたちのムラの者でもない。ただヒメのためにだけ生き、守護し、死ぬんだ。 ヒメはヒトとしては長すぎる生を与えられ、モリヒトは命数に満たない内に自らの手でそれを断つ」 半ば眼を細めるようにし、男が言った。オマエにそれができるか、と。 なにより、オマエの妹がそれを許すと思うか、と。 「おれも詳しくはしらないが。古い契約があると聞いた。頭首と、その盟友の間に。モリヒトはな、決まって一つの流れから 選ばれる。なぜ選ばれたからといってそんな命運を受け入れるのか、そんなことも知らない、だからおれに聞こうとしても ムダだぞ?」 向けられた表情の先を読み、不死者が口調を変える。 「モリヒトは、男と決まっているわけでもない。おれも、何人か女のモリヒトを見たよ。一様に、刃金のように美しかった。 風の流れていく先、そのただ一点だけを見つめるような潔い眼をしていた」 そしてわずかに首を傾けるようにし、石棺の蓋にその掌で石の冷たさを確かめでもするように触れた。 おれもほんの僅かの間、モリヒトの真似事をしたがいつも”ヒメ”とは口論ばかりだったな、と男が笑みを浮かべた。 「容赦が無い。口で負かされて、そのうえ手まで出てきた。ひでえオンナだ、」 「オマエを負かす?」 「ああ、一度も勝てなかった」 酷く驚いたような相手の声に男が目許でわらい。身体を折ったかと思うと、石棺の蓋にそうっと唇を寄せていた。 「貴女に、安らかな眠りのあらんことを。」 ふい、と眼を閉じ。ゾロも同じ思いを祈りの言葉に乗せていた。この廟にある、すべての者に向けて。 「エース、」 剣だけを残してモリヒトの肉体は消えるのか、とゾロが呟いた。 その眼差しは暗がりの中でも光を返す刃金にあてられていた。それを受けて不死者が背を起こすのを視界の隅に 捕らえながら。 「消えはしないさ、砂塵になってこの廟に残っている」 おれたちの足元に、と。 「無に帰ることも許されない、いつまでも共に在る。この廟の石床は、なんの継ぎ目もない鑑のようなモノだ」 探せば、身に付けていた石なり指輪なりあるかもしれないな、と。 「あるいは、ヒメの棺の中に」 ゾロの言葉に、不死者がまた声に出さずにちいさく笑った。 あー、ロロ。偉いな、やっとわかってきたじゃねえか、と。 next for more information about this series going back back to story |