10.
朝遅くに、ソファで眼を覚ましたのはサンジが先だった。
そして、人とただ一緒に眠るなどということはいままで経験したこともなかったから、自分を包み込む
温かさにひどく驚いた。ええと、なんて言えばいいんだ?とサンジはいつのまにかやわらかく抱き込まれ
ていた腕の中で朝から頭脳労働をすることになり。たぶん、これだろうと思い当たる。かるく息を吸い込み、
こくりと、喉元がうごく。


「おはよう、」


呼びかけると、まだ半ば微睡んでいるのか、手が髪に差し入れられ何度か撫でるように上下した。
まだ目が覚めなければいいのにな、手、きもちいいし、などと思いながらゾロの胸元に額を押し当ててみる。
微かに、まわされていた腕に力が込められたかと思ったら、いきなり吃驚したような声が落ちてきた。
「―――サンジ?」
「うん。“おはよう”、で良いんだよな?」
「ああ。―――そうか、あのまま寝ちまったのか」
そうして“おはよう”と自分に返しながら、解かれていく腕が名残惜しいなと。サンジは少しの間思った。


「ゾロ、」
ソファから立つ相手に向かい、話し掛けてみる。僅かに首を傾け、なんだ、と先を促され。
「おれ、少しはあんたの役に立ってるみたいだな?」
睡眠薬、とサンジはソファに座ったままで続ける。
そうだな、と笑みを含んだ声で返される。
もう少ししたら、出かけるぞ、と思い出したようにゾロは続けた。


「どこへ?」
「ちょっとした用事を済ませたら、おまえの服を買いに」
言いながら、自室にデンワをしにいったゾロの後姿を、サンジはずっと眼で追っていた。


声がしたから、自室への扉の前で振り向いた。サンジが、両足を抱き込むようにしてソファに埋まっていた。
ネコみたいだな。ふとゾロは思い、なんだよ、と返答する。
「でも。寝る時は、これが良い」
着せていたのは、リネンのパジャマで。前ボタンが3つ、色は白で紺のパイピング付き、胸ポケットが1つ。
それじゃあ大きいだろ、とゾロが言っても。目線をあわせたまま、これが良いんだ、と言ってきた。
「そうか?好きにしろ」そう言ったら。
また、あの子供みたいな笑い顔がかえってきた。




いきなりのコール音に、たおやかな腕がコーザの肩を軽く揺らした。
「コーザ、出て・・・?」
ベッドから片腕だけを伸ばし、傍らのデンワのボタンを押す。
モニターに現れるのは、朝らしくということで青空の画像のみ。
この時間帯にご丁寧に音声だけで連絡をしていくる嫌味なヤツといえば、一人しかいない。
「起こしたか?」
音声だけなのに、コーザの傍らの女がちらりとモニターに目をやる。深い声が届く。
「―――ゾロ。デンワのカメラ・アイ切ってるヤツが、なにふざけてやがる」


「第一世代のデータ、だと?」
コーザが乱れておちかかる前髪をかきあげた。
「ああ。オリジナルの必要はないけどな」
「オヤジの作ったALか、」
「そう。そのプロトタイプの基本プログラムだけでいいんだ」
「めんどくせえ。おまえ自分で取ってこいよ」
「あのなァ。おれがそれをしたらドクターの知的財産への不正アクセスになるだろうが。それがイヤだから
わざわざおまえに頼んでるんだよ」


「おまえでも怖いものがあるんだな」
コーザが楽しげにわらう。困惑した風な表情まできっとゾロは浮かべているだろうと。
「一応、恩師だからな」
「義理固いこった、いいぜ。取ってきてやる。どうせインダストリーにも顔出す用事あるしな」
「働く社長か。それは、―――幹部連中が驚くな」
「いえいえなんの。おまえもお仕事しろよ?何人か死ぬぜ」
ひとしきりわらい、本格的に起き出すのにコーザは半身をおこした。わたしわたし、と横で女が自分を
指さすので、デンワはそのままにする。


「ハイ、ゾロ!げんき?」
「・・・・・・珠玲か」
「ええ。オハヨウ、」
「ちょうどよかった。教えてくれないか?」
「あら。いいわよ、なんでも教えてあげる。なあに?」
交わされる声を聞きながらコーザはベッドから下り、シーツから覗いていた細い足首にかるく唇をおとすと、
楽しげに何やら話しながら、女友達はくしゃりと笑い顔をつくった。





11.
エレベーターの扉が音もなく開いた気配に、
「よォ、」
廊下にもたれかかっていたオトコマエが声に出した。
「おまえさ、一体なにやらかすつもりだヨ?」
大小様々、厚みも包装も色とりどりの「デリバリー」の山の中腹でコーザは軽く肩を竦めて見せる。


「ああ、もう届いてたのか。早いな」
「“ああ”、じゃないってこのアホ」
珠玲ご用達のフクヤでも始める気かよ、とコーザはわらい。
ふい、と。ゾロの後ろの影に気付く。
「―――ン?」


キレイなキレイなお人形が、美しいと基準される通りの角度に口角をひきあげ、精魂込めて模写した
ような「微笑」を刻んだ。
「ハジメマシテ」
半秒ほど眼をあわせ、かるく目礼するのに併わせるように空色の目が伏せられる。上げられた眼差は
すぐに傍らのゾロに向けられ、どなたですか、とやわらかに問い掛ける。返事の代わりに、とん、とゾロは
その小さな頭に手を乗せ、そのまま親指で頬の線をかすめる。
「先に、行ってろ」


ソレが、うっとりとした風に頬に触れられたせつな目を伏せなければ、ヒトだと知っているコーザさえも、ALと
間違えていたかもしれない。するりとその背が視界を横切り、扉に引き込まれ。コーザはやっと、吐息をついた。
「―――この間の、だな?」
「ああ。悪いな、まだ挨拶の仕方しか教えてない」
「生きてる感じがしないな、」
「そうか?人見知りはするみたいだけどな」
コーザの眼が、じっと注がれるのをゾロは感じ、そして。
わかってるさ、とだけ答えた。


それがおまえの結論なのか?とコーザが思いがけず真摯な視線を向けてくる。
後はインダストリーから出生証明を提出するだけだ、とゾロが答え。
「どっちのだ、」
「クローン」
「ふうん、」コーザが片眉を引き上げてみせ、
「ひでぇな。おまえ職権目当てでおれとつきあってるのかよ」
にい、っと癖のある笑みを浮かべる。
「アホ抜かせ」
軽く握られた拳がコーザの頬にあたる。


「ホラヨ。“KAYA”のデータだ。本体はもう博物館入りだからな、これだけ取ってきてやったぜ」
長い指の間に挟んでいた薄いメディアを、ゾロの肩口にぱたり、と当てる。
「記念すべき第一世代、オリジナル・データのコピーだ。何に使うんだ?こんなモノ」
「ちょっとした“家庭教師”」
受け取りながら、からかうような口調がゾロの声に混ざる。
「あの“こども”のか、」
「ああ。けどな、あれはもう“子供”じゃないんだ。だから、処分されかけていた」
「そうか、」
ちらりと、コーザの視線が扉へと向けられた。


「ゾロ。てめえはやっぱり壮絶なメンクイだ。で、着せ替え人形にでもしようっての」
ちょうどコーザがエレベーターの前に立ったタイミングでその扉が開き、中からまた別のデリバリーが現れた。
正体は、箱ばかりを抱えた部屋付きメイド。ご苦労様、と声をかけ、にしてもすげえ量だなとコーザが言う。
メイドの為に扉を開け、中に通しながらゾロが振り返る。


「仕様がないだろう。欲しいものがわからない、って言うんだから」
「で、手当たり次第に」
コーザの言葉に、一応選んではいる、とゾロが憮然と答え。
やれやれ、とコーザは大げさに天を見上げてみせる。
おまえは限度ってモンを知らねえのな昔っから、歌うように言いながら、エレベーターに足を踏み入れる。


「まあ、好きなだけ甘やかせよ」
に、と笑みを残して、反論の余地を残さずにエレベーターのガラス扉が閉められた。





12.
"あまやかす"、ね。ゾロは何度目かの吐息をついた。
流れてくる室内楽の優雅さとは程遠いソシアルのポジション。真近で睨み合うようないまの状況は―――。
どっちかっていうとこれは「奇跡の人」に限りなく近くないか?遥か昔の偉人伝をイキナリ思い出し、自分の
連想に思わずゾロは笑い出しかけ。いっそう、サンジが毛を逆立てたネコ並みに剣呑な気配を漂わせる。
「サンジ。"water"っていってみろよ、」
「ハァ??てめえなに言ってやがるッ」
真面目な表情で言ったかと思えば、げらげらと勝手に1人で笑い出したゾロに向かってサンジが牙をむいても、
一度繋がったイメージは中々去り難い。


「だいたいてめえが―――」
「サンジ、」
ぐ、っと言葉に詰まるも言い返す。
「だいたいゾロがいけないんです。なんで女性のパートまで覚えなければいけないのかわかりません」
蒼の瞳にキツイ光がはかれる。


「"KAYA"には、両方プログラミングされているから。そうだろう?」ゾロが言い。
ええ、と耳に心地好く響く柔らかな女性の声が返って来た。
背後のモニタ―・スクリーンに少女のような、成熟した女性のような、ひどく曖昧な美しさの"臈闌けた"という
表現が具象されたかのような第一世代AL、"KAYA"が映し出されていた。
「ダンスはすべての所作の基本になりますから。"マスター"、あなたの元来の動きは美しいのですが、若干、
粗野な所があります」


「ほらな。"KAYA"も、ああ言ってるだろう?」
「ぜったいあんた、おれのことをからかってる」
「まあそう言うな」
にこりと笑みを含んだ眼で返されてしまえば。
繋がれる手や、腰に添わされる手が心臓に痛いからイヤだとは意地でも言えないのはサンジで。
つい、とそのまま手を引かれる。



「じゃあ逆の時は?」
ゾロと”KAYA”の両方からの、まあ合格、とのラインまでどうにか達した頃、もっともな疑問をサンジが口に出し。
ミセス・ケリーに頼んで在ります、とメイドの名を告げるにこやかな"KAYA"の声が返された。
「ええ?ミス・ナミが良いよ」
"KAYA"のインストールに必要な部品であるとかエレクトリック・アイになるようなパーツは既に市場には無く、
調達の為に何度かゾロに連いて訪ねていた「ジャンク屋」の女主人の名前をサンジは口に出す。


「却下」とゾロ。
「なんで、ですか」サンジが語尾を付け足し。
あのオンナは魔女だからだよ、とそれに小さくわらいながらゾロが返した。
「あんなにきれいなのに?」
「こんど本人に言ってやれよ。おまえ、頭から喰われるぞ」


言葉の真偽をはかりかねるようなサンジの表情に薄く笑みをはくと、ゾロはそのあたまにかるく手を
休ませるようにする。それが合図であったかのようにゆったりとした室内楽の音色が止んだ。
「じゃあ"KAYA"、あとは任せるから」
「はい、マスター」
「―――ゾロ?」
「出かけてくる。待ってなくて良いからな」
「・・・・・わかった、」
その答えにまた、自分の前髪を梳き上げるようにして長い指が髪に差し入れられるのを感じた。





「マスター、」
いつまでもギアを膝において"自分(モニタ)"の前にじっとすわったまま動かないサンジに"KAYA"は
呼びかけ、ギアを通して伝達した情報量が多すぎたのだろうかと "心配"を始める。


「マスター?」
「"KAYA"、」
ふわりと、視線が"自分"にあわせられるのを"KAYA"のエレクトリック・アイは、感知する。
「おれは、きみの"マスター"なんかじゃない。―――ただの"人形"だよ」


ALには、返す言葉が見つけられなかった。





広すぎるほどのベッドに横なる。
いつからか、何かの課題をクリアしたときに自分の出した条件の通り、自分はいま"ゾロ"と同じベッドで
眠ってはいるけれど。サンジは手を伸ばし、クリスタルのピラミッドをすぐ目の前に置き、鼓動を繰り返す
収められたそれをみつめていた。
「"鵺"のところで死んじまってた方が良かったかもな」
こんな、わけのわからないイタミに見えない血を流すより。
暗い中に、ほかのこどもたちと同じように還ってしまった方がラクだったろう。


おれのことを気分屋だってあんたは言うけど。あんたの方がよっぽど気紛れだ、サンジは思う。
何日も何日も側に置いてくれたかと思えば、いきなり放り出される。こんな風に。
サンジは腕で眼を覆い、混乱する気持ごと勝手に出てきかける涙を抑えた。


いつだっけ?えらく無茶な喧嘩をしたことがあった。たまたま居合わせたミセス・ケリーが
必死になって閉ざされた扉の向こうで止めようとするほどの。理由なんてもう忘れたけれど。


ああ、ゾロが言ったんだっけ。売り言葉に買い言葉、ってやつで。
おれはおまえの"客"じゃない、とかなんとか。


そんなこと一度だって思ったことは無いと、たしか自分はこの世の終わりかってくらい涙が
止まらずになりながらも、言った。そうしたら、そのとき初めて、







抱きしめてくれたんだ、たしか。





なんか、ムチャクチャだ。
心臓、痛ェ。








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