8.

「ゾロ。ナミが、どこにもいない」
自室で眠るゾロに、涙を含んだ声が翌朝早くに語りかけた。
ベッドの足元に何匹かで固まって眠っていた犬達も、側までやってくる小さな姿の方へ顔を
向け黒い鼻面で頬をつつくようにしても。いつものようにその顔に笑みを浮かばないことを
悟ると、主人を不安気に見上げてきた。



見上げてくる犬達にゾロは、”下りろ”と小さく告げ。石の床に着地するその爪音が、軽やかな
リズムを取る。小柄な立姿の肩の辺りに犬達はその頭を押し付け、ようやく柔らかな手が
触れてくるのを確めると、主人の護衛に一匹を残し扉の外へと走り出ていった。
「屋敷にいないだけだろう?」
自分もベッドから下り、妹にそう言っても。
ただ、少女は首を横に振り。
いつも逢う場所にナミがあらわれなかったのだと言う。
「わかる。ナミの気配がどこにもないの」



「そうか。なにか用事でも出来たんじゃないのか?おまえに黙っていなくなるなんてことは、
あいつはしないだろう」
「うん、」
さらさらと。蜜色の髪を指で梳く。そして、その長い束をわざと乱すようにし。
ほら、着替えるんだから出て行け、と。笑みを乗せて言った。



けれども。夕暮れ間近になっても探した姿はどこにも無かった。館に逗留中の誰に尋ねても、
その行き先を知っている者はいなかった。皆、一様に首を横に振り、またいずれ逢える、
とだけ告げてきた。自分を見上げてくる視線を感じ傍らにゾロが眼をおとせば、薄く涙で紗が
かかったような瞳とみつめあうことになった。



「どうした―――?」
「もう、あえない気がする」
「ばかなこと言うなよ」
その頬を撫でる。
「おいで、」
小さな体躯を抱き上げた。固く回されてくる子どもの柔らかな細い腕。
「境界の丘まで連れて行ってやるから」



「私のじゃいや。ゾロの馬にして?」
「ああ、」
答えながら小さく笑い、中庭を抜け厩舎へ向かった。
あの馬は自分が一緒の時ではないと触らせてもくれないのだと、抱き上げられたままで
言ってくる妹の髪に隠された耳のあたりに軽く接吻する。デアデビルはおまえのことが嫌い
だからな、とからかうように言うと、途端に子どもの手に髪を引っ張られた。



漆黒の駿馬を引き出させ、陽の沈んでいく方角へ走らせた。
落ちていく夕日を追いかけさせるように、境界へと。






9.

「ゾロ。ナミは優しかったの」
その髪に手を滑らせる。丘の頂、馬は傍らで静かに首を垂れている。
「他のおとな達と違って、私にいろんな"国"の話をしてくれた」
「そうか、」
風が吹く、その麻色のスカートの裾を音をたててはためかせるほどに。



「海や、水路のある街や、古い神殿のある南の王国とか。そういう話」
「おまえはナミが、好きか?」
「うん。ねえ、ゾロ。あの細い石畳、」
淡く色づいたような爪先が、宵に紛れてしまいそうな、長く森へと丘を降り続いていく道を指す。



私には、みえる。ナミは、あの道をまっすぐに抜けていった、と。



落下する夕陽に、自分たちの姿も赤の照り返しに染まる。
傍らの、優しい頬の線もまるで鮮血を浴びたかのように赤く。不意に手を伸ばし、
自分の前にその身体を引き寄せた。背後から抱き込むように、赤い光から遠ざけるように。
そして、告げる。



「おれが、不用意にナミに近づきすぎたのかもしれない。あいつが、いなくなったのは」
「ゾロ、」
小さな声。
「ナミは、私たちとは違うんでしょう?私も、ゾロとは違うんでしょう?父様も、母様も、
誰も、私の名前を呼んでくれなくなった。それは私が、違うからでしょう、"見る"から?」



「私ね、いろんなモノが見えるようになってきた。ナミがここを通って行ったのも見えるし、
やって来たときのことも、多分もう来ない事も、同じように、みえる」
回される腕に力が込められた事を、少女は感じ取る。そして、その頭を背後に預けた。
「オトナになったゾロもみえる」
「その事を、父上には―――?」
頭が横に振られた。



抱きしめた腕は緩めずに、言葉に乗せた。
「なあ?おれも。ナミのことが好きだよ。あれは良い不死者だ。おまえとは趣味が合うな」
腕の中の小さな体が、笑いで揺れ始めたのを感じ。
一層抱きしめた。



「また。逢いたいよな」
「今度もナミに"プロポーズ"するの?」
首を捻り無理矢理に見上げてくる笑い顔。どうやら自分も覚えていない昔話まで
妹にナミは聞かせていたらしい、とゾロは諦める。
「チャンスが在ればな」



笑いながら。
二人だけで、見えない影を丘の頂から見送った。



どこかで、漠然と。知っていた。
叶わぬ願いだとは。






10.

「おまえさぁ、」
声が届いた。常とは違い、自分より高いところから降りてくるそれに意識をあわせる。
なんだ、と答え。
リネンのシャツの合わせ目にかるくハナサキを潜り込ませるようにする。



吐息をひとつ、呑み込む音がする。
そのまま、自分の頭を抱き込まれるようにされ、ちらりと。ゾロに掠める。記憶が。
「ずっと、気になっていたんだけどな、」
さらりと。その指が頭蓋にそって滑り。
ああ、と思い当たる。



………こいつ。
ゾロは胸のうちで苦笑する。
これで"ひたい"にでも唇が触れてきたなら、まるっきり、"変成前"と同じじゃないか、と。



「なんで、あのとき。おれの後をついてきたんだ?」
「美味そうだったから」
ひどくあっさりと戻ってきた答えに、サンジの方が一瞬黙り込んだ。
「―――――おまえなァ、」



その返された口調は。それ以上問い掛けても、いま以上の返答は返ってこないと
予想させるもので。真実が2割、諧謔が4割、愛情が4割の成分比。



「おまえ。ネコのときの方が、よっぽどわかりやすかった」
揶揄ようなそれに、腹立ち紛れに雑に抱き込んだ頭に顎をのせる。
やがて、とんとん、と人差し指で肩を軽くノックされた。



「―――オイ。窒息させる気か」
無視していたなら、胸元。布地越しにかるく牙を立てられた。
突然の事にサンジの半身が跳ねあがるようになるのを、いかにも楽しそうにわらう。
「ゾロ!」
「わかりやすくていいだろ?」



腕の緩んだ隙にするりと。
いつの間にか真近で見つめてくる金色の虹彩。
すう、と拡がり。夜の暗さと遠くの炎と、全ての色を溶かし込む。



目許に、唇で触れられた。
「おれが。変成したのは"魔女狩り"のごく初期の頃だ。その間には一度も、
"戻りたい"とは思わなかった」
「―――ゾロ?」



言葉の代わりに、口づけが降ちてきた。





もうすぐ夜が明ける。平原を朝陽が横切っていくのは、"生命の生まれる瞬間のようだ"と
血族は言っていた。おまえにも見せてやるよ、と。
熾火を靴底で消し、ゾロが言った。











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