Step 6-4:
万雷鳴り止まず。
戻ろうとするのを幾つもの笑顔で押しとめられて。ふと視線を感じてサンジが振り返れば、シャンパン
グラスを顔の高さまで差し上げるようにしたナミのものとぶつかった。にいっこりと微笑み、それでも
その目は「いまもどってきたら私、何するかわからないわよ」と鮮明に告げていた。
結局、もう3曲ほど続けて踊るうち、ようやくフロアに人が戻り始めた。頃合を見計らって「昔観た映画の
ように優雅な」二人が人の輪から抜け出るのをエーデンの頭首はにこやかに見送り。愛娘の手を取ると、
フロアへと誘った。
そのまま腕ひかれ人の波をすり抜けるようにして、並んだ円柱の後ろ側。回廊のようになった空間に
連れて行かれ。背に手をあてがい支えられるようにしてそっと、冗談のように広いバルコニーに向かって
開け放たれた窓の側に設えられていた長椅子に座らされた。なんだってこんなに壊れ物めいたアツ
カイをされるんだか、とサンジは笑いを噛み殺す。口より先に手足どころか飛び蹴りがでかけるのが
日常なのになぁと。そのまま自分の前に立つ姿を見上げるようにすれば、生真面目、ともいえる表情の
ゾロらしきモノがいた。
どうした、と問い掛ければ。
合格したかと逆に問い返された。問いながら、髪に挿されたままのバラにそっと触れるようにしていた。
ああだからもう、コイツは……!
無性にべらぼうに唐突に叫びだしたい衝動にサンジは頭を鷲掴まれてぐらんぐらん引き回される心持。
それをゆっくりと瞬きしてどうにかやり過ごし、「ああ、上出来」と返した。途端、安堵したような気配が
伝わってきてサンジはもう一度瞬きする事に相成ったのであるが。
少し離れたところを過ぎた銀のトレイからシャンパングラスを一つ取り上げると、サンジに差しだし。
「じゃあ、借りを返しに行ってくる」
そんなことを言って、ロクデモない男はまっすぐにフロアへと戻っていき。ひらひら、と残された方は背中に
向かって手を振って見せた。渡されたシャンパンの気泡が口もとで跳ねて、目でその姿を追った。
軽やかなリズムへと曲調が変わる。
ワルツ、特にウィンナワルツは。どれだけ相手に気持ちよく躍らせて「うた」を引き出すかが一番大事
なのだと確かに自分は教えた。ホールドに委ねきってセシーリアは回転を繰り返し、聞こえてくる。
いかにも楽しんでいるような、素直に高揚した感情。ほかの誰もよりも輪の中で自分が一番美しいはずだと、
他意無く受け入れ微笑んでいるような。愛情を存分に集めて育ってきたのだろうと容易に想像できる。
かわいい子だな、と素直に感想を誰にとも無く告げ、シャンパンを飲み干し。
すかさず差し伸ばされてきた銀盤にそれを戻した。微笑と一緒に。
セシーリアは。
くるくると旋回し、小柄な身体は適度な距離を保たれておもしろいほど従順に流れに乗っているようで。
光の下で、とりどりの色彩が弧を描いて流れ、交わり。
もし一瞬でもセシーリアに例えばホールドがきつかったとか、リードが強引だったとか、そういった表情が
浮かべば早速マイナスポイントにしてやろうとしたのだが。点数の引きようがない、と審判員は聞こえない
ように舌打ち。レディがあんなに愉しそうにしているんじゃな、と。
だから長椅子にゆったりと腰掛け、古い映画でも眺めるように楽しんで観ていた。
教え子の成果を至極満足気に。
周りにしてみれば、そんな風情は自分にどれだけの愛情が向けられているか十二分に承知し尽くしている
からこその余裕にしか見えなかった、ということは世の理というもの。そして、己を知るエーデン家の上等な
ゲスト達は。だれも、このレディをフロアへ誘おうとはしなかったのである。
途切れることなく続く音楽は続いて。
けれど適当な頃合をみて軽く身体を折り一礼すると左手を解き、パートナーを無事に父親のもとへ返し、
二言三言なにか言葉を交わしているようだった。そして、笑みを含んだ眼差しが3名分自分の方へ突然
流れたのにサンジが微かに訝しげな様子をみせた。
戻ってくる。まっすぐに。
とんとん、と自分の横を手で指し示すようにすれば、片眉が引き上げられた。
そして通り過ぎざま透明な液体で充たされたカットグラスを銀盤から取り上げ、そのときにはじめて
サンジは気が付いた。その右手で、クリスタルからおちる灯かりに光を返したもの。
「ご苦労。褒めてつかわす」
横に座ろうとはせず、立ったままなゾロにそんなことを言い。
「どこの偽貴族だよ」
笑みの影がかすめる口元に、さらりとグラスの中身が空けられていく。
「それカッコ好いじゃん、いま気がついた」
素直ににこりとする相手に。
「ん?」
ゾロも僅かに首を傾ける。
おまえにしちゃ趣味が良い、と続けながら。ついと右手を頤で示すようにした。
右手の薬指にしていたものは。ふっくらとあたりのやわらかな曲線をもっていてもかなり重みを
感じさせるホワイトゴールドのリング。
ああ、と呟くようにし。何かを探すようにつらりと広間を見回したが。
「やるよ」
それを抜き取ると、あっさり手首を捕まえサンジの右中指にさせる。
手袋越し。
「ちょっと早いけどな、何時間か」
この島の人間に聞いたんだが。イキナリ相手に渡すよりも一度身に付けてから渡すんだと、
そんなことを言いながら。
「あー、やっぱりおまえ、指まで細いな」
薄い絹を介してでも、リングが廻るようなのを目にし。ゆっくりと手を放した。
そういう態度とその笑い顔のコンビネーションは反則だろうが、と。サンジ、また硬直。
それでも、右の薬指に自分で付け替え。
ありがとう、と微笑む。
そしてやんわりとゾロの腕をつかみ半身を折らせ、引き寄せるようにし口付けた。わざと軽く
音をたて、啄ばむようにし。眼をあわせたまま、もう一度微笑んだ。
柔らかな線と、たおやかな色合いだけで作り上げられたような笑い顔だと思う。
ひどく穏やかで、かわらずこの蒼は魔法じみて複雑怪奇なようでいて至極単純でもあるこいつの。
中に過ぎる色を映しこむ。けれども。なにかが。違う気がする。
在りえないほどいつか自分が焦がれたのは、この表情ではなかったような気さえする。
なんだろう、そんなことをゾロは思い。頭は勝手に言葉を探す。
そして、思い当たった。
「また、落ちたぞ」
とゾロが言ってくるのを受けて。
「いいから座れって」
強く腕を引けば、空気が動き間近にゾロの身体があった。
腕に手をかけたまま、ちらりと横を見上げるようにすればこのオトコにしては珍しく、微笑に
困惑の混ざったようなカオ。
「どうしたよ?」
「ア?……いや、なんつうか、」
ふい、と一瞬視線が流れかけ、それでも諦めたようにまっすぐに逢わせられる。
「相当イカレちまったなと、自覚しただけだ」
面白そうに言葉に乗せる。開け放たれた天井までの窓から、さらさらとごく微かに潮の香りを纏う風が
入り込んでくる。
唇の端を引き上げ、にい、とサンジがわらう。そしてゆっくりと腕を差し上げ藍石と白金が光を跳ねさせる
耳元から髪に手を差し入れるようにしてきた。
「へえ?何をだよ?珍しいツラしてさ……」
「あのな、」
ハア、といかにも無念そうにタキシードの男が吐息をつく。
遠慮がちに見つめている幾多の女性陣にはさも悩ましげに映っただろう、どうしてあの男はああまで
素直に、全身で愛情を訴えてくるのだろうかと。
その男に観念したような微笑が浮かんだ。そして、
髪に差し入れられたままの手を取ると、自分の口もとへともっていく。
嵌められたリングに口付けた。
「―――はやく、脱がしちまいてェ」
いっそキレイなほど、一瞬サンジから全ての表情がなくなった。
「……バッ、てめ、なにいってやが―――」
途端に眦のあたりまで薄く染まるほど血の流れが良くなってしまったらしい。
「上出来に化けてるけどな……?」
言いながら指先で朱を刷いた目もとにふれ、そのまま掌を頬にやわらかく押しあてる。
「こんなモノもぜんぶ取っちまって、」
濡れ光るような艶を乗せられた唇が何か言い募ろうとするのを、親指でその輪郭を愛撫するように
辿り、黙らせる。そしてほんの一瞬、唇を重ねた。
「……素のおまえが見てえよ、」
直に触れる肌、引き寄せた肩がわずかに揺れるのを感じて身体を離す。
「イカレてるだろう?」
自然と、わらっていた。
そして自分の言葉を受けて、抜ける夜風も蕩けるかと
そんな微笑を目の前のひどく綺麗なものは浮かべた。
何度でも見惚れるのだろう、きっと。
飽きることなく眼にするたびに、
その唇が模るのは自分の名前。
額をくっつけあうようにして二人して声に出さず、わらった。
押しあてるようにし、少しばかり傾けて。またわらった。
すきだと言うほかに つよい言葉があるのなら
みつけだしたい、
シアワセだというほかに 穏やかな言葉があるなら
残らず明け渡してしまいたい
けれど術がわからないから
眼をあわせる
同じだけのものをみつけることを願いながら
そしてそれが ゆっくりと笑みにとけていくのを
てれくさいほどの あまやかな心地で確かめ
わらいあったかたちのままで、唇をあわせる。
窓の向こうで、一斉に花火が上がり始めた。きっかりと午前零時を過ぎ、
空が余すところなく光で彩られていく。
「なァ、連れ出しちゃくれねぇのか……?」
「"きみの許しがでたなら"」
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