Saturday, July 27
「ミスタ・ラクロワ、」
ふ、と耳慣れない音を聴いた。
とてもとても優しい、低いオトナの男性の声。
その裏に潜む、暗い感情。
敵対心は無いけど、オレを快く思ってない。
そうっと肩を掌で叩かれた。
泣き疲れて、床に蹲って眠っていたことに気付いた。

「どうか、お起きになってください、」
瞼を開けようとして、ひどくそれが腫れていることに気付いた。
「ペルさん…」
声を、知っている。
「ごめ…なさ…ぃ」
掠れた声。
起きられない、と言おうとしたら、ゆっくりと引き起こされた。
くう、と力の入らない膝に重みがかかった。
支えられるようにして、立ち上がった。

「あなたがご無事でよかった」
「……ッ」
首を振る。
また涙が零れた。
オレだけが無事でどうするの?
ゾロが一緒じゃなかったら、ゾロが無事じゃなかったら、どうするの?
ゆっくりと歩き出させられる。
奥の部屋に。

「ぞ、ろ、は…?」
ドア、開けられた。別の人に。
す、と視線が当てられたのを感じた。ペルさんの。
「まずはお掛けなさい、」
とても優しい声。
繕わなくてもいいのに。
誤魔化しなんて優しさはダイキライだ。
かちゃり、と陶器の合わさった音。
熱、目の前。
紅茶の匂い。
押しのけた。

「ミスタ・ラクロワ、」
椅子に座り込んだ。
顔を覆う。
ふ、と笑ったゾロの"家族"。
「私共は、貴方にお礼を言わねばなりません」
首を横に振る。
涙はまだ止まらない。
声は出ない。
思考も回らない。
静かに、何かを差し出された気配。
す、と置かれた僅かな重み、多分ハンカチ。
唇を噛み締めた。
閉じ始めた傷口が、開いて、血の味が広がる。

掌で涙を拭った。
涙、止まらない、だけど。
「ドクタが、感心していらっしゃった。あなたの処置は完璧だったと」
見上げる。
顔に刺青をした男性。
オトナ。
猛禽類の目をしている。
返事の代わりに首を振った。
歌うように続けられる声。
「ミスタ・ラクロワ、あなたは彼の恩人でらっしゃる、」
「…ガウ」
チガウ。
オレはゾロを、助けられなかった。
助けたのは、ドクタ。
オレじゃ、ない。

「止血が充分でなかったなら、さしものドクタも今回ばかりは匙を投げていらっしゃったでしょう」
首を振る。
それ、でも。
ドクタがいなければ、結局。
…オレじゃ、ない。
「彼も、運が良かった。ドクタがこちらにいらっしゃいましたからね」
「……そう」
それ、ならば。
ゾロの先は、まだ続いていたことになる。

「ミスタ・ラクロワ、」
「………ェス?」
じ、と強い視線、オレを見続けている。
ゾロ、助かったんだ。
まだ、生きてるんだ。
新たな涙が零れた。
けれど、見返す。
暗い鳶色の瞳。
ゾロを"守護"するヒト。
「イェス、ミスタ・ペル?」
覗き込む。
知っている。
アナタはオレがキライだ。

「彼の体内には、取り除き切れなかった弾の破片が随分と残ってはいますが、イノチに別状はありません。」
「……そう」
鉄の破片。
肉に埋もれた。
飛来したイメージ。
拳を握る。
カレの視線が動いた。ドアの方へと。
「動脈をその欠片が掠っていった所為で、出血が酷かったようです」
頷く。
見えていた、動脈の切れた管。
濃いピンク色、赤に浸っていた。

視線が戻ってきた。
強い強い視線。
「ですから、あなたがいなければ、カレは生きてはいなかった、」
けれど、と続けられたコトバ。
視線、受け止め続ける。
「イェス?」
促す。
「あなたといなければ、カレはあの場所にはいなかった。そうではありませんか?ミスタ・ラクロワ」
「…イェス」
オレといなければ、ゾロはあの場所にいなかった。
あの時間、あの場所に。
否定する余地は無い。

「彼はあなたに何も語っていないのだろうと思います、ミスタ・ラクロワ」
「…少しだけ」
オレとは住む世界が違う。
「なるほど、少し。ですか、」
暴力で成り立つ世界。
すう、と目の前のヒトが笑った。
グリズリーより冷たい目だ。
オレを巻き込みたくない、ってゾロが言ってた世界。

「ビジネス、と言っているでしょう。彼は」
「イェス」
掠れた声、溜め息と共に応えた。
ビジネス、そうゾロは確かに言っていた。
「Bloody、とアタマに御付けになってください、それこそが正しい」
「……Bloody business」
血塗られた仕事。
「ええ。さすがに、児童と臓器の売買からだけは手を引いていますがね、」
視線をテーブルに落とした。
冷えた目の前のヒトの声が痛い。
「…必要のある世界?」
それでも、世界を回す歯車のひとつ?
想像も付かない。
ヒトの暴力で成り立つ世界。

「あぁ、あなたは。光だけで世界が成り立つと思ってらっしゃるのですか?まさか、ね」
「……生きてるものは死ぬ。必要があるから成り立つ。バランスの、世界」
ますます笑みが深くなったヒトに目を戻す。
ワカラナイけど。
ヒカリダケのセカイなんて、有り得ない。
「あなたは、物分りが大変よろしいのですね。ミスタ・ラクロワ」
「……オレは狩りをして、命を繋ぐ重要さを知ってるから」
命のバランス、誰よりも知ってるから。
サイクル。
支えあう世界。
「―――なるほど。ならば、ヒトの卑劣さはご存知ですか…」
「知らない、ソレは」

ヒトの世界、ほとんど知らない。
オレの心は、いつでも森にあったから。
いままでは。
ヒトの世界。
「例えば、家族。恋人。友人。あなたが想いをかける誰でもいい、いらっしゃるのでしょう」
頷く。
アタリマエだ。
オレは……どんなにイヤでも、ヒトの子だから。
ヒトとして産まれたから。
レッド。
オレはどうしてアナタと同じモノじゃなかったんだろう?
ダディ、マミィ。セト。

「その方たちはあなたを支えるものとなっている、違いますか…?」
「…オレは独りきりで生きてるなんて思ってない」
いつでも誰かに支えられてきた。
自分以外の誰かに。
ヒトも、ヒトでないモノたちにも。
「ええ、そのとおりですよ。ですが、それは同時に脆弱でもある」
「脆弱…?」
ワケがわからない。
支えあって命が成り立つセカイなのに。
「ええ。あなたが愛するものでしょう?あなたの敵にはなによりも良い標的だ」
「……敵」
オレの敵、ああ、そうだね。
仔を狙ったグリズリー。
怒ったレッドが追い出しにかかった。
「"私たち"にとって。家族や愛人をもつことは、なによりもリスクになるのです」
倒れた濃茶の熊の身体。
その戦いが元で、死んだレッド。
「…愛さないで、生きるの?」
誰も愛さないで、生きるの、"アナタタチ"は?

す、とカレが胸元に、手を差し入れていた。
苛立ち。
カレは昏いモノを纏ってる。
ぱち、と間近で音。
細かい銀細工のロケット。
目の前で開かれた。
中には写真。
オンナノヒトと、オンナノコ。
キレイナ母親と、そのムスメ。
まだ若い…二人とも。
「私の、家族でした」

そうっと目を見上げる。
痛そうな顔、堪えてる。
冴えた光、とても暗いソレ。目の中にある。
「…アナタが愛する」
家族。
「愚かさに気付きましてね、絶縁して国外へやりましたよ」
ふ、と目だけで笑った。
オレのコトバに。
「けれど、」
ふ、と気配。
ああ、そうか。
なくしてしまったのか。
アナタは家族を。
目を瞑った。
笑顔。
オンナノコとハハオヤ。
泣いてる。
彼女たちも。
目の前のヒトも。

「…けれど?」
「この写真のコドモ、ビビの8歳の誕生日の日に……、」
ぱしん、と閉じられたロケット。
それと共に、心が閉ざされた。
残されたのは、哀しみだけ。
深い深い闇。
「…それでも、愛してるのでしょう?」
遠ざけても、何をしても。
「私からのギフトが贈られて来たそうです。親子で開けて、後は。瓦礫だけが残されました」
悲しみ。
伝わってくる。
「ミスタ・ラクロワ、」
失くしたヒトにしか、わからない痛み。
根こそぎ奪われた暴力を知るヒト。
「カノジョたちは、それでも。アナタを愛してるよ」
アナタの側で、泣いてる。
閉ざされた心に。

「私は。自分の罪を知っています、そして恐らく、私たちのだれもが」
「………罪」
罪。
どうして?
言っても詮無いこと。
だから口を閉ざす。
溜め息。
「愛することは、罪なの?」
「奪うものは、奪われるのですよ。運命は公平です、けっして公正ではありませんが」
「……それはアタリマエ。セカイはバランス」
天秤。
大いなる霊の意思。
「ええ。その通り。ですから、あなたはご自分の世界へお帰りなさい」
「………オレは、愛してるのに」
溜め息。
「オレが、愛してるのに」
ゾロを、愛してるのに。




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