5. 「ゾロ、搭でなにをみたの―――?」 寝台に横たえられたままの姿勢で少女は瞳をあわせた。いままさに、自分をそっと横たえた相手を。 つい、湯殿に長居をし、留まりすぎて。辛そうな様子を隠しきれなかった妹を抱き上げゾロは私室まで運んできていた。 その頬に指で触れ、ゆっくりと撫で下ろした。 「たくさんのものを見た」 そう告げる。 「目で見えるものも、そうでないものも。刻んできた」 「私も、さっき言ったことはウソじゃあないから」 逸らされない眼差しを受けて、ゾロは微かに笑みを浮かべた。 「おまえが。おれを選ばないということか―――?」 「お姉さんと、エースと一緒に。もうここを、出て行ってもらいたいけれど。そうしてはくれないんでしょう?」 子供の丸みの残る手が、自分の頬を撫でる兄のそれに添えられた。 「搭の地下にある墓所で、ミコヒメとモリヒトをこの眼でみてきた、」 言葉に、ゆっくりと少女が瞬く。 「どのヒメもみな、いまのおれの年頃に見えた」 さらりと、添えられていただけの妹の手が。自分の甲を包む込むようなのをゾロは感じながら、言葉を続けた。 「もう、二とせ。おまえを、護らせてくれ。せめて―――」 言葉が途切れた。 「私、」 ゆっくりと紡がれる音に、ゾロが瞳をあわせる。穏やかにうごく唇。 「いろんな声が、聞こえる。死んでしまったひとたちの。夜、目を閉じていると声の壁に包まれるみたい。でもね―――? 怖くないの。どの声もみんな、やさしい。母さまの声みたい」 「―――そうか」 「うん」 蜜色の髪を指で梳いた。何度も。 「でも、うれしかった。ありがとう」 自分に向けられた笑みに、ちいさく笑い返した。 「ああ、何度でも言うぞ?」 上掛けを、肩に引き上げながらゾロが言った。 「1けれど、驚いたな。おれは呪などすぐには覚えらはしないとあのオトコにさんざんからかわれたのに」 「エース?」 「ああ」 あの人、お姉さんに怒られてたわね、と。また少女がわらった。2人の着替えを持ってきた薬師に、いきすぎた 悪ふざけだと手酷く窘められていた姿をゾロも思い出す。 「あれほど賑やかな不死者もいるンだな?」 にかりと、わざと口調と笑顔を真似てみせる。 くすくすとわらう妹の額に口付けをおとし、座を立った。 「2人とも、明日には発つそうだ」 「お姉さんにまた会えるかしら、」 「薬師は呼びにやらせよう。おやすみ」 笑みを乗せたまま、扉を抜け出た。 そのまま、自室へは戻らず中庭へと出た。 夜気に冷え、木々が静まり返るように影を濃くしていた場所へ。 明け方にちかいほどの時間、自分の他に目覚めているものはいないほどの静寂。 石造りのベンチにそのまま身体を預けて座った。 自分の見たモノ。聞かされたもの。目にしたもの。 ほんの数刻で、あの閉ざされた場所で見聞きしたことは何かを大きく変えたのだろうと。 それだけは、はっきりと自覚できた。 「In tod und leben, nichts kann uns scheiden」 石棺に触れ、不死者が呟いていた。 「―――なんだ、それは?」 もう一度、繰り返された。訝しげなゾロに向かい、不死者がゆっくりと。この男にしては途方もないほど緩やかに 腕を差し上げ、左胸のあわせから、ふつりと。なにかを引き千切った。細い白金の鎖が、暗がりに白く浮かび上がり、 しゃらりと音をたてて、石棺の上に置かれた。鎖に通されていた指輪とあわせて。 「―――覚えたか、ゾロ」 「いまの言葉をか?」 「ああ」 頷いた。 「そうか、ならばよし」 す、と暗がりよりも濃い黒紅色の眼差しがあわせられた。 「意味はモリヒトにでも訊けばいい。これは永世を誓うコトバだ。おれも、真似事とはいえヒメを護る時に誓った。 ずいぶんと昔のことだ」 「この場所に立てば、尚一層。その意味がようやくおれにもわかる気がする」 ぼう、と言葉を受けたかのように、灯されていた炎がわずかにその明るさを増し、生きている二つの影を照らしだした。 「このコトバはな。容易く口に上らせるなよ?」 不死者の双眸に光が掠めた。諧謔の兆し。 「一夜の夢に。与えられた腕に、たおやかな甘い重みに。みだりに洩らすな」 「これは、呪だ。オノレも相手も取り込む。告げてしまえば、滅びるのはお前一人ではなくなる」 「エース?」 「意味がわからねェか?バッカだねぇ。覚えておけばいいンだよ」 あのなぁ、と一呼吸おいて、にかりと。わらった。 「同衾した相手ぜんぶに言うんじゃねえぞ。いいか、若サマ」 唇を笑みのカタチに引き伸ばしたまま不死者がさらりと。ゾロの頭に手を休めた、ほんの一瞬。 「これはな?モリヒトがヒメに、おれたちがハンリョに告げる言葉だ。相手を選べ」 「あれは、」 ゾロの眼が。石棺に置かれたままの指輪に向けられた。なんだ、と問う。 「おれが、このムラを出るときに姉から受け取ったモノだ」 ふわりと。男の目元が和らぎ、わずかの間。視線が無い影を追った。 「おれは共に滅んでやることができなかったから、せめてもの形見分けだな」 「おれも、いつか。この墓所に長すぎる不在を詫びに、戻ることになるのか?」 「それはオマエの血にきけよ」 不死者が。さらりと離れ。そろそろ戻るぞ、と告げた。 もうオマエがみて面白いものはないからな、と。 声を受けその流れた視線を追い、先の姫の棺の隣。 ゾロは。目にした。 先のヒメの隣に据えられていた、空のまだ新しい石棺。 それを眼にした瞬間、湧き起こった深い憤り。 せつな、 火皿で灯されていた炎がたてていた微かな音も。 自分の足下の固い石の感触も。閉じ込められた空気の匂いも。 無数に並んだ棺が揺れていた影さえ、一気に自分から遠ざかったと、 そして、「みえた」。 男が、立っていた。後姿。 わずかに、俯いたような背の角度。砂色の髪をした。 立ち尽くしていた。 絶望的なほどの飢えと。渇きと。そして同じほどの深い感情。そういったものの、中心にただ一人。 その足元には砂塵と、黒く広がる染み。 血だ、なぜかそう確信した。 足元の血溜まりをあの男は見据えているのだと。 何もかもから、酷く離れた後姿。 奪ってきた生の重さを見据え、そして身動きすらしようともせず立ち尽くしていた。 その、失われた生のさなかで。 あれがモリヒトなのか。 長く下げられた右手の長剣が、刃先が地に触れるほど伸びる。ゆらりと、揺れた。 ヒトではない、と不死者が言っていた。 そして、完全な不死者でもないのだ、と。アレは。なんだ―――? ゆらりと、また剣が揺れた。 ナミが、言っていた 孤独がなによりも恐ろしい、と。 その男の。唇が動いたのが見えた。 なぜ眠りの邪魔をする、と。 わずか、瞬きほどの時間だったのか。 ぱしん、と目の前で指が鳴らされた。 「何を呆けている?」 僅かに眉根を寄せた男が、目の前に立っていた。 瞬きをした。ここは、霊廟で。あの白々とどこまでも拡がった景色でなど、あり得るはずがなかった。 「ここは、」 「墓場だ」 ふ、と不死者の表情が和らいだ。 「お子様はもうお眠むの時間だったな、すまん。帰りは詫びとしておんぶしてやろう」 機嫌の良いネコがわらえば、こんなカオを作るだろうと。呆れ返りながらゾロは溜め息をついた。 照れるな照れるな、その方が早いぞ、などと。霊廟を漆黒に戻しながら、場違いすぎるほどの。 陽光の下こそが似つかわしい声が告げてきた。 それに伴って、目にした幻のことを。話す機会を失ってしまっていたけれども。 石の階段に足をかけ。ただの闇に戻ってしまった墓所をもう一度振り返った。 祈りの言葉を、最後に告げるために。 In tod und leben, nichts kann uns scheiden 生も死も、その他のなにものも 我らを引き離すことなし。 next going back back to story |