Saturday, July 27
音がした、微かな。金属が擦れあうような音の底に混ざる。
何かを、言っているのだろうと感じる。
細い、柔らかなそれは。―――何処かで聞いた。
どこだ……?

薄く明るい光が、霞むように揺らいでいく。
だめだ、とそれは言った。
どこかで聞いた、と思う。
陽射し、窓からの。
頬にあたった陽光の温かさ、突然に感じる。
閉ざしたままの瞼、奇妙な血色を透かしていた、そして掌。
頬に押し当てられた遠い感触を思い出した。
だめだ、と。
その同じ声が揺れた。
眠ってはいけない、と。喋ってくれ、と。
祈り、縋るような声。
名前を呼ばれる。
意識が繋ぎとめられる、口を開ける暗がりの淵に。

触れたところから流れ込む温かさは―――ふわりと漂う、百合。
風が吹いて、何かが頬にあたった。
柔らかな唇。
穏かな声が届いていた。
歌うような、女の声だ。記憶の底、奥深く。
すう、と色が薄らぐ。光に溶け込んでいく。
女。
子供の声が、その影に向かって呼びかけていた。
「マミィ、」
振り向かなかった細い背中。
遠ざかる。

聞こえる、こんどは。
笑い出したい、けれど悪いジョウダンじみた現実だ、
聞こえる、祈るようなコトバ。
祈ってるンじゃねぇぞ、と。
だれかに言おうとした。
泣くな、と言おうとした
―――だれに、だろう

髪を揺らして振り向いた女がいた、泣き濡れた目。
空間を埋め尽くすほどの百合の花がいっせいに揺れる。
ざ、と風が吹いて。顔を覆う黒いヴェールを引き上げていた。
女は、首のところで折り取った百合をきつく握り締めていた。
オネエサン、
細い声がする。
オネエサン、ボク、アナタノトナリニイテモイイデスカ。
ボクモ、ダイスキダッタンデス。
ホントウニ、スキダッタンダ。……スノコト。

抱きしめられた身体の細さを、覚えている。
涙を湛えて震えたイノチを覚えている。
オイテイカレチャッタネ……?
ドウシテ、イツモミンナイナクナッチャウンダロウネ?

「オマエが狩るからだよ、」
金色の虹彩が光った。
したん、と音がする。
石床に、滴る音。
盛り上がり、溢れ零れる。朱色。
苛立ちを隠さない動きで、長い手指を振る。
ひたり、と何かが散る。
「喰いつくしちまえよ、面白くもねえ」

閃いた銀。
逆手に握られた小振りのナイフ。
銀の刃金に赤過ぎる舌先が滑った。
「オマエが狩るモノでいる間は、おれも味方してやってもいい」
金が揺らめいていた。
ぱつり、と足もと。なにかが滴り落ちた。
血の味、匂いが拡がる、風。

なにかが、押さえている。
重い。容を無くし、容積だけが残されたような
腕。
その腕に、縋るように触れてきている。
善良なるモノ。
おれに……?―――在りえない、ハナシだ。

笑い出したかった。
忘れていた身体が引き攣った。
あぁ、おまえ。
あっちにいけ、
ここにいたらなら、おまえまで影に汚れる
覆われる、おまえが
良いもの。
それでも、腕、ああ、腕か
離れずに。
何かが崩れる、内側で。
引き千切れる繊維の音が聞こえる、けれど
触れた、それに。
穏かに淡く暗がりに。光を纏うモノ。

溜め息が聞こえた、いくつもの。
足元、背中の後ろ、肩越し。
満足気な押し殺した溜め息。
空気の裂かれる音を思い出した。
圧し出される鉛。
「目には目を。」幾つもの囁き声。
浮かぶ。
石礫は、鉛弾に変わっただけだ、千年経てば。

声、掠れて何か言っていた。
まだ、―――いるのか。
オマエ、
――――…ジ、
サンジ……?

おまえの声だ、これは。
おまえがおれを繋ぐのか、
おまえがおれの―――――

揺らぐ、泥の中から
「―――じて、」
聞こえた。
諦めるなと言っていた。
「ふぅん?足掻くのか」
冷笑、あぁ、これは―――
おれ、だ。

「諦めろよ、オマエの運は無かったんだ」
じゃあな、と。
何の感情も持たずに眉間を撃ち抜いたのも、
その赤の散る様をみつめていたのも
…オマエだよ、オマエがやったんだ、と声がする。
『奪うものは奪われる。屠るものは屠られる』

なにかが、ひどく冷たい、けれどヒトの身体が近くにある。
震えている、金色のもの。
ヒカリ、照らし出すような。
おまえが苦しむことはない、どうか―――
揺らぎ、僅かに重なる。透ける。
オマエに何か言わないといけない、けれど
沈み込みかける、暗がり。


鐘がうるせぇ。
耳もと、
鳴り続ける、音。

なにかに突き落とされ身体が底に打ちあたる。
感覚が追いつく。
「また休暇を台無しにしくさりやがって……!死んだら唯じゃおかないよ!」
―――魔女だ。
げらげら笑い出した、はずが。
声も出せねェ。

陽光。
砂漠の真ん中。
光だ、眼が。射られる。
鮮やか過ぎる陽射し、だれかが、その真ん中でわらっている。
あぁ、オマエ、泣いてないな……?
サンジ、おまえは
わらっていればいいんだ、

「さぁ、いい子でオネンネしておきな」
くそ、ヒトのこと呪いやがったか、と。
声が聞こえたのか、魔女の高笑いが聞こえた、気がする。
暗転した。




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