Step 5
じゃあ、と笑いあってジーンとはコートヤードへと開かれた回廊の前で別れた。
この島で最初に建てられたとかいう古い修道院を基に増改築を繰り返し、今では豪奢な宮殿のようになって
しまったこのホテルではあるが。回廊の向こうには広い庭が続いている。その名残をわずかに感じさせる、
一切の装飾を排して植物だけで彩られた場所。そこを抜けると、また人工的に手を入れられた小道が緩く
カーブを描いて続いている。時折、ヴィラのナンバーを刻印された石のプレートが現れ、道が分かれていく。

空はもう色を濃くしており、分かれ道ごとに点々と蝋燭の小さな灯かりがともされていた。
遠くから木立を通して稀に水音が聞こえ、「プール・ヴィラも、中々よ」とジーンが言っていたことを
思い出した。この空の色からすると、現在は午後6時半過ぎ、といったところか。
ジーンから渡されていたキイのナンバーにちらりとゾロが眼を落とし、少しだけ歩調を速めた。



うふふふ、と女の子の笑い声が羽根のように自分の頬のあたりを掠め滑っていく。
さらさらとした絹擦れの音と。腕や指先が動くたびにあまく立ち昇ってくるトワレの香り。
本来ならば、ここは楽園であるはずだ、自分にとっての。ああなのに。溜め息を押し殺し、大人しく
眼を伏せたまま、サンジが「まだですか」と声に出す。
「まだよ、あともう少しだからダーリン。大人しくしてて」
頤に掌を添え、言いつけ通りに大人しくしているサンジの顔を心持ち上向かせるようにさせたまま、
うたうようにヴィーダは囁いて最後の仕上げに余念がない。
「いまね、アイラインにほんの少しだけグリッターをのせてるの、眼をあけたらいやよ?」
「……はい」
わずかに瞼がそれでも時折震えてしまうのにヴィーダが口元だけでわらった。
「くすぐったい?」
「そりゃあね、いくら美しい君の御手によろうとも」

ヴィーダの横に立ったティティもくすくすと笑う。サンジからは見えないけれど、ナミも極々満足そうに
笑みを浮かべて椅子に座りそんな様子を眺めている。オンナノコたちのドレスアップは完璧に終了して
いたようだ。
「ティティ、」
「なあに?ダーリン」
「タバコ吸いたい」
「ゼッタイ、だめ。あのねぇ、ハニー。せっかくきれいにグロスだけでその唇、仕上げたのよ?
芸術的なんだから。そんなこと言わないの。落ちちゃうじゃない」
ぷう、とティティの頬が膨れる。

「アタマが重い」
「そんなことないの。ほんとはもっと長いエクステンション着けたかったのにガマンしてあげたんだから。
あのね、その長さでそれだけの編み込みつくるのどれだけテクニックがいるかわかってあなたそういうこと
言ってる?」
「うー……」

どうやらティティに一番懐いたのか、なんのかんのとサンジが更に言い募るのを聞きながら、ヴィーダと
ナミは眼をあわせてにこりとした。最後にふわりと大きなブラシで目元を撫でるようにし。
「はい、おつかれさま」
ぱちりと開いたサンジの双眸に、蕩けそうな笑顔をした美女3人が映った。
共通している点は、美人ということと、ドレスの色が黒だということくらいの三者三様振り。眼でいただく
ご馳走にサンジもにこにこと笑みに崩れる。とりあえず自分が繭色のシルクのドレスを着せられ顔には
完璧な化粧を施され、肘上までの長手袋まで嵌めさせられていることは、どうやら脳から排除した。
「ああ、お綺麗でいらっしゃる」
「「「あなたもね。」」」



チーク材の扉を開いたときにみつけたエントランスのコンソールに置かれていたメッセージは、ナミからの
ものだった。その1.時間になったらホテルの人間を迎えに寄越すからそれについてサンジを船まで迎えに
行くように。その2.招待状は2通あるのできちんと持ってくるように。忘れたら殺す。その3.エーデン一族の
屋敷は島の反対側にあるので、現地で会いましょう。以上。まるで声でも聞こえてきそうな文面に微かに
頬に笑みを刻むと、幾つもあるドアを開け、何故だか大量の荷物の運び込まれているドレッシングルームを
見つけた。

そして頃合に迎えにきたホテルのスタッフに。
「ああ、調度良かった。きみ、カフスを留めるのを手伝ってはもらえないか?」と目元に笑みをのせて腕を
差し出したとき、なぜ彼女が突然うつむいてしまいそれからずっと顔を上げなかったのか、ホテルの車寄せ
まで進む間に通り過ぎるゲストが何割か固まるのか、この偽紳士は一切関与しなかった。



じゃあ、私たちは一足先にホテルに戻って、そこからパーティにでかけるから。
あとでね、サンジくん。
後であいましょうね、ダーリン。
タバコすってたら承知しないわよ?ハニー。
口々に言いながら美人達はひらひらと手を振り、船を降りて行き。
そろそろすっかり日の落ちてしまった甲板で、サンジは一人お見送り。

そして。
オンナノコって、タイヘンだな。
そんなことを思っていた。いくら長くて後ろに裾をだらだら引いてはいるけれど、こんなに動きにくいんだ
オンナノコの服って。とか。(自分の着ているのが身体に添うようなストレートラインのドレスであることなどは
サンジの関与することではなかったらしい。ましてや、そこまではさすがにサンジでも命懸けの抵抗をされる
と踏んだのか、あらかじめドレスにはマクウィーンのクチュリエの誇るマエストロ達が「とてもスレンダーな
レディ」のために技巧を尽くして人工的に女性的なラインを描くようにカッティングや縫製だのを施していた
ことは当然の如く知らない。)
肩がすーすーするなあ、とか。(惜しげもなく絶妙のカッティングで肩はキレイに出ていた。)
よく首が重くねェよなあ、とか。(大粒のバロックパールを10連以上重ねたチョーカーがすんなり長い
お首の半ば以上を覆っていたのだ。)
睫まで重くねェ?(そりゃあ天下の美女直伝のメイク。伝説のディーヴァ、とまでいわれるオンナであるから
して、なにしろ。)
どこまでもやはり天然であった。
ナミの、「今夜は黙っていなさい」宣言はなるほど正解であったかもしれない。

「疲れた。はやく来ねえかなぁ、」
ゾロのアホ。
船首の手すりに背中を預けるようにし、サンジは埠頭とは反対側の海面を眺めていた。



迎えのアシ、はなにやら仰々しい黒塗りだった。
埠頭の入り口に待たせて、ゾロはドアを抜け出る。少しひやりとした風が海から流れてくるのに
すい、と眉を跳ね上がる。あのバカ、甲板にいやしねえだろうな、と。オンナの薄っぺらい服でいつまでも
外に出ていたら寒いだろう、あれはアホだからどうせ自分じゃ気付いていないだろうが。

近づくにつれ、予感が的中したことが明らかになってきた。
ぼんやりと、夜目にも薄あかるい細いシルエットが船首のほうに見える。
「ああもう。なんで中にいねえんだよ、」
小さく舌打ちすると、長い歩幅で埠頭をまっすぐに進んでいった。







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