5:20 am, Saturday, July 27
見慣れた風景。
擂りガラスの向こうに広がってるような感覚で見ていた。
何度かされた電話。
"ミセス・ラクロワ。"
マミィにかけてたみたいだ。
車が停まった。
マミィとダディの、ヴェイルの家。
「ミスタ・ラクロワ、ご自宅です」
横の人が、きちんとした声で言っていた。
そのまま、窓に凭れていた。
すう、と周囲に目線を巡らした助手席の男性が、先に降りた。
ドア、開けられて、そのままカレの腕に捕まえられる。
くん、と抱え上げられた。
馴染んでない体温、匂い。
ゾロじゃ、ない。
少し身じろいだ。
だけど、力が入らなかった。
手の中にある鉄の尖った部分だけ、ちくちくと感覚を送り続けてくる。
「失礼」
弁護士みたいなヒトが、インターホンを鳴らしてた。
すぐにドアが開けられたみたいだ。
闇に明かりが広がった。
「ベイビィ!!」
マミィの声。
「ミセス・ラクロワ、このような時間に申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ。それより、申し訳ございません、サンジをお連れいただいて」
ドア、迎え入れられたのだろう。
馴染んだ匂いに入っていく。
リヴィング、見慣れた空間。
「よろしければ、ご子息を御連れしますので仰ってください」
「ええ、あの…事故、ですのよね?」
ソファ、勧められたのだろう。
「はい、」
く、と座らされた。
知らないクッションにもたれかかった。
擂りガラスの向こう、弁護士さんがネームカードを出していた。
マミィ、蒼ざめてる。
だけど、平気そうだ。
マミィ、ごめんね。
だけど、オレはゾロのいない世界はイヤなんだ。
「……どういった事故か、ご説明いただけるのでしたわね?」
オレの知らないメイドさんが、ティーセットを運んできた。
オレの服に付いてた血に、短い悲鳴を上げていた。
「ご挨拶が遅れました。私、ディビッド・マクファーソンと申します、ロード&タイラー法律事務所でパートナーをしている者です。このたびはご子息が、私のクライアントが襲撃された現場に居合わせられ―――」
「…まぁ!?」
す、と弁護士さんが、メイドさんに目礼していた。
マミィが、す、と視線をやって、彼女はキッチンに走っていった。
「ええ、それで?」
硬いマミィの声。
「彼は政治的理由で亡命してきた人物なのですが、まさか襲撃までされるとは私も思っておりませんでした。けれど、ご子息に応急処置をしていただき、一命は辛うじて取り留めております」
セイジテキリユウ。
ああ、これ、ウソだ。
きゅう、とガラスがさらに曇っていった。
そうですか、とマミィの声。
遠くなる。
「クライアントに代わりまして私が伺いました。本来ならば氏名を明らかにした上で直接御礼をしたいと申しておりましたが、……どうかご理解賜りたく」
「ええ」
「今夜は取り急ぎ御礼と用件のみ申し上げます。また追って、詳細は私共からご連絡さしあげたく存じますが、」
「ええ。息子の身の安全のためなのでしょう?息子は安全なのですか?」
マミィ。
「はい、それは」
オレはベツにいいのに。
「そう…、なら結構ですわ。警察には、どうなりました?」
「私共から既に連絡をいたしております。ご子息のお名前は当局にも明らかにしておりません、あくまで善意の市民であった、とだけ」
「…こちらの弁護士を立てる必要はありませんのね?」
「はい、ただ。もし何らかのご懸念がおありでしたなら、私までご連絡くだされば」
マミィの手、震えてた。
オレの髪を撫でていく指。
「この子は…メディカルではなく、メンタル・ケアが必要ね?」
すう、と弁護士さんが穏やかな笑みを浮べていた。
「金銭的なご迷惑はおかけできません。どうか、」
「ああ、イエ、ごめんなさい。そちらは必要ではないの」
す、と紙が手渡されてた。
「ご覧の通り、困ってはおりませんの」
「存じております。ご不要と在れば、どうか寄付なさっていただいて結構です」
「…良いドクタをご存知でしたら、ご紹介願おうと思っておりましただけですのよ」
マミィが溜め息を吐いていた。
「ミセス・ラクロワ、その点でしたなら」
イラナイよ。
オレは自分がどうなってるか、知ってるのに。
けれど、オトナ二人の会話は続く。
す、とドアに控えていた助手席のヒトが、マミィにカードを何枚か渡していた。
ムダなのに。
闇に捕らわれてるのは、オレの意思なのに。
「…事情は全て話しております、ミセス・ラクロワからの連絡は最優先事項に、と。いずれも、各分野で最高位の医師です」
涙が伝う感触。
「わかりました」
マミィが溜め息と共に言っていた。
「それでは、もう、お引取りくださいませ」
「失礼いたしました、それでは」
遠のく気配。
すい、って立ち上がって、消えていった男性。
玄関口で、また何か挨拶していた。
意識をシャットアウト。
もう、いい。
もう、イヤだ。
どこを間違えたんだろう?
何がどう繋がってしまったんだろう?
オレがゾロと、こっちに戻りたいと願ったから?
オレがゾロをキケンに晒したの?
オレは、森にいたほうがよかったのかな?
そうすれば…ああ、だけど。
ゾロと、出会えたこと。
ゾロと、愛し合えたこと。
後悔してない。
後悔、してないのに。
どうやって、生きていこう?
このまま、眠り続ける?
意味が無いのに。
ゾロがいないなら、オレが生きてても、意味が無いのに。
森に入ったら、死ねるだろう。
多分、寒さから。
だけど、ゾロが生きようと頑張ってるんだから。
オレは死ねない。
オレだけが、諦めるなんてできない。
ゾロが側にいない世界なんて。
死んでるのと一緒。
だけど。
オレが息をしてるって、それだけで、ゾロに意味があるのなら。
オレは、生き続けなければいけない。
ゾロに会えなくても。
ゾロに、会えなくても。
掌の鉄の欠片。
握りこむ。
そこだけに痛みを感じる。
生きてる。
簡単に死ねて、でもカンタンに死ねない。
まだオレの時はきてない。
だけど、先なんか、イラナイから。
肉が裂けた感触。
ぬるりと滑る鉄。
戻ってきたマミィが、側で何かを言ってた。
聞こえない、けど。
取り上げないで。
コレがオレを引き止めてるから。
熱、左の掌だけにある。
ゾロを撃ったソレ。
ゾロ、オレ…アナタに逢いたいよ。
ここはとても、寒い。
アナタの腕の中がいいのに。
遠いねぇ…。
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