「ゾォロ。降ってきたよ、雨。起きて?」
半ば目覚めているような浅い眠りに、声が届いた。
意識が、すぐに正体を取り戻す。
頬に唇で触れられる。
視界。
ほわりと笑みを乗せたサンジが覗き込んでいた。
柔らかく、屋根を叩く雨音が満ちていた、いつの間にか。
腕を伸ばして頬を撫でれば。
「オレ、雨に当たってくるからね」
「あたる―――?」
「そう。外、行ってくる」
さらり、とまた唇が落とされ。
ベッドから出て行った。
デニムだけを一応は引っ掛けているらしい。
そして、また振り向いてにこりとすると。
ベッドルームから出て行った。
雨音が部屋を充たしていく。
水気を含んだ空気と。薄明るい窓の外からのヒカリ。
時間は、昼前頃だと見当をつける。
少し耳を澄ませば、地面に打ち付ける雨音も届いてくる。
これだけの雨のなかを「あたりに」出て行く?
野生児のすることは見当がつかねぇな。
身体をベッドの中で伸ばし。勝手に口許がわらった。
腕をサイドテーブルに伸ばし。タバコに火をつけてから、起き上がった。
放ってあった服を適当に拾って窓の外を見た。
雨の粒が斜めに降りしきる。
これだけ視界が良いなか、雷でも空を走ったらそれこそ見ものだな、と思いながらベッドルームを出た。
余計な音が何もない、地鳴りに似ているような気さえする。雨がこれだけ賑やかだとは知らなかった。
仄暗いリビングを見渡しながら、ふと思った。
そして、外へと続くドアを開け。
音に包まれた。打ちつける雨の音と、跳ね返る水の音。
――――すげえな。
そして。
響き渡る音の中に微かに歌声が紛れていた。
目をやる。
……あぁ、あんなところにいやがる。
少し家から離れて、両腕を広げて立っている。
目を閉じて、暗い空を見上げて。
――――歌っていた、聞いたことのないコトバで。
聞きなれない旋律を追い、ふ、と思い出した。
いつだったか、半ば眠りの中で似たような音階を聞いたな、と。
金の髪が水を含んで鈍い色に変わり、それでも薄暗いなか、ヒカリを纏っているようだった。
ポーチに立って、見つめていた。
どこか、不思議と現時離れした景色だった。
じぃっと待っていた。ゾロの胸に顔を埋めたまま。
雲が動き、気圧が変化し。
やがてポツ、ポツと雫が屋根を叩き始めるのを。
遠くで、ゴロゴロゴロ、と雷の音。
キャニオンの方、天辺、もしくは崖沿い。きっと、今はすごい雷だ。
オレを抱き込んでいた腕からそうっと身体を擡げて。
声をかけてゾロを起こす。
「ゾォロ。降ってきたよ、雨。起きて?」
間近でとてもゆっくりと、グリーンの目が開いた。
もうきちんと覚醒している目。
…ふふふ、キレイだなぁ。
頬に口付けを落とした。
笑いかける。
オハヨウ、ゾロ。来たよ、雨が。
ゾロの腕がゆっくりと伸ばされて。
オレの頬を撫でていった。
「オレ、雨に当たってくるからね」
祈りを捧げに行かないと。
なにやら問いただし気なゾロに、もう一度口付けた。
行ってきます。
そうっと心で呟いて、ベッドを抜け出した。
放り出してあったデニム、下着と一緒に穿いて。
こちらをじ、と見ていたゾロに笑って振り返ってから、ベッドルームを出た。
裸足のまま、キレイなリヴィングのフロアを抜けて、家の外に出る。
雨脚は強くなるばかりだ。
ドアを開ける。目の前の四角いキャンパスの中、斜めに走る銀の線。
空気が甘い。すぅ、と冷ややかではあるけれども。
ザザザザザザ、と降り落ちる雨、砂に吸い込まれていってる。
降り始めだから、まだ浸透していくのが早い。
水溜りは出来ずに、焼けた茶色だった砂が、重たい灰色気を帯びている。
歩き出す。雨の中。
大粒の雫が、あっという間に全身を濡らしていった。
キモチガイイ。
きつく当たる雨粒。
滝に入ってるみたいだ。
両腕を伸ばし、二度、三度と回る。
目をあけることも適わないけれど、雨が降り落ちてくる映像が見えるようだ。
んん、一年ぶり、こんな雨は。
全身で、受け止める。
笑みが浮かぶ。
キモチガイイ。
埃っぽかった空気はあっというまに潤って。
吸い込むのが少し困難なくらいだ。
重くて、甘くて。
ゆっくりと空気を吸い込んで、旋律に音を乗せる。
祈りの歌。雨の歌。
ポーニーズのジャックおじさんに教わったもの。
…ああ、虹色の蛇。
変化の象徴。
そうか、雨のシグナルだったんだ。
一足先に訪れてくれた水の精霊に感謝する。
激しく打ち付けられる感触に、肌が痺れ始める。
温い雨、それでも体温よりかは低い。
奪われる、熱。
シン、と冷え始める身体。
雨が降ることに感謝。
この場所に、この地に宿る生命に、潤いを与えてくれることに感謝。
雨音が激しすぎて、自分の声が聴こえない。
歌のリズムと口ずさむ呪。
砂を、身体を、叩く雨音。
意識が浮き始める。
広まり、薄くなって、溶けていく。景色に。
繰り返すフレーズ。
身体が容を無くし切って。
ふつ、と意識が跳んだ瞬間、傾いだ身体にかかった重力で、こちら側へと引き戻された。
無意識に唱えていた詠唱を終えて。
広げっぱなしだった腕を、ゆっくりと下ろす。
一息吐いて。
痺れている手で、重く垂れ下がっている前髪を掻き上げる。
手で前を抑えて、視界を開く。
横殴りの雨の中、立つ一軒の家。
ゾロがポーチに、佇んでいた。
動く腕…ああ、タバコを吸ってるのか。
顔を伝う冷たい雫。
ゾロは…出てこないかな?
じぃっと見ていたら。ポーチにおいたロッキング・チェアの背に、バスタオルを被せていた。
ああ、出てこないな、ゾロは。
にひゃあ、と笑った。
思いっきりずぶ濡れになって、天然のシャワー浴びるの。気持ちがいいのに。
すい、と一歩だけ外に出て、来い、って手招きされた。
にゃはははは。
そっか。今年はゾロの腕の中に飛び込めるのか。
一人じゃないって、こんなにもステキなことだったんだなぁ。
にゃあ。うれしいぞう。
く、と足を伸ばしてから。
激しく斜めに降り落ちる雨の中、走る。
うひゃあ、デニムが重い〜!!
空気、ぜい、と肺から吐き出す。
バサ、ときっと音がしたに違いない動きで、ゾロがバスタオルを広げていた。
これは飛び込んでもいいって合図に違いない。
にゃは。待ってて、すぐにいくから。
濡れた砂に、爪先を沈めながら、ゾロの腕の中を目指して走りこむ。
「Zoro! Happy raining cats and dogs!!」
バスタオルの中に閉じ込められて。ぎゅうう、と抱きしめられた。
にゃはははは、と笑うと。
ゾロの大きな手が、バスタオルの端で、濡れに濡れた髪をわしゃわしゃと拭き始めた。
「ネコは水が苦手じゃないのか、」
からかうような口調。ぎゅむ、とゾロに抱きついた。
「オレは猫でもワイルド・キャットだから」
にゃはは。雨、気持ちよくて大好きだもん。
「ゾロは天然シャワー、浴びないの?」
目を細めてゾロを見上げてみる。
「フウン?じゃあ乾燥機にでも放り込むぞ」
「ヤダよ!どうせ暖まるなら、アナタの腕の中がイイ」
冷え切った体。冷たい肌。
ぺとり、とゾロの頬に手を添える。
くしゃん、と前髪、手が梳き上げていった。
「生憎。冷たい身体は好みじゃない」
「温めて」
に、とイジワルな笑みを浮かべたゾロの腕に齧り付いた。
「熱くして」
とろり、と意識が蕩ける。
「アナタがオレを熱くして」
噛み痕に口付ける。
「アナタがイイ」
肌に口付けたまま囁く。
長い指。さら、と流れ落ちて。デニムのフロントボタンを一つ、すい、と外していった。
ひょい、と膝の裏、抱え上げられて、地面から浮く。
端整な顔がじぃ、と覗き込んできて。その首に腕を回した。
「バカの上塗り、」
そう呟いて、ずかずか、と雨の中に出て行く。
ざぁ、と激しく打ち付けてくる雨。
「うわああ!」
笑ってゾロの首筋に顔を埋めた。
すぐに流れ落ちてきた雫を舐め取る。
「オイシイ」
「オマエの方が美味い」
「いっぱい食べて」
ちゅ、と首を伸ばして、オレを見ていたゾロに口付けた。
ゾロがふ、と笑みを口の端に刻んで、くるり、と振り返り、歩き出す。
ドア、手を伸ばして開ける。
雨の中から戻ると、途端に濡れた体を意識する。
くすくす、と笑いながらゾロの腕に抱かれて、目指すはバスルーム。
ああ、どうしよう?
もう熱くなり始めてるよ。
うずうずが始まる。
はぁ、と柔らかな吐息をゾロの首元で漏らした。
「ゾォロ。大好き」
んんん、大好きだよ。
「あぁ、おれもスキダナ」
そう言ったゾロの肩に頬を擦りつけた。
ふわん、と息を吐いて、そうっと告げる。
「はやくオレを狂わせて、アナタに」
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