Monday, July 29
「なぁ、おれも挨拶したいんだけど……?」
どこか笑いを潜ませた声。
子守りが溜め息を吐いたのが聞こえた。
見慣れない天井、広い窓越しの景色。
蒼のグラデーション、―――空だ。冴え渡る青。
そして、
固定された身体。
「―――コーザ、相変わらずでらっしゃる」
部屋の右奥、話し声が届く。
「ハハ!珍しいモノ好きとしてはな。滅多に無いチャンスだろうが」
「ご冗談はともかく、ご協力には感謝していますよ」
す、と笑い声が冴えた。
『コーザ』、ウェストコーストの身内。
「ゾォロ!!死にかけたってお前?」
うるせぇ、とどうにか声に出す。
「匿ってやるからオトナシクしてろよ、じゃあな!」
陽気さを纏ってもなお冴えた気配が遠ざかる。
ドアが閉じられた。
す、と空間が静まり返る。
アタマの芯が重い。
「I'm bumped and dazed,」
状況確認。
ざん、と。開かれた窓から波の砕ける音がしている。
匿われている、身内の別邸に。
時間の感覚が見事に抜け落ちていた。
コロラドから、ノース・カリフォルニア。
移動の朧な記憶が戻る。そのマエは……?
きゅる、と鳴ったタイヤの音。
銃口。
血。
―――サンジ。
あの、バカ。
………何処だ?
『泣いている』、と言っていた。
『聞こえないか、』と獣が牙を剥いていた。
壊れていく音が聞こえないのか、と。
「―――ぺ、…くれは!」
呼ぶ。くそ、魔女、キヤガレ早く。
柔らかい寝台に押しとめられた体。固定された管。邪魔だ。
気配が無い、サンジの。
いつからだ―――?
思い出せ、いつから?
「てめえ耳までいかれたか、魔女ッ!」
が、と。
コーザが抜けた方角とはま反対の扉が空気を震わせてイキナリ開いた。
「バカをお言いじゃないよ、オマエ!」
仁王立ち、だ。ベッドの足元に。
「コレを外せ」
「―――おや。私としたことが投薬量を間違えたかね?イカレガキがいるよ」
ひらひら、と手を振っていなくなりかける。
「くれは、」
「よくお聴き、ガキが。オマエは4日前に二度死んでる。また好き勝手に動いたら恐らく死んじまうだろうね」
近づく。
「ここにいる訳にはいかない、」
「そうかい、それでも勝手にしたいか。…さあ、外してあげよう。窓も開いてるしね、いっそ泳いでおいで」
ぎし、と半身を固定していたベルトが緩められる。
「カーメルは潮流がきついからね、すぐ流されちまうだろうけど。まぁ、好きにおし。下にはアシカでも待ってるんだろう?あのボウヤが泣くダロウにねぇ」
ぎり、と腕に点滴のチューブを固定していたテープを引き剥がされた。
「さあ、行っちまいな。」
ひたり、と。
目があわせられた。
底に見える、静かなフレア。
―――怒ってやがる。
す、と衝動が引いていった。
「……悪い、」
ふ、と息が漏れた。
「サンジ、いないんだろ」
魔女の目が、また細められた。
「あんたには勿体無過ぎる子だね、―――とうに居ないよ」
あれはいい医者になるだろうよ、と穏かな声が続けていた。
声と同じオダヤカサで、ずれた針が血管に押しとめられる。
「あと5日お待ち、」
魔女の手元から目を上げた。
「そうすれば、動いたってね。まぁ死にかけはするだろうが運がよければ助かるさ」
「おれは運がいいんだよ、しらねェのか。魔女の癖に」
「ハン!そンなものはとうに使い果たしちまったろうよ?あんな子がオマエに惚れてるンだからねぇ」
ごと、と。
固められた拳が額の真ん中に落ちてきた。
「―――患者をコロス気かてめえッ」
「あぁ、やっと元気になったね若僧。良かったよ」
にやり、と魔女が笑いやがった。
「けど、覚えておおき。今度アタシの休暇を台無しにしやがったら確実にあの世行きにしてやるよ」
「―――アリガトウ、」
「―――フン。礼ならあのボウヤにも言うんだね」
「って、」
ぎりい、とまた半身を固定される。
「さあて。何かあっても呼ぶんじゃないよ」
ひらひらと手を振って扉へと向かう背に、何か言おうと思った。
が、見つからなかった。
背中が、『言ったら殺す』と口よりはっきり言っていやがった。
フン。じゃあ明日だな。
閉ざされる扉。静かな音。
微かに届く波の砕ける音のほか、なにもここには無かった。
ふ、と実感する。
あのコドモがどれほど近くにいたのかを。
不在が、サンジの輪郭を明らかにしていく。
いなくなった、泣いているコドモ。
腕、まだ触れられていた感覚が残っている。
見えていたのかと思う、あのとき。なぜなら、いま、おれが思い出すのは。
唇を噛み締めていた横顔。
色を失った頬。
痛みに歪んでいた泣きかけのカオ。
おれのものよりきっと、つめたかっただろう唇の感触。
縋るように名を呟いていた声。
舌に残る、薄い血の味。
あれだけ、噛むな、って言ってたのにな―――思考が流れかける。
泣いていたカオ。
頬に触れたかった、泣くな、ダイジョウブだ、と。
置いていける筈がないだろうと。
―――ざまァねえな。
たかが、ハロウポイント一発、それだけで。
ヒトの身体は簡単にぶっ壊れる。
鼓動と一緒に、戻ってくる。
生きている『感覚』。
―――魔女め。
身体の感覚がある。意識も戻った。麻酔医でもねぇくせに。絶妙、ってやつだな、これ?
「痛みはヒトを疲弊させる、けどね。それもなしだと回復は遅くなるんだ」
ムカシ、聞いた。
けれど、おれは。
巻き込んじまった、おれの側にアレを。
最悪のやり方で。
遠ざけたいと何処かで必死になって願っていた現実に、引き摺り込んじまった。
ほかでもない、おれ自身の手で。
目撃者、アレを肉眼で見た連中はもういない、知る限りは。全員潰した、けれど。
保障は無い。
少なくとも、いまは。
現実から、遠ざけられすぎていたのかもしれない。
それは真実だ。
コンマ・何秒か身体が開いた、けれどそれは。サンジに腕を伸ばし地面に突き倒したから、だ。
空気を裂いた軌跡を、眼が捉えるほどに感覚が引き伸ばされた刹那。
す、と。意識が冷えた。
アレが受けていたかもしれない、鉛弾を思った。あったかもしれないもう1つの可能性。
脳が拒否する、けれど。
起こり得る現実。
否定しきれない可能性。
日常茶飯事だ、おれの現実ではそんなことは。
なにかの弾みに。必ず、隣りに座っている。冷たい手をしたオンナ。
死が、隣りにするりと紛れ込む。その冷えた手で肩を押す。
作為、計画、悪意。
怨嗟。
貪欲、虚栄。
浮かぶ単語全てが、オマエとかけ離れすぎている。
やわらかな笑み、イトオシイ。
名を呼ばれ、微笑みかけられ。
―――――サンジ、おれは。
空ろな腕の中に、するりと潜りこんで来たオマエを。
どうしてやればいいんだろうな。
あぁ、まただ。
同じ問いの繰り返し。
おまえを愛しているよ、呼吸をするのと同じほどのアタリマエの感覚で。
おまえの「不在」を思うだけで、何かが確実に終わる気がする。
いま、ここに。オマエが在れないのはオノレの未熟の結果でしか他ならず。おれは、自分が許せないのだろう。
蟠り続ける苛立ち。
オマエを泣かせて、苦しませて。
これがおれの愛情の結果か?サイアクダな。
けれど、同じだけの強さで。オマエをおれはまだ希んでいる。
いま。
そして、願う。なによりも。
オマエが涙を流していなければ良いと思う。
おれなどのために。
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