2.
「うぉい、養育費でも必要なわけ、オマエ?」
なぜと問う前に、テーブル越しでにやりと異母兄がヒトの悪い笑みをその薄い唇に浮かべるのを見ていた。
そして、小さく「なに言ってやがら、」とサンジは付け足した。
その落とされた声を受けてまた笑みを深くする男も僅かに首を傾けて見せていた。
「じゃあまたどうしてイキナリ、パートタイムなんだよ、役者だけじゃ食えないのか?」
「うううん、微妙なんだけどさ。食えなくも、ないんだよなァ」
「フウン?」
「それにおれ、あのじーさんに頼まれちまったし」
「あぁ、"オールド・ジミィ・ジャズ"」
そう、とサンジもわらう。
「むかし世話になったじゃねェ?だからさ無下に断れないんだよな」
「オマエあの店のカウンターの下で半分育ったようなモンだもんな、そういや」
「まあね?確かによく置いてくれたよなぁ」
「ひょこひょこおれの後付いて来るオマエが哀れだったンだろ」
ますます笑い出した異母兄をサンジは放っておくことにする。
「レジデンス(研修医)がガキ連れてうろうろする方がオカシイんだよ」
「おまえがみゃあみゃあ泣いてたからだろ、マミィマミィ言って」
「―――シャンクス!」
本格的に笑い始めた兄には何を言っても無駄だとかれこれ20年以上の付き合いは語る。
母親を亡くしてすぐの頃、寂しくて後を付いて離れなかったこと。そして勤務先の近くにあるパブに何故か
預けられることになったこと。思い出す。小さなプレートのかかった扉の奥の部屋で、大きな机に備え付けられた
イスに埋もれて待っていたこと。時には古いソファに座って、書類の積まれたテーブルを眺めていたこと。
供された食事の味、10年近く時間が過ぎてはいても、そういったこと全てがまだ記憶に鮮やかだ。
「で、おまえいったい酒なんか作れるのか?」
「まぁ、一応。ウェイターのバイトもしてたし」
「―――セクハラで辞めたくせに」
にぃ、と悪魔笑いを医者が浮かべる。
「うるせェっての!」
「うーん、オニイサンは心配だぜあの辺りガラ悪ぃヤツ多いからなー」
げらげらと笑いながら器用にショットグラスを空にする相手をまじ、とサンジは見つめる。
「店の常連筆頭がなにいってんの、あんた?」
「お、地元離れてやがったくせに知った風な事を」
「―――聞いてるから、JJに」
「結託しやがったな、あのじーさんと?」
「雇用契約の話もあったしね」
「フン、」
たん、と音を立ててグラスが卓に置かれる。そして、同じリズムでとん、とサンジの額に指先が当てられた。
「ま、いずれにしろ。オカエリ」
「ん、タダイマ」
「じゃ、おれはそろそろ行くわ」
ちらりと腕時計に目を落としながらシャンクスがふと思い出したように告げ立ち上がる。その姿を座ったままで
見上げながらサンジもひら、と手を軽く振った。
「いまからシフトか、大変そうだね、相変わらず?」
「まァな?ERにゃオヤスミなんて在り得ねェからな」
「おー、イッテラッシャイ。NY市民のために今宵もキバレナ、オニイチャン」
にやり、と笑う弟の額を今度こそ軽く小突いてからシャンクスもわらう。
「フン。似たようなヤツいるな、そういや」
そんなことを独り言に近い声で洩らしながら、鮮やか過ぎるほどの色彩が"Dean&DeLuca"の窓外を過ぎて
いくのを中から見送り、サンジも立ち上がった。
「うし。初仕事とやらに参りますかね」
開店時間より1時間前にカオを出したなら、既に待ち構えていた古参のバーメイドのカーラに昔自分が世話を
していた「ベイビイ」が随分と大きくなったものだ、とサンジはさんざんキスとハグで歓迎され。何かと賑やかに
コトバを交わしながら、時計は知らない間に6時を指し。
ギイ、と重い木の扉が開く。
そして、入ってきた姿を認めると思わず大声になった。
「シャンクス!あんたなにしてるんだよ?!」
「大事なオトウトのお初ヒトサマニやるわけにいかねぇだろーが、兄として!ほおら、いってごらん?
"イラッシャイマセ"」
「かえれッ!」
げらげらとわらう兄に、カーラがなぜか盛大にハグを贈っているのをアタマを抱えながらサンジは
カウンター越しに見ていた。
「カーラ!シャンクス!!」
ますます2人分の笑い声が大きくなった。
3.
「けどさ、ひょっとしなくてももうバイトなら店閉めてる時間だよないくらなんでも?」
「ラストオーダー、なんてカワイイ時間はとうに過ぎてるしな」
オマエがぐずぐずしているからだ、とゾロが付け足す。
「ナミに朝の挨拶しないわけいかねェだろ、我らがイトシノオペレータ嬢が出勤っていうのに」
勝手に言ってろ、とゾロは肩を竦め特に口を挟まなかった。それでも特に2人とも歩調を速めることも無く
のんびりと明け方の通りを歩いている。
そして、上げた目線の先、朝方の光にどっしりとした作りの見慣れた一角を認め、窓に取り付けられている
極々控えめなネオンボードの灯かりが落とされているのを捉えた。
「ううわ、やっぱあそこのエスプレッソ率高ェな」
「ん?まだ、なかに灯かり着いてるぞ」
「お。」
取り合えず、初日は無事終了したな、とサンジは「閉店」のつもりで唇にタバコを挟んだ。ライターの点火音に
ほっとする。条例のおかげでバーでも禁煙なんてジョウダンじゃねェ、とは思うものの、しょうがない。いまは
留守を預かる身だしな、と半ばぼやいて見回した。
きちんとテーブルに上げられたイス、さっきまでのヒトのにぎわいがまだ微かに空気に残って漂っている。
うん、きらいじゃないなあ、と思い。知らずに自分の口許に笑みが浮かんでくるのをどこかで意識していた。
この、ざわざわした余韻はかなりスキだ、と。すう、と使い込まれたカウンターを乾拭きし終え、キレイに
ピラミッド型に積み上げられたグラスに目を戻した。
「じーさん、いっつも拭いてたよな?」
なぜかコンスタントに忙しく、そこまで営業時間中は出来なかったことも思い出し重たげなその1つを手に取った。
くるくる、と手の中で何度か回し。そして、楽しみながらどんどん拭いていっている内に扉をしめるタイミングを逃がし
ていることには気付いていなかった。ただ、このアルバイトを自分が相当愉しんでいるらしい、と。
そのことにサンジは機嫌が良かった。
ギイ、と扉が音を立て。
最後のグラスを置いて、目線を投げながら機嫌の良い顔のまま言った。
「イラッシャイ、」
あぁ、巧く言えたじゃないか、とサンジは思った。
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