Step 6-2
降り立つ。
石造りの噴水を中心にロータリーが充分な円を描き、両脇へと流れていく。庭園の方へと。
屋敷は島の端にある、といわれていた。たしかに遠い境は崖にでもなっているのか、僅かに木立の
揺れる音に潮騒が溶け込んでいた。時代がかった装飾の施された石畳。その続く先、正面に。
柔らかなオレンジ色に照らし出された扉の横に、銀鼠色のフロックコート姿。初老の男がまっすぐな
背筋で佇み、屋敷の窓という窓からの灯かりが不思議な色合いをこの場所に落としこんでいた。

自分の腕を取らせ、また微かに視線が逸らされるようなのに耳もとに声を送り込む。
いくぞ、と。ふわりとあわせられた一対の蒼にふと息を詰め、頬に手の甲で触れた。
触れずにはいられなかった。

男が招待状を受け取り、完璧な45度の礼を作る。
「お待ちしておりました、ようこそ。御連れの皆様はもうご到着です」
「美しいご婦人」が目元で微笑むようにすれば、その声のトーンが物柔らかになった。
「おたのしみいただければ、私どもなによりの喜び。さあ、どうぞ」
言葉と一緒に、扉が両側から開かれた。


長い回廊を抜けて行く。
微かに大勢のヒトのざわめきと、音楽が流れてくる。
適度に落とされた灯かりに何もかもがあわく光を纏うようだった。髪も、肌も、絹も。
回廊を半分ほど進んだ所で、偽紳士が立ち止まった。
「どうした?」
隣の美人も立ち止まる。
「ん?ほら、」
ゾロが頤で僅かに示すようにする先には黒いドレスの美女が二人。近づいてくるオレンジと、コッパ―。
ナミが手招きするのに、するりと腕を解き軽く肩を竦めてゾロが長い歩幅で歩いていく。

「……ヴィーダ?」
「フフ。イイコねダーリン。ちゃんと腕組んでたじゃない」
さらりと頬に手を添わせ艶然と微笑む。
「一応基本だろ?」
しょうがねえもん、と返してくるのに更にヴィーダの笑みが深くなる。
「ドレスも無事、ヘアスタイルもよくぞ無事、そこまでは褒めてあげる」
だけどね、ダーリン?
続けられた言葉に途端に赤くなり何か言いかけるのを唇に指をそうっとあてて黙らせた。
「やっぱり唇、落ちちゃったわね。直してあげるからいらっしゃい」

「なんだよ」
「あんたたち、……凶悪だわ」
ナミが笑いを噛み殺すような表情で言ってくるのに、そりゃどうも、とゾロが愛想ナシに返し。
ちっとも気にした風もなく、ナミは上機嫌にころころとわらう。
「凶悪ついでに、はい、これ」
すい、と伸ばされた指先に挟み込まれていたのは。強すぎないオレンジ色、シルクのように張りのある
それでも柔らかな花弁をした、バラ。
「ウィンナーシャルメ、ていうのよこのバラ。ノグジーマから、伝言ね。"せっかくのお楽しみなんだから
居並ぶレディにサービスしなさいな。タキシードには、タイはなくてもブートニアだけは忘れないこと"」
「ブートニア?」
すい、と首を微かに傾けるのは思わずナミも見惚れかけるオトコマエ。

「飾り花のことよ、はい」
そのままついと腕を伸ばし、ラペルのボタンホールへとバラを挿す。
「フン。輪をかけて凶悪になったわね」
満足気に付け足すと2−3歩下がり、うんうん、と何度かナミは頷いてみたりしていた。
勝手に言ってろ、と呟くようだったのが。何処かから戻ってくる姿、それを視界に捕らえると
瞬時に自分がこの目の前の男の意識から抜け落ちる。そのアカラサマさは、いっそ清々しい
ほどだとナミはまた小さくわらう。からかう気も失せちゃうわね、と。


「ねえ、ヴィーダ。あなたもそう思わない?」
そう問いかけられて広く開いた背の半ばまで下ろされたコッパ―レッドの髪がさらりと流れ。
ヴィーダが振り向いた。
「きょうはもう近寄らない方がいいわね、あてられちゃう」
からかうように音に乗せ、ナミの腕を抱くようにしながら、少し先に広く開けられた扉に消えて
いった姿の後を追い。
「ああ、ほら」
ぺリドットの視線の先には。

絵に描いたような大広間、フレスコ画で埋め尽くされた高い天井から重たげなシャンデリアがいくつも
下がり、寄木で模様の模られた床にキラキラと光を落とし。ぐるりと大理石の円柱に囲まれた、そんな
広間の入り口近くに。波のように流れ自分達に注がれる視線など意にも介さずに。
タキシードの襟元からブートニアを抜き取り、ひどく手馴れたようにも見える仕種で「恋人」の髪に
挿し入れその頬に唇をおとす、オトコがいた。

「ああ、ご愁傷さま。」
図らずしも、という風に誰にともなくナミが呟き。それを聞いた美女もまた笑い顔をつくった。
「ロクデモないわね?後でダンスにでも誘おうかしら」
そう心にも無いことを言いながら。


「もう、喋るなよ」
頬に口づけ、耳元。そんなことを言ってきた。
いや、そんなことより。いくら自分も覚悟を決めたとは言っても、一体このアツカイは……
サンジは半ば眩暈。自分でもレディにここまではしなかったぞ、と思い当たりさらにほぼ立ちくらみ。
喋ろうにもコトバなんていまのショックで全部持っていかれちまった、ただ、バカみたいに驚いた
カオでもしてこいつのことを見てでもいたんだろう、と。掌が肩を滑る感触でやっと、普通の距離で
自分を見てくるこの紳士とやらにサンジが意識を戻した。

そして、ここに来る途中でこいつの言っていたことはウソでもなんでもなかったのだと、思い当たる。
愉しい、と言っていた。自分ではない自分をあまやかすのが。

溶け合うほどに腕に抱いたとしても、渇いたように切れ切れに思うことがある
どれだけ近くでその翠を覗き込んでも
その顔を両手で挟みこんで自分だけの方を向かせたいんだと
草色の髪に指を絡ませて、耳元に口接けて
いつも。
こんなことを、相手の腕に、息に 肌に、熱に
溺れかけているときに真剣に考えるおれは、確かに相当ガキなんだろうと
思っていた。

だけど。こいつも、半分でも同じことを思っていたとしたら
おれも、おまえをあまやかしてえし、
癪だけど、どう考えても癪だが あまやかされるのも
どうやら満更でもねえし
なんでそんなうれしそうなカオするかね、おまえもさ、ゾロ?

どうせ今夜だけだし。
おれも、こいつに構われるの嫌いじゃねえし。
それにさ、はは。おれ、そういやあ。いま「サンジ」じゃねえし?
明日は誕生日だし。プレゼントの前倒し、ってのも悪かねえよなぁ、うん。

よし、決めた。


初めて目にするほどのふわふわとした。柔らかいものだけで出来上がったような
線を、薄い唇が模った。それが微笑なのだとゾロが認識するまで間が空いた。
返礼のように身体に引き寄せるように自分の片腕を抱きこんで、耳もと。
低く落とされた、それでも紛れもないサンジの声がした。


「あまやかせよ、ゆるす」


一方、恋人の腕を取りブートニアの返礼のように口付けでかえす、そんな様は。
いっそう、自分達の纏う風情を華やいだものにしてしまったことには無頓着で。
広間の中央、晩餐会のホストが、まだ挨拶をしていない最後の主賓にいつ話しかけようかと気が気で
はなかったことは、知る由もない。

ようやく二対の視線が自分に合わせられたとき、エーデン一族の頭首は満面の笑みで返し、盛大に
手招きした。






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