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 ロッキーズからだろう風が、冗談のようにさらさらと木を揺らしていった。
 広い道の両脇には芝草だかナンだかが広がり、スプリンクラーまで回ってやがる。
 小さな虹が、光の加減で出来て。
 その向こう側を、ひらひらと手を振ったサンジが歩いていった。
 
 しばらくその姿を見送る。
 そして、胸ポケットからサングラスを取り出して光を遮った。
 人影が殆ど無いとはいっても、他人にカオを曝して歩こうとは思わなかった。
 全米で1、2を争う「安全な町」だと言う、ココは。
 穏かな空気だ、確かに。漂うのは他に形容しようが無いほどののんびりとした風情で。
 冬の間、何度かアスペンに来た時には感じなかった長閑さと爽やかさの入り混じった空気だ。
 ――――妙に居心地が悪いのは、仕方がない。
 
 「ココは、あの辺りだよな」
 小さく声に出し、目で空の辺りを眺める。
 ケラケラ、と笑った声を思い出した。
 「なぁ、エース?おれはお蔭様でハナサキ地面に突っ込んでるよ」
 
 ここで立っていても仕方ない。ひとまず、歩いてみるか。
 緩やかにカーブを描く道を矢印に添って行く。
 
 UPSでケイタイを寄越させて以来、何度かペルと話す機会があった。
 その度に、大人しくしていろ、の一点張りで。
 おれが何のニュースも敢えて集めていないことに半ば呆れ、半ば安堵したような声を出していた。
 
 「なぁ、ペル。おれの葬式ってどうしたんだ、」
 「あぁ、勿論。密葬ですよ」
 「――――フン、」
 「遺体の損傷が烈しかったもので」
 しれ、っと言ってやガッタ。
 
 「ですが、」
 あぁ、わかってるよ。大人しくそれで信じるような連中じゃないんだろう……?
 「彼らは"南"に強い。我々は、"東"と"外"が基盤。貴方はまだ彼らのテリトリー内にいらっしゃるのですから…」
 「わかってる、出歩かねェよ」
 「ネィティブの居留地は、双方にとってのアウターリミットです。そこを出ることだけは避けてください」
 子守りの口調は真剣だ。
 微かな余裕が漂う気配も無い。オマエの売りなのにな?そのいけすかねぇ振りは。
 
 「―――なぁ、連中。そこまでおまえに言わせるほどの大物なのかよ?」
 それならそれで面白い。
 「現時点では、断定できるほどの確証はありませんよ。ただ、」
 ――――ただ?
 複雑であることだけは、確かです、と。
 冴えた声がした。
 
 「ゾロ、彼らは貴方の死を信じているわけではない」
 ペルの声が耳の底に残る。
 キャニオンの何処かで、吹っ飛んだハズのオトコがコロラド・ステーツの学内にいるわけか。
 バカバカしい話だ、けれど。リスクではあるな。
 ココはともかく。ノンビリした場所とはいえ、ボールダーも。
 安全度は8割を切っているな、多分。
 
 以前、死ぬ前にオンナの名前を呟いた男を見た。
 大馬鹿ヤロウだと思ったが。
 いまのおれは、そいつ以下かもな、アタマの具合は。
 そいつの下には、誰もいなかった。おれの場合とは随分違う。
 
 怖いものはないのか、と問われたとき。死ぬ気がしない、と応えたなら。
 あの、始末屋。あいつがたしか言ったんだったか。
 「運命の女神はな?舌先に毒針がうえられているんだ、蜜月の後には抜け殻だよ」
 歌うように囁いて、長い指が血の雫を空に散らしていた。
 「あぁ、しかし。自分が殺した相手の"最後"までを見届けよう、っていうのか。オマエは感心な人殺しだねぇ」
 薄い唇が吊り上がっていた。
 
 目に鮮やかな緑の真ん中で。
 おれが思い出すのはまるで正反対のことばかりだ。
 
 ―――リスク。
 それと、何日かの不在。
 プラス、返答を待っていた間のサンジの表情。
 しゃん、とスプリンクラーの水を散らす音が響いた。
 そういったことのウェイトを測った結果が。
 いま、ここにいる事態なわけだ。
 
 「―――なるようにしかならねぇだろ、」
 いきなり、目の前に現れた湖だか池だかを眺めて呟いた。
 白鳥がいなくて助かった。
 暇つぶしにエサでもやりかねねェよ。
 あぁ、タバコ吸いたくなってきた。
 けど、ココは一応パブリックスペース、なんだろうどうせ。
 つら、と見回した足元、ちいさな岩のプレートに。ご丁寧にノースモーキング、のサインがあった。
 
 「……shit,」
 「あら。私も同感」
 女の声がした。
 「癪だわよね。ココ、普段はだれもいやしないのよ」
 心外だわ、と続ける。
 さくん、と草を踏み、漂うトワレの香りに女が横に立ったのだとわかる。
 ポインテッド・トゥのサンダル。
 次にライト・ブロンズのマニキュア。
 目に入ってきた。
 視線を上げたなら、長い髪をした女が軽く腕を組んで立っていた。
 
 「私ね、ここでいつも煙草すっていたのよ、授業の合間に。憎たらしい、昨日までこんなナマイキなサインなかったのに」
 心外だわ、心外。
 また、女が続けた。
 「ねぇ、白鳥がいなくなったのも私の所為でガンになるとでも思っているのかしらね!」
 「――――白鳥がいたのか、」
 「橋桁に首を突っ込んで動けなくなっていたのを助けたのはこのヒナなのに!」
 
 どうやら真剣に怒り始めた女を改めて見た。
 ビジン、上物の部類だ。癇の強そうな目元と、マニキュアと色調をあわせた趣味の良い色のルージュをしている。
 「ヒナのためにガンになるならあのホワイティはよろこんでなるわよ、決まってるわ」
 「――――名前までつけていたのか?」
 変わった女だ。
 「そうよ、ダッキー・ザ・ホワイティ、って言うのよ」
 思わず、笑い出した。
 
 「―――なによ?」
 「1羽だったのか?」
 「プリシラ・ザ・スノウイィもいたわ」
 なんて、名前つけやがるんだこの女は……!
 「あンた…変わった美人だな。」
 にぃぃぃ、っと女がわらった。
 「ヒナよ、」
 右手を突き出してくる。
 「あぁ、よろしく」
 手を取った。
 「名前つけてあげましょうか?アナタにも」
 「例えば、」
 「ジャック・ザ・リッパー」
 にぃいい、とまた「ヒナ」がわらった。
 
 「良い趣味だな、ヒナ」
 「チャッキーより良いでしょう?アナタ切れ味よさそうよ」
 「お好きに、」
 手を放した。
 フフフ、と髪を揺らしてまたヒナが笑い。
 あぁ、この女と時間でも潰すかと思い当たった。
 
 「ヒナ、」
 「なぁにビル」
 ―――放っておこう、名前は。
 「愛煙家のヨシミだ。どこで吸えるか教えてくれ」
 「一箇所だけあるのよ」
 「どこだ?」
 「ヒナの部屋」
 「―――パス。」
 「あら。ジェントルマンね、ウィリー」
 
 「セカンド・チョイスは?」
 「カフェ。」
 「ああ、そっちに行こう。よければアナタも一緒に、ヒナ」
 「フフ。いいわよ、カーター」
 「それで?それはどこにあるんだ、」
 「ヒナはあんまりアングラ(学部生)のいるところへは行かないんだけど。リクリエーションセンターのなかのところだけ、
 スモーキングエリアが残されてるの、奇跡よ」
 
 すう、と腕を巻き取られた。放っておく。
 「グラッド?(院生)」
 「そう。政治学をやってるの」
 く、と頤を上げておれを見上げてきた。
 「アナタは、ウチの学生じゃないでしょう」
 「あぁ、正解」
 「ヒナのリストに載って無いモノ、だって」
 「じゃあ、いまからリストアップされるのか?」
 「ランクも点けるわ」
 「お好きに、」
 
 
 
 
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