Step 6-5:
肩に額を押し当てて、両の腕を首に廻し
自分の身体を引き上げるように触れていた。

差し入れられた指先で少しずつ乱されながら髪が解かれていくのを感覚だけで追い、眼を閉じて息をつく。
頬で、頭に触れているのがわかる。今夜は島中、夜半過ぎまで花火が空を飾るのだと聞いた。祝祭の
決まりごと。空の明らむまで光で彩る、そんなことを。
足を折り身体に引きつけシートに埋まりなおして。もっと自分を近づけるようにすれば、喉元で低く抑えた
ような笑いのカケラ。穏やかに響いてくる。

気持ち良い、そんなことを思っていた。
境が見えなくなったと。何かの話の。ぐるぐる廻っているうちにバターになった間抜けなトラみたいに
熱い息の所為で黄金色に溶けてしまうのかと。浮かされて切れ切れに意識など飛んでしまえば良いと
願うほどに滑る腕で背を抱くのも。視界が一瞬白くなるほど高みに引き上げられるのも。悪くないんだ、
震えが来る

だけど、この。
重ねられた箇所から伝わるものは静まり返っている。緩やかな鼓動と同じだけの強さで自分のうちに
ゆっくりと拡がっていく。口に含んだ氷がじんわりと溶けていくように。どちらが好きかと問われれば、
素直に言うしかないのだろう。
両方、と。

その両方を知ってしまえば。
幸か不幸かもう、きっと手放せないのだから。眼を閉じたまま、喉元を食んでみた。
それは唇の下で微かに上下し、背中に腕が廻された。好きだと千回言いたいと思った、不意に。
さわりと自分の身体と、ゾロの腕との間で絹が音をたてて。
はやく脱いじまいてえな、と。乾いたようにそして思った。


腕に抱くようにしてパラダイス・ホテルの回廊を抜け。
庭の奥へと続く小道、淡く浮かび上がるような白く小さな石が、靴底で音を立てた。
その音に、この先が白石を敷き詰めた砂利道だったことを思い出しサンジを腕に抱え上げるようにする。
なにするんだとの抗議の声に、そんなクツじゃ歩けないだろうと返せば諦めたように静かになった。
だきあげたまま、茫と小道だけが灯されたロウソクで薄明るい中をヴィラまで戻り。その途中にも空には
まだ光の雨が降り、花と散り流れて。小さな嘆声が思わず、といった風に漏れるのを耳に捕らえていた。
そして。まだ着かなければいいのにな、などと。自分の中に妙な感傷が湧きかけるのに、ちらりと苦笑した。


ヴィラの扉が開かれるなり、クツを床に盛大に放り出し。
腕から飛び降りるようにするとサンジは素足で立ち上がり、ゾロを睨み上げてくる。
おまえロクデモねえ、と。

まだ淡く眦が火照るようでそう長くは睨んでもいられない。だから余計に癪に障るのだ。
自分がぼんやりとひどく穏やかな心持で身体を預けていたというのにこのアホは。喉元を「噛まれた」
仕返しとばかりにバックシートでドレスの裾から手を差し入れてきた。あまつさえ!奇妙な具合にだけ
器用なこの指は。自分さえも存在を忘れていた例のアレをさんざんヒトのことを煽って外し。
紳士のツラをしたロクデナシは足を包んでいたものさえいともかんたんに引き下ろして見せやがったのだ。
掌で滑らせるようにしながら。

「ああ、だから悪かったって」
ゾロが一応詫びを入れる。確かに、いくら見えないとはいえバックシートでするには度が過ぎた
イタズラだったかと、本人も自覚があったらしい。
「いいや、ちっとも思ってねえツラだ、それは」
ぴしりと、長手袋を脱ぎ捨てコンソールに叩きつけるようにして取って返したその指先をゾロのハナ先に
突きつけるようにし。
「てめえは一人で反省しやがれっ」
噛み付くように歯の間から声をだすと御怒りの肩も露わにマスターベッドルームの横にある
ドレッシングルームへと消えていき。それでもきちんとリングは指に嵌めなおした姿の消えていった先を
笑いを噛み殺したような表情でしばらく見送ってはいたが、ジャケットを放り出し襟元を寛げるとゾロも
リビングの方へと抜けていった。

カフスも外し偽紳士はひどく砕けた格好になりつつも、ふむと思案顔。
バーカウンターでライムを絞り込んだスピリッツなどを勝手に作って飲んではいたが。
やがていつまで経っても待ち人の出てこないドレッシングルームへと足を御運びになり。
不思議なものを見た。バスローブを羽織っているのに、重たげな首飾りだけが残されている姿。
はずせねえ、と苛立ち絶頂の、すっかり髪も化粧もすっきりなくなりいつもの風情に戻った「やつ」が
ドアを開けた途端に待ち構えていた。

はずせ、とぶすくれて言う相手に。
釦以外はどうやら器用に外せることが証明された手がすいと伸びた。

「あのな、悪かった」
「さっき聞いたよ、クソアホが」
さらりと、金の金具が外され、すんなりとした首が現れる。
そっと、肩との境に唇で触れ。真珠ごと相手の胸前にまわした腕の下で、その身体が僅かに
揺れたのを感じ取る。
「けどな?触れずにいられねえよ」
はあ、と溜め息が漏れ聞こえた。
「アホウ。あのなぁ。少しくらい、憚れよ」
柔らかになった声と一緒に。


はは、と笑い声が中庭に向けて開けれた窓のほうから流れてきた。
玉石の壁でゆったりと三方を囲まれたオープンエアのバスルームに口笛を吹き、白石のバスタブの
縁が僅かに水面に顔を出すほどに沈められた、それがまるで石造りのテラスから続く池に浮かぶ
ように誂えられていることに気が付けば、また笑い声。それがけらけらとなおも上機嫌に続いている。
すげえ、池に小さい魚までいる。
おまけに何でジャグジーに花が浮いてるんだ、と。
何かが盛大に間違ってるぞ、と天を仰ぐようにしてなおもわらっていた。
そんな一々賑やかな様子を、テラスに出された寝椅子の一つに身体を長く伸ばし、いたって平穏な
心持で眺めていた。やがて、

ぱしゃん、と微かな水音。

「御疲れさん、」
思い出したように、そう声をかければ。
「んー、」
するん、と温かな中に滑り込み。水面を高くから覆うようなガラス張りの屋根と、開いた空に光が
流れるのをサンジが見上げる。
「気分がいい」
半ば眼を閉じてしまうほどに笑みを作るのを目にして、かつりと石床にまだ口を付けただけの
グラスを下ろし。足元のアイスペールに放り込んであった硬水の瓶を引き出すと、近づき。
すい、と身体を折って差し出した。
「ほら、」

瓶を差し出してくる手首ごと、そっとサンジが掴んだ。
「気持ち良いぜ?」
ほんわりと笑うようにするのに。
そうか、とゾロも笑みを刷き、空いたもう一方の手でさらりとまだ乾いた髪を撫でる。
「あんなァ、」
ふいと双眸が細められた。上機嫌な、タクラミ事を隠さないそれ。
「そんなところでいつまで待ってても。おれ、出ないぜ……?」
だから来いよ、と言いながら。水滴を伝わせる腕が、肩に添わされる。


くくっと、ちょうど対角線上に唇近くまで水に溶け込んでいたサンジがわらい。
あわせるように小さく波紋が流れた。白石の縁から片腕を出し、池の中へ半ば差し入れていたゾロは、
なんだと問いかけ。
「おまえさ、」
サンジが色鮮やかな南国の花弁の漂う向こう側で微笑んだ。
「花、すげーにあわねえっ」
あはは、とひどく明るく声があがり。
池から伸びガラス天井を支える円柱の足元に灯されたオイルランプが不思議な色合いと
陰影で水面に光を落とし込んでいた。
「うるせえよ」
間近に浮かぶ、白に濃い赤の縁取りの花をすくい上げ、見計らったように相手に向かって掌から放ち。
それが、ひたりと。濡れた頬に張りついた。
「似合いすぎるよりマシだろう」
憎まれ口と正反対の笑みを刻み、身体を伸ばし引き寄せた。

ゆらりと。
温かな水が白石の縁を越える。

「あ、てめ。肩噛むな」
水を含んで明度を落とした髪ごと、後ろ頭を軽く引いた。ちらりと見上げてくるのは一層、光を映し
込んだような蒼。
「いいだろ、」
腕を伸ばして水に浮かせたまま手を添えるだけ
肩口に僅かに歯を立てて舌先で追いかける。
「本日の前菜。フラワー・グレイズド・チャックテンダー」
最後のがわからねえな、とゾロが返し。

「肩肉、」
けらけらとサンジがわらって。花弁の浮かんだ水面が揺れた。あますぎない香りが立ち昇る。
ただ、身体を支えるためにだけ自分の背に添えられていた手が意志を持ち始め。
ふと、サンジから吐息が漏れかける。
白金の小さな輪と、それに挟まれるようにして青石が目のすぐ先にあった。
少し頤を上向けるだけで耳朶を肌の間に挟みこめる距離。

カボッションともいえないような。原石をそのまま、まるく削りだしただけのようにもみえる
酷く明るくて透明なのに、カットされずに柔らかく霞んだような濃い青の。
「アクアマリン……?」
昨日、好きなものを選べと言われたんだ、と告げてくる。そして、
勝手にこれが目に付いて特に何も考えなかったんだけどな、そう声が続けられ。
項から手が滑り、髪に挿し入れられ微かに上向かされた。
「おまえの眼に似ていると思った」
「おれの?」
「ああ。眠り込む直前だと、こんな感じだな」
わらおうとしたら、すぐには声など出せなくなった。下肢に触れてくる掌から流れ込む痛みにも
似た微かな痺れ。爪先から水の中に溶け出していきそうな愉悦。

自分の引き寄せるまま、肩にあごを乗せて。口元だけでサンジがそれでも、そうっと笑ったのを
ゾロは気配で感じ取った。
「……すげえ、気持ち良いな、水ン中」
ぼう、と淡く霞むような声がした。

「おれは、おまえの中ならどこだって気持ち良い」
舌先で、張りついたままだった花を取り去り。
ほんのりと上気した肌の味に、ゾロは眼を閉じた。
「―――言うねぇ、」
やがて耳に届く半ば感心したような呟き。
「さてはおれのことコロス気かよ、おまえ」
「言っただろう?おまえを、あまやかすって」


花弁ごと水が縁から溢れ冷たい中へと流れていき
背にあたるひやりとした石の感触に身体が一瞬すくんだけれども、座らされた場所は中から溢れた
温かな水にすぐに同化する。背を預けた円柱の冷たい感触がいっそ、嬉しかった。蕩けそうになる
視界に、含まれる熱に、喉が。壊れちまったみたいにもう、一つの音だけしか作ろうとしない。
頭を反らせあたる石の硬い感触に眼を開ければ、浮かされた脳で、ああ星がみえる、息が上がり与え
られる刺激に声を上げる以外に、そんなことを一瞬だけ知覚し。それが流れた、と思えば自分の中が白光
しただけだった。
骨が壊れたみたいに頭を落とせば、ひろく開かされた両膝と自分の手が縋りつくように絡みついている頭、
見上げてくるようにする翡翠の色と
「ん、あぁ、」
ちらりと覗く絡まる赤い舌が見えた。


あまやかして
だきしめて
溶け合って
くるりと
視界がまわった 頬にあたった麻の張りのある冷たさも一瞬でわからなくなった
与えられる重みに 熱に。







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