適度な賑わいを見せる通りを何ブロックか進み。
コンシェルジェの言った通り、グリーンのファサードのある建物を右折して一本横道に入り。
しばらく進むと、チーク材の建物が見えてきた。
ぼんやりとした灯かりに照らされている。
あぁ、あれだな。
「着いたらしい、」
すい、と指差した。
「…賑やかだね」
ほわりとした笑みを表情に乗せ、サンジが言っていた。
確かに通りは人が行き交い、夏の夜らしいどこか穏かな賑わいがあった。そのほかの何も、介入している気配はゼロだった。
見上げてくる目は光を映しこみ、ごく微かに色をのせている頬に一瞬手の甲で触れた。
とろり、と柔らかく映し込まれた光が蕩けていた。
あぁ、だから。
外でそういうカオはするな、って言うのにな……?
とんとん、と指先で頬にもう一度触れてから、コンシェルジェ曰く「私が自信をもってお奨めします、」と保証していた場所へと近づく。
ステップを上がり重たげな扉の前に立った。
押し開ければ、僅かに落とされた灯かりの中に濃紺に金の縫い取りのあるシンを着た女が笑みを浮かべて立っていた。
「ミス・ヴィラレルからのご予約のお客様でらっしゃいますね?」
コンシェルジェの名前だった。丁度良い。
頷けば、衣擦れの音と一緒に女がこちらへ、と進み始めた。
微かに人の気配が漂うフロアを抜けずに、そのままカーブを描く階段を上っていく。
物柔らかな声で、個室は2階にございます、と言っていた。
ありがとう、とふんわりと笑って返すサンジに女がまた笑みを深くしていた。
案内された場所は、半ば開かれた個室だった。
グランドフロアへと壁の一方が取り払われ。あぁ、イメージとしてはアレにちかいのか。
オペラの二階席。
邪魔にならない程度に抑えられた音量で何かのアンサンブルが流れていた。
座席を引かれテーブルに着きながらなにか聞いていたらしいサンジに、女がにこりとしていた。
そして、これは19世紀に在位していた王が作曲したものなのだ、とにこやかに告げていた。
花の美しさを讃えているのです、と微笑み。やんわりと身体を折って出て行った。
女と入れ違いにウェイターが足音をさせずに入ってき。
サンジにむかって、疑いもせずに自分達がサーブできる「ティー」の種類を述べ出したのに少しばかりわらった。
ワインリストから適当に白を選び。
ウェイターがにこやかに告げた。
「ミス・ヴィラレルから承った内容でよろしいですか?」
「あぁ、そちらに任せる」
「かしこまりました、」
すう、と扉を抜けて行った。
ふわふわとサンジは上機嫌なままらしい。
ふい、と目をあわせた。
「―――どうした?」
「うん?…ナンデモナイ」
また、柔らかく視線が溶け。
ソレを見て口端が勝手に上がった。
「ここの自慢は、王宮料理らしいから。気に入ったものがあればスーリヤに聞けばいい」
「ウン」
答えながら、すう、と内装に目を過ぎらせていた。
アジアを強調しすぎるわけではない、けれどどこか湿度を含んだ暑さに似合うだろう色味で統一されていた。
そういえばハハオヤはホテル関連の仕事をしているのだったか?と思い出した頃に。
「こういう雰囲気は初めてだ、」
サンジが弾んだ口調で言った。
ふうん?
気に入ったみたいだな。
すう、と扉が開き。戻ってきたウェイターが、サンジの前に青磁の茶器を置いていた。
あまい香りが漂う。
何のお茶ですか、そう柔らかな声で聞いている。
「オーキッドが入っています、私共のオリジナルブレンドです」
「そう。楽しみ」
―――ネコはハナが効くらしい。
ふふ、と上機嫌なまま立ち昇る香りを楽しんでいる風だった。
そんなサンジの様子に微かに笑みを乗せて、ウェイターが慣れた手つきでワインを開けグラスに注ぎ。サーブしてきた。
接客態度は上々、ワインリストのラインアップも中々。
これなら味も、「私の弟子にはいたしましょう」なレベルは出てくるかもしれないな…?
初めて食べたタイ料理は、とても面白い味がした。
酸味が強かったり、辛味が強かったり。
なによりも、香辛料がとても深い味わいを出していて。
これなら本当に、ゾロの家にいるスーリヤさんに頼んで、料理を教えてもらうのもいいかもしれない、と思った。
シーフードも、お肉も。それはそれは食べた事のない味付けで出てきて。
ワクワクした。
デザートのマンゴーのシャーベットを食べながら、ゾロに言った。
「スーリヤさん、本当にコロラドまで来てくれるかなぁ?」
「あぁ、」
ウェイターさんが、コーヒーを出してくれたけど。オレが知ってるのとはちょっと違った。
「ねえ、このコーヒーって…?」
ゾロを見て訊いてみた。
「ローストがキツイんだ」
「ディープ・ローストなんだ?」
そう、ってゾロが頷いた。
「匂いが甘いよ?」
「アイスティーだと、ココナツミルクと砂糖を死ぬほど入れたがる」
「ふぅん?」
一口飲んでみた。
「うわ、甘ッ…!」
「だろう?」
甘いもの好きなんだろ、ってゾロが言っていた。
口許には、に、って笑み。
ん、けどなんだろ?
「ミルクって感じじゃないね?」
ちょっと粉っぽいのかなぁ?
「コンデンス・ミルク」
「…ああ!なるほど!」
うわあ、それじゃあ甘いよねえ?
くすくす、と笑った。
「それで、サンジ?」
「なぁに?」
笑ったままゾロを見た。
「スーリヤに。"花嫁修業はいつくるのか"を習う気になったか?」
くくく、ってゾロが笑ってる。
「…ハナヨメ?」
ふわん、って笑った。
「ああ、言っただろう?スーリヤは英語が得意じゃない」
「うん、聞いた」
それでそれで?
瞬いて、ゾロに先を訊ねる。
「だから、自分がレシピを教えるのはおれの"花嫁"と決めているらしいから、そう言わねぇと教えてもらえないぞ、オマエ」
ゾロがけらけらと笑い出した。
「…ねえ、ゾロ」
カップを置いて、ゾロを見た。
ん?って笑みの残った眼で、オレを見た。
優しい眼差し。
「Will you take me as your bride?」
オレを花嫁として迎えてくれるの?
ゾロがすぅ、と目を細めた。
「No way,」
やだね、だって。
「じゃあ、来てくれないかな」
スーリヤさん?
くすくすと笑ってゾロを見ると。
「なんだろうな、オマエは」
す、とゾロの目元から、笑みが薄らいでいった。
「…不思議だね」
カップを持ち上げて、一口コーヒーを飲んだ。
「2ヶ月前は、存在してることすら、知らなかったのに。」
今は、こんなにも大切。
「Now, you mean the world to me」
こんなにも、オレの総てで。
笑った。
「おれがどんなに愛しているか、オマエには決してわからないだろう、とでも返そうか?」
ゾロがやんわりと微笑んだ。
「…オレ、知ってるよ?ゾロがどんなに愛してくれてるか」
ふにゃん、って笑みが勝手に零れていった。
「言葉にできないくらいにイッパイ」
表せないくらいに、イッパイ。
「オレを愛してくれて、ありがとう」
オレに愛するチャンスをくれて、ありがとう。
ゾロが、なんだか。苦しげな顔をしていた。
「オレは、アナタに愛されて。とてもとても、幸せなんだ」
ゾロが、とてもゆっくりと。
おまえの在ることに感謝する、と言った。
…うん。
オレ…幸せだ。
なんだか、泣きそうだけど。
すごおい、幸せだ。
けど、泣いちゃうと、シケタカオするな、って言われるから。
笑う。
I love you、って。吐息に乗せて言った。
声にはとても出来なくて。
想いで喉が塞がっちゃった。
少し潤んだ視界の中。
ゾロが、とても穏やかにやさしく、ほんの少しだけ、笑みを乗せていた。
…言葉よりも、雄弁だね、ゾロの瞳。
柔らかな光を湛えた、硬質のグリーン。
「…早く帰ろう?」
帰って、もっと身体をくっ付けよう。
さっき、煽られて湧き上がった快楽の熱とは違う、とても純粋に温かい何かが。
身体中を満たしていった。
ゾロの腕、すう、と伸びてきて。頬をさら、と掌で包まれた。一瞬。
それから、ゾロが立ち上がって。
目が、きれいな光を弾いていた。
イスを引かれて、立ち上がった。
意識がどこかふわふわと浮いたままの身体で、エグジットを目指す。
「またのお越しを、」
ウェイターさんとウェイトレスさんに見送られて、店を出た。
ゴチソウサマデシタ、美味しかったです。
そう彼女たちに告げて、随分と冷えた夜の空気に身体を曝した。
ゾロはオーナらしき人に捕まって、何か言葉を交わしているようだった。
宙を見上げた。
そこには無数の星。
瞬く光は、永遠の一瞬。遠い昔に死んだ星の煌き。
……想いって、なんなのだろう。
そんなことを、今更ながらに思う。
愛してる、って気持ちが溢れ出していく。空気に溶ける。
「待たせた」
ゾロが店から出てきて、すい、と肩を引き寄せられた。
「……ウン」
こん、ってゾロの肩に頭を預けた。
ゾロ、アナタに出会えて、よかった。
何度でも感謝する。
オレは…アナタと愛し合えて、幸せです。
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