Step 7-2:
ゆっくりと食事を終えた頃には午後も相当遅い時間になっていた。
のんびりと備え付けのサイフォンでコーヒーを煎れているらしいサンジから、じゃあ時間までどこか適当に
ぶらついてようぜ、との声だけが届いた。つらりとゾロは手元に大振りな革表紙の本を手繰り寄せる。麻と
絹のクッションに埋まりながら長椅子に寝そべったままで、適当にその頁を開いた。
「カジノ」
「んー、時間が中途半端かな」
「サーカス」声に笑いが混ざる。
「おい、ルフィじゃねえんだからさ」
「ジャングル・トレッキング……?」ゾロの眉根が寄せられる。
「じょーうだんじゃねえぞ、うら」
「ビーチ」
「誰かさんの所為でなぁ、人前でおおっぴらに肌だせねえンだよおれは只今現在」
「ハハ、わるい」
「わらってんじゃねえぞ、てめ」
カップを両手に、それでも笑い顔のサンジは戻ってくると自分も長椅子にとさりと埋もれる。
「ほい、」差し出し。
「サンキュ」受け取る。
しばらくの間、似たようなやりとりが続き。面白そうなプランにはいかんせん時間が微妙すぎた。
「えらく中途半端な時間だよな、それにしても」
サンジは言い、カップを口もとまで運ぶ。
「まあな、」
「じゃあおれはおまえの真似でもしてるか」
は?と問い返すゾロに。
「だらけネコ」
サイドテーブルにカップを置くとするんと横になり。頭はしっかりとゾロの膝に乗せ、あはははとわらう。
「光栄だろ、おら」
はいはい、と適当な返事を返し、それでも手にひらは金の髪をやわらかに滑らせる。
開け放した窓からの風が流れ込み、庭のどこかでウィングベルが微かに音を立てた。
「なあ、やっぱりきょうの待ち合わせって、おれの?」
「ああ、お祝いするってナミが言ってたぞ」
はは、と小さく笑って。それはうれしいなぁ、とサンジが言った。
「久しぶりに夜遊びできるな。キレイどころも一緒にさ」
そうだな、と返してくる相手は珍しく眠り込まずに窓の外に広がる緑や水の跳ね返す光を追っているよう
だった。穏やかな時間は何だって突然やってくるんだろう、そんな事を。受け止める準備をするだけで
時間かかっちまう、と頭を膝に預けたまま思っていた。
なあ、出かけるに際して提案があるんだが、とサンジが突然言いだした。
「おれは昨日とカオ変わっちまってるからいいとしてだ、」
や、それはどうかな。言われた方は思うがここはひとつ黙っていることにした。せっかく機嫌が良さそうなのに
何も毛を逆撫でることもないか、と。
「てめえはツラわれちまってンだからも一度化けろ」
「あ?」
またわかんねえことをこいつは、とゾロは口に出し。
「だから!変装しとけっての」
そして。―――ハア、と溜め息をついた。
「普段の格好で良いだろうが。おれは昼間っからスーツなんか着ねえからわかりゃしないだろ」
「わかってねえな!」
サンジが両手を差し上げる。
「てめえのカッコはいっつもシンプル過ぎンだよ」
のわりにデティールがカッコ良いからクソ目立つんだアホ、とはサンジの胸のうち。
「あんな、そんなカッコじゃ昨日のパーティにいた連中にはすぐバレる。だからさ、ハデにいこうぜ」
にこり、とサンジの上機嫌な笑顔。
―――ああ、いやな予感が。
デジャブ。
面白そうにサンジは突然黙り込んだゾロの膝で続ける。
「ハデなカッコの印象の方が強えから、きのうのニセモノともいつものてめえだともバレねえぜ?」
どおだ、おれってばワイズ・ガイだろうとサンジは自分の「作戦」に、にこにこと。すっかり忘れ果てている
らしい。手配書などと縁遠い生活をしている普通人にとってはハデなスタイルの19オトコこそが世の中の、
元海賊狩りでも賞金首でもないロロノア・ゾロ像だという事実。―――栄えあるナンバー・ワン。
例の雑誌は絶大なる発行部数を誇っていたという事実も。いまは忘却の彼方なのか、それともわざとか。
「ハデにいこーぜえ、ロクデナシ!おれが選んでやるからさ」
にこにこおりと、すっかりバースデイ・ボーイはご機嫌である。
ああ、こいつはほんとにアホだ、ゾロは思うが。
……ヤバイ。あいかわらず、イトオシイ。
「―――わかったよ、すきにしろ」
「うん。だからさ?もう偽紳士なんかじゃなくて素でいいぜ?あ、だけど。妙な殺気は抑えとけよな」
うたうように言ってのけた。
さあ、ロロノアくん。ガンバリマショウ、などとにこにこと。
「サンジ、」
呼びかければ、笑みを含んだ目で見上げてきた。
「なン?」
頭に手を置き、さらさらと何度か撫でるようにした。
「ささやかな復讐か?ソレは」
「まさか!アイだっつの」
にやりと。サンジが笑った。
腕を伸ばし頬を挟み込み。横になったままの自分の方へ引き寄せて、口付けた。
唇が離れたとき、ちいさな吐息と一緒に。
「そうと決まれば。いざ街へ繰り出さん」
「ちょっと待て、」
ゾロがもう一度ふわりと唇を重ねる。
「クロゼット。無駄に服が多くねえか?」
自分達が昨夜でかけている間に、ドレッシングルームに大量に運び込まれていた荷物はきちんと片付け
られていたのだ。そのことを思い出し。サンジが、またにやりとした。
Cafe FLINTZでは、非常に静かな恐慌が巻き起こっていた。
蕩けるような質感のごく淡い銀鼠色のスウェードのボタンレスジャケット、首もとの広く開いた暗いオレンジ色
をしたインナー、ワンウォッシュのデニムジーンズ、凝った細工の銀のバックルのベルト、左手首には2重に
鎖とモティーフを絡めた重たげなチェーンブレス、右人差し指と薬指にも同じパターンの細工を施された大振りなリングが1つだけ光り、足元は黒の革サンダル。エデンにイカレタロックスターはご滞在でしたでしょうか、の風情なオトコと。
白のタイトな、ボタンスタンスは低くVゾーンが長めに取られ襟がきれいなラウンドを描く3つボタンスーツ、
黒のジャガードのシャツはきちりと留められたラペルに沿うように広く開けられ。右手首には重たげなチェー
ンブレスが何重にも下がり薬指に嵌められた大振りなリングとバランスを取っていた。そして、オパールの
ような光の膜を映す大粒なガラスビーズのネックレスが、Y字型に長く胸の下へと消えて いっていた。足元
は、露出の多いサンダル。金の髪がさらさらと何か話すたびに流れて。
時折、伸びてくる指先が稀に表情を覆い隠すほど降りてくるそれをかるく払うようにするのを、薄く口もとに
笑みを刻んでなすがままにさせてなどいたら。明らかに誰憚ることなく、けれどどことなく御忍び蜜月風。
路上のテーブルに席を取り、ちらりと誰かを待ってでもいるかのように目線を時折投げ。また、他愛ない話に
戻る。
やがて待ち人でも見つけたのか、すいと立ち上がるとひらひらと手を振る。
途端にそのオトコの纏っていた空気はあまやかなものからトーンが変わり。浮き立つようなそれになる。
ナミさん!と明らかにうれしくて仕様がないらしい声に、座ったままだったオトコもかるく笑みを浮かべた。
「サンジくん、おめでとう!」
「サンジ!いまからね、遊びにいくんだって!」
「よおー、めでてえな!おめでとう」
「なんだよーサンジィ、おまえきょうは仮装じゃねえのかー?」
「おめでとう、ダーリン」
お誕生日祝の始まりらしい。
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