Tuesday, July 30
なによりも、開いた扉から届く冴え冴えとした気配に、コイツがどれほど感情を押し止めているのかが伝わる。
閉ざしていた視界を開く。
光の具合から、まだ午後早いのだろうと見当をつけた。

「お加減は」
靴音。そして声。
「―――あぁ、サイアク」
す、と視界を黒い影が過った。
波音が途絶える。窓が閉じられていた。逆光。
記憶にある、一番古いソレと何も変わっていない。見慣れたシルエットだ。
オマエも怒り心頭かもしれないが、おれも気分はサイアクだ。
みつめる。

記憶の蓋、外れたソレからはたくさんのモノが零れ落ちてきた。
押しやっていた記憶の数々。
誕生日、女の子供。
「ちび」の一人でした約束。
けれどそれは、いまはどうでもいいことだ。

「―――軽率でしたね、」
「わかっている」
また、陰が僅かに揺らぐ。陽射しが視界を占める。
「わかっていらっしゃる……、と?」
あなたはそう仰るのですか、声がまた少し近づいた。

生憎おれは正気だよ、と答えた。
「あなたが私の部下であったなら、すぐに殺してさしあげるところだ」
かつり、と靴音。
「ゾロ、あなたに自死衝動は無いものと思っておりましたのに。私はなにか見落としていたのでしょうかね、」
言葉を紡ぎながら、眼差しがあわせられる。
「仰っていただけませんか、それが何であったのか」

チューブに。
そして流れ伝い落ちる液体に。
目の前、長い指が差し出された。3本。
「ドライヴァ、狙撃手、援護、そして…」
手がゆっくりと開かれた。整った造形。
「もう2人援護がいたなら、」
ゆっくりと口端が吊り上げられた。
「ゾロ、あなたの願いも叶ったかもしれませんね」

息を吐く。
「おれは死にたいわけじゃあない」
「あぁ、私にウソは言わなくて結構、」
ゆらり、と空気が揺れる。冴えた気配に。
「私があなたに告げていた事を、忘れたとはお言いになりませんでしょう?ゾロ。脅しでも何でもなく、私は真実のみを
お伝えしておりましたのに」
『危険、用心しろ、動くな。』確かに受け取ってはいた、警告を。
「私は何処で道を間違えたのでしょうね…?」
洩らされた言葉は刃金になる。
「幼い頃のあなたは、生きる理由がみつからないと仰っていた。はやくそれを見つけるように、と諭したのは私ですが、あなたは」
眼差し、肩口に。
「ゾロ。なにを見つけられたのです……?」

見つけたもの。
柔らかな金色の光。
疑う事をしらない双眸。
……愛情、飢え。
「―――理由、充分な理由だ」
「…なるほど。それはご自身の手で費えすに足る理由なのですね、では」
すう、と。陽射しさえ翳るかと。低い穏かな声に。

「なにをなさっているのです、あなたは。よりに寄ってコドモを巻き込んでおられる」
カレを銃の前に曝して、ご気分は如何でしたか。
見下ろしてきていた。強いヒカリ。
「護りきれると思ってらっしゃいましたか。それはあなたの奢りに他ならない、愚者のすることです」
「それは、」
「お黙りなさい、ゾロ。あなたは愚かだった。ご自分の立場をお忘れになった」
目を逸らさずに、齎される真実を受け止める。
「―――返して差し上げることです、あのコドモを」
元いた場所へと、属する場所へと。本来あるべき世界へ。
そう、穏かな声が続けた。

「出来ない」
―――それは、出来ない。

「ゾロ、彼といたあなたの声はとても楽しそうでしたよ。けれど、」
微かに、目元。微笑が過る。
「いましばらくのことならば、と思った私にも落ち度があります。あなたに"こちら"を忘れていただいてもそれも由、と」

砂漠の家。
酷く遠い。既に。

「総べてをお捨てになりますか、ゾロ。"家"も、部下も、望みも、あなたのために死んでいった者たちも、―――あなたが
屠った者たちも」
雀斑の散った笑顔。
"勝ちに行きたいよなァ"そう言って笑っていた。
オンナノコ。
酷く朧な輪郭、けれど。声ははっきりと覚えている。
「御誕生日、オメデトウ」そう告げて、頬に口付けられた。酷く幼い頃。
揺れた、長い髪。
帰ってこなかったオトナ達。
「―――お答えは、」

「……出来るとでも思っているのか、オマエは」
「さあ…?あなたは私の仕えて来た方とは違うようだ」
す、と笑み。
冷え切ったソレ。
「イエス、なら。この場であなたを解放してさしあげましょう、」
かち、と鋼の合わさる音がした。緩やかに上げられる腕、銃口を向ける右手から。
「生憎と。愚者を戴くほど、私も愚かではないのでね」
感じる、内で軋みをたてる音。
おれは、この男に何をさせようとしている―――?

眼、深い色を湛えたソレ。
穏かに返答を待っている。
「―――失せろ」
絞り出す声。乾いた喉から。
「……イエス、ゾロ」

すう、と。
動く腕。舞踏のようだと何処かで思う。
胸元、ソレを戻し。
ペルが、出て行った。

扉の外に、人の戻る気配が充ちる。
明るく閉ざされた部屋。
冷え切った場。
窓の外、拡がるのは蒼だ。

―――考えろ、現在を。
返してやれ、と言っていた。元いた場所、サンジが本来在るべき場所へと。
それは、おれに。
状況を受け入れろと述べているだけだ。
選択の余地は無し、と言いたいんだろう。
引き入れたのなら責任を持って返してやれ、と。


―――アイツのためを思って……?バカゲテイル。

まさに、バカゲテイル。
アレは、バカだぞ?底なしの。
それこそ、呆れ果ててモノが言えないくらいの、大バカだ。
おれの希が自分の願いだ、と迷いもなく本気で言い切るようなバカだ。
バカで、どうしようもねェよ。
頑固で強情で。

サンジが。
泣いている、と。言っていた。―――オオカミ、アイツのキョウダイ。
穢れの無いケモノ。
泣いているコドモ。
あいしている、と泣いていた。

――――さぁ、おれは。……どうしたい?考えろ。
自分の手が汚れきっている事など、判っていた。最初から。
それでも、おれは伸ばされた腕を取っちまった。眼差しを受け止めて口付けた。
腕に抱き、吐息を重ね熱を分け与え。

知る必要もなかった傷も、痛みも。そして悦楽も。
与え、同じほど与えられた。

現実。
日常。
小さな柔らかい手が。意識の底を探った気がした、あるいは胸の奥底。
―――ちび、いいから。オマエは安心して眠ってろ。
オマエの事は忘れてねェから。

現実。
選択。
生き方、選んできたもの。捨ててきたもの。
決意。
滅びるその瞬間まで、生き抜く事。
後悔してはいない。

さあ、おまえはどうしたいんだよ。「ゾロ」。
考えろ。




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