Step 3:
まだホンモノの死体の方がきっとシャンとしていることであろう。
船首では相変わらず腕をだらんだらんにしたまま、唇に火の消えかけたタバコを挟みサンジが手すりに
ぶらさがっていた。
「なんか、おれ。もてあそばれてねえ?」
くすん、と思わずやさぐれから拗ね坊に退化しかけたまさにその時。

奇跡の動体視力を誇る双眸は、きっかりと捕らえたのである。
埠頭から桟橋に向けてまっすぐやってくる「美女」の姿を。遠目からでも女性にしては背の高い、
そうまさに「ゴージャスなオンナ」が背後に箱を盛大に抱えたポーターを従え歩いてくるのを。
サングラス越しでも彼女の視線は他の停泊中の客船にではなく「メリーさん」に向けられているのさえ
わかるらしい。瞬間芸。神の奇跡。ほら一気に死体がラブコックに早変わり。

「あなたはもしや、ミス・ヴィーダ?」
船首から両手を伸ばさんばかりに呼びかける。
ひらひらと、美人の右手が振られた。
「ようこそレディ!いまお迎えに参上しますよ」


さて場所はラウンジ。
勝手知ったる、という風情の美女はさっさとポーターに荷物をナミの部屋に運び込むように言いつけ。
招きに応じて自己紹介もそこそこにさっそくお茶を振舞われていた。
「どうぞ、」
音もなくカップが供されるのにゴールドベージュに煌めく唇が特上のラインを模り、
甘やかにかすれるような艶めかしい声が乗せる言葉は。
「ありがとう、ダーリン」
日向のネコより幸福そうな笑顔をサンジが浮かべる程度には極甘口。
「想像以上にカワイイ子ね、あなた。楽しみだわ」
「……へ?」
がたたたたっとイスから飛び上がり。
おばかさんはやっとまた思い出したらしい。「ヴィーダ」=「お支度」の方程式。
死体になっていると、どうやら脳は秒速で退化してくのかもしれない。

蒼白になってしまった「かわいいダーリン」を前に美人は紅茶のカップを笑みを刻んだままの口もとに運び、「に、逃げるか?」とほんとに今更なことをサンジの脳が思いつきかけたとき、ナミがひょっこりとドアから入ってきた。

「ヴィーダ!」
「ナミ!」
ぎゅううううう。大抱擁。
オンナノコの挨拶はいつみても愛らしい、なんてサンジがまたうっかり目の前の幸せに全てを忘れている隙に頬を寄せた両名といえばしていたのは悪魔の相談。
「(はやく始めちゃいましょう。このコそうとう手強そうよ?)」
「(やっぱりわかる?変なところ頑固なのよ)」
「(とにかく荷物は全部、ハニーの部屋に運んであるから。あなたのドレスもね)」
「(うふふ、ありがと。じゃあさっさと連れてっちゃう?)」
「(そうしましょう。そのまえに、ちょっとショック療法ね)」

「ダーリン?」
ヴィーダが振り返る。
「な、なんでしょう、レイディ?」
「大丈夫、心配しないでダーリン。あなたも私くらいキレイにしてあげるから」
「……は?」
「"だっておれも、むかしはオトコだったんだぜ?"」
「ÛÆ¢€ÑØð!!!!」

半ば意識不明のニンゲンを引き摺っていくことくらいナミとヴィーダにとってはなァんてことないない。
そうじゃなくても軽いので。ころころころと笑いながら、美女二人はさっそくに「ダーリン」をいとも簡単に部屋に連れ込んだのである。


「ヴィーダ?」
ああ神様、どうかおれの声が震えていませんように。憧れのナミの私室の壁際に追い詰められたサンジが祈る。けれど世の常、その祈りはあっさり裏切られていた。
「なあに?ダーリン」
可憐に首を傾げるこれが「元」男だ何て誰が信じるんだろう。ああ悪夢だ、悪夢に違いない。
たのむ誰かウソだと言ってくれ。サンジは脳内でも非常に饒舌であった。
磨きこまれた銅鍋よりキレイに光を跳ね返す赤銅色のまっすぐな髪が、円やかなラインを描く肩に沿って流れ落ちる。
「先ずは気持ちから、ね?」
蜂蜜のようなスウィート・ヴォイス。その手には。紛うこと無くああそれは、シルクのストッキング。
そしてなに?なにもってるの、え??ガーターーッ?!
「ヴィーダ!」
ぎゃぁぁあ!とサンジ声無き叫び。
「うふふ。諦めなさい」
ナミの。ここまで邪に嬉しそうな声を初めて聞いたかも知れないと遠のく意識の隅でサンジは思っていた。

「ダーリン、いそがしくなるわよ?」
ああヴィーダ、麗しの君。
いやこれが常ならば。こんなに蕩け出しそうな微笑を例え昔は野郎でもいまじゃあ立派な紛うことなき
美しいレディから向けられたならなにがあってもそのコの願いは叶えてあげなきゃ騎士道精神の風上にも
おけやしないがちょっと待て!
「あなたの愛に迷える騎士はレディになったりしないでしょう?!」
壁際に追い詰められ尚も喚くサンジに。
「ん、もう。往生際が悪いわねぇ、"スイ―ティ"」
歌うようにナミが言葉を受け取り、薄い大箱をぱかりと開けた。途端にその表情に光があたる。
体内女優ライトが点いた模様。
「さっすが!」
「でしょう?マクウィーンのオートクチュールだもの。完璧なはずよ?ドレス」
視線は壁際の子羊にあわせたまま、ふんわりと美女がわらい。
サンジ、ざああああっと本日2度目の血液逆流。

「あ、ナミさん、きみの?」
口調すら既に怪しい。
さらりとナミが振り向いた。その手には、なにやらたおやかな繭色のシルクの光沢が。
「あら。私はこういう色着ないもの、」
うふふふふ、と声だけ聞いていれば乙女なのにねそのお顔はコアクマだ。
「私たちきょうは、黒でいきます」
ねぇー、とヴィーダとみつめあいにっこり、などしており。
サンジ、声なき叫びの前に酸欠状態か。

くるりとヴィーダが向き直り。ぺリドット色の瞳は星を確実にさっきよりも宿している。
「ん。私の目算からしても、サイズも完璧ね」
にっこり。
サンジも連られてにっこり。けれどもすぐに、
「……え?」

にこにことナミが補った。
「野生のカンっていうか、なんていうのか。いくら何でもサイズなんて聞けないじゃない本人に。
確かすぎる筋から仕入れたんだけどね、」
「うんうん」
きゃっきゃとここは女子大の昼休み?な空気が漂い始め。
嗚呼嬉しいのに何故だかどうしてもいますぐにでもおれァ海に飛び込んじまいてえ、とサンジは半泣き。
そして案の定、真相を知るに当たり、入水願望は抑えようが無いほどにまで高まった。おまけに今度は
血が全部アタマと顔に集まったらしい。ぐあんぐあんと鐘が鳴り響いている。脳内で。

ゾロである。
どこまでもどこまでも天性の野生の五感の持ち主はナミの質問に完璧に答えていたのだ。
目算に体感の微調整を追加して、人体の測定ポイント全て。数字ではなく実際の感覚をナミに言われるまま空気中に再現していただけだったのだが。

「あ。」
そしてサンジも思い出す。チョッパーが健康診断の一環、と称して約1月ほど前妙に細かく自分を除く全員の採寸をしていたのを。そんなのに付き合う暇はねえと、適当な数字を並べてココアを渡して済ませていたのだ、自分は。
「は、測られとくんだった……」
「ふふ。照れやサン」
ヴィーダが頬にさらりと手を滑らせ。

もうだめだ。もーうダメだ。おああ、もうだめだァ!諦めるか、いっそ諦めちまうか、おい。
ああ、アドレナリンがしゃべりだしたぜ。ふらつく理性の奥の方で声が聞こえる。
あきらめろ、ぐだぐだいうな、オトコだろうが
ここでレディの期待に添えなきゃ男じゃねえぜ?!

「……わかりました、」
サンジが両手を天井に差し上げる。
「仰せの通りにイタシマス、マイ・レイディ」
「イイ子ね、ダーリン」
ちゅ、と美女がご褒美のキス。
「そうと決まれば、」
ナミが高らかに宣言する。
「ティティ!お待たせ。入ってきてー?まずはエクステンションからよ」
はあい、とまたまた可愛らしい声と。チェリイ・ブロンドのこれまたコケティッシュなお嬢さんが両手に何やら大きめのヴァニティケースを幾つも下げて入ってきた。

「ダーリン、よろしくね?」
小首を傾げて小さく投げキス。
無言でヴィーダに視線を投げれば、そうよ、とでもいうような笑みが返される。
ああ、こんなにカワイイ子に囲まれてるのに。囲まれてるのにああチクショウ。
ナミさん以外は人工モノかよ?!いやナミさんもか?!まさかそりゃねえだろ、おいおれ。
渦巻く頭でそれでも力なく微笑み返す当たり。さすがといえば流石か、バースデイ・ボーイ。


それでも。
扉の外に。
「ヴィーダ!そりゃァねえだろおい!」とか
「ひゃあ」とか
「マジかよ?!」とか
「こんなメにあうとは……」とか。
声なき叫びとか。≪レイディ≫たちの感嘆の声とか。いろいろと、聞こえてきておりました。


それでも、いっせいに。最後は。
暮れなずむ空のした、
溜め息にも似た嘆声が聞こえてきたのでございます。





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