Tuesday, July 30
扉の軋む微かな音に伏せていた目を上げる。
陽射しが翳りかけていた。
「子守り」と入れ替わるようにやってきた魔女が、一瞬ちらりと不服そうな顔を浮かべた。
「オトナシク眠っているかと思えば。シケタカオをしているんじゃないよ、鬱陶しいね」
スタンド、下がったパック。輸液の残量をみてやがった。
「吐き気は」
「―――あんたを見るまでは快適だった、」
「おやおや。子守りに苛められてゴキゲンが悪いんだね、ガキが」
わざと左右に動かしながら点滴の針を抜きやがった。

すい、とスタンドを押しやり魔女がにやりと笑う。
そして。
聞こえたよ、あんた達。似た者同志だねェ、と呆れたように呟く声。
おれとアレが似ている?……似てねぇよ。
「どうしてあんたたちはこうもバカなんだかね」
あんたたち?どれのことだ。
そう問い返した。
「ペル、アレはイイ男だけど大した過保護だよ。それともあんたみたいな面倒なガキを渡されたらショウガナイのかね、
気の毒に」
けどまぁ、と。声が続けられた。
アレが付いていながら、それでもあんたはこれで3度目だ。死にかけるのがそんなに好きかい、と。
言いながら、片手を白衣のポケットに捻じ込んでいた。
「―――死ねるかよ、クソ魔女が」
「じゃあせいぜい口のきき方に気をつけな、クソガキ」
軽く頭を殴られた。動けねェからって好き放題しやがって。16で事故ったときも、19で胸にガン・ショットを食らった時も、
確か同じように動けねェところを散々殴られたような気がする。

「ところで、」
私は言付けを預かってるんだよ、聞きたいかい。
す、と。魔女の表情が笑みらしいものを過らせた。
……不吉じゃねェかよ。
信じてもいないラテン語のフレーズ、悪魔祓い      。呟いたならそれを聞き取ったのか魔女がまた笑った。
「いい度胸だ。―――じゃあ、教えてやろうか。あんたのイノチの恩人のボウヤがね、よせば良いのに」
「―――サンジ、」
勝手に言葉が洩れた。
存在が一切感じられない、イトシイモノ。
「"愛してる、"そうだよ、オマエのことを。オレ、ゾロをずっと愛してるから、って泣きそうな顔してね」
泣いていたのか。
「ゾロのいない世界は、耐えられないから。そう言うんだよ、健気だねェ。……コレを言う頃にはもう泣いてたけどね」

魔女がふ、と黙り込んだ。
落ちる沈黙。
……おれは、護れると思っていた。あいつを。
けれど、却って傷つけたか。

「あの日はいろいろとあってね、」
魔女がまた口を開いた。良く通る低い声だ。
「オマエは二度ばかり心臓止めるし、血まみれの天使は泣きながら連れ出されるし、死神はうろつくしね。
あの男にしては、まぁ……抜かったね」
にやり、としていた。
す、と握られた拳、おれの目の前に突き出される。
「これがね、私の応接室にあったんだよ」
「兎の足か」
「ハン。面白いことをお言いじゃないか。オーケイ、意識はほぼ完全に戻ったね可愛くないったら」 
魔女のにやり笑いが深くなった。

そして、すうと指を開く。
赤黒く変色した羽根。光る銀の細い輪。
ちゃり、と開かれた手の中で小さな音を立てていた。微かな、それでも耳に馴染んだ音だ。知らない間に意識が
拾い続けていた。

サンジが。
ジェイクに貰っちゃった、そう言ってふわふわと笑っていたことを思い出す。
輪郭をなくし、現実にあったとは思えなかった「場所」が突然身近で息をする。
「これと似たようなモノを作る男を私も知っている、」
魔女が言っていた。
あんなに小奇麗なボウヤじゃなくてレジデンスにいる面白い男だけどね、と。

砂漠のなかの、あの乾いた場所。確かに、存在していた。
無かったことには出来ない。
衝動にも似て思う。

「あの子のだろうよ、どうせ。―――遣るよ、生き延びた記念に」
手は、あぁ、出せないねェ。
落とされた声と一緒に。くい、と右手のあたりにそれが押し込まれたのがわかった。
指先に銀の冷たさが触れる。
引き寄せた。
「感謝しな、私に」

「―――くれは。礼をいう、」
す、と魔女に笑みが浮かぶ。
「おれは、死ぬわけにはいかなかった」
「あぁ、せいぜい大事にしておくれ」
言い残すと、背中が扉を抜けていった。

引き寄せた、右手が触れているもの。
オマエを返してやれ、と言う。
手放せるはずが無い、と思う。
護りきれると思うならそれは奢りだと、言う。
同感だ。
状況の認識不足。圧倒的に情報不足なまま、さあ襲えとばかりにスコープの前にいたバカはおれだ。
現に、おれは誰に狙われていたのかさえ知らないときた。この期に及んでなお。
認める。
ペルが自分の部下なら殺すといった。アタリマエだ。呆れたバカ。
弾除け以下だ。
我ながら、呆れ果てた。

けれど。
運が味方した所為で、なんとか生き延びた、……辛うじて?構わない。
同じ轍を踏まなければイイ、それだけだ。二度は無い。
感情。
おれはどうしたいのか。
答え。
手放すのなんかゴメンだ、冗談じゃねェぞ。
妙な具合になったのは、相手を"慮った"所為だろう、慣れない事はするモンじゃない。
おれの希は何なのか。
それは最初から、呆れかえるほどに明確だ。
ただ一つ。

おれが、手放したくない。おれが、側に置いておきたい。
―――ならば、どうするか。

一目瞭然だ。
見えた。
おれが動けば良い、それだけのことだ。
狩られる前に、狩ればいい。
可能性は叩き潰しちまえばいい。
だれが、オトナシク死んだ振りなんざするかよ。
それでも。
力が及ばなかったときは。護りきれなかったときは。
おれの手で。
おれがコロシテヤルから。
―――フン。ほぼ、ゼロの可能性だけどな。

それでもきっとサンジは。
ただバカみたいににこりとして頷いてみせるのだろうと、おれは知っている。
バカネコ。
だから、来るなと言ったのに。
戻してやれる筈などないのだから、抱き込んでしまえば。

欲しいものは欲しい。
それでいい、こうなったら。
何も捨てずに、全部手に入れてやる。方法はいくらでもあるだろう。視点を切り替えれば。
ただ、どうしても付きまとうリスクからは遠ざける必要がある。すこしばかり閉じ込めちまうかも知れないな、サンジを。
オーケイ、構わない。言って聞かせればあのバカネコも納得するだろう。
―――しなければ、させるまでだろう?

それでもいい、と言ったのはあいつだ。
伸ばされた手を掴んじまったのは、おれだ。
なぁ、泣いてるなよ……?サンジ。おれは、オマエを諦めねェから。
「ムリな相談、」
口に出した。
まったく。
どうかしてたな、一瞬でも手放そうと本気で思ったなど。

ただ。
サンジの居場所をおれは知らない。
ヴェイルの自宅?―――行けるかよ。子守りが爪を砥いでいやがるのに。
フォートコリンズ、あそこに戻る確率は、低いだろう。
後は、あそこにいかれたら厄介だな。ポーニーズのじいさんの所。『ジャックおじさん』だかなんだかの。お手上げだ。
ただ、その場合は。
最終手段、困ったときのクマチャンだろう?
得意の呆れたカオをして見せながら、それでも最終的には的確すぎる助言を寄越すのだろう。
他には……?

――――あぁ、あの家。
あの場所になら、もしかしたら戻っているかもしれない。
忘れ去られたような場所。
乾いた土地、砂の海の真ん中にあった家。

行ってみるか。
交わるはずの無い道が、重なった場所。

そして、そこに探した姿がなかったなら。
そのときには、「諦める」努力ってヤツをしてみよう。
それがサンジの出した答えであるのかもしれないから。
それも、可能性の一つだろう。
選んだ選択の一つだろう。
ならば、尊重する。
生きていてくれれば、それで良い。
その代わり、欠けたモノをもう一度探す努力は放棄させてもらうけどな。

そして、あの場所にサンジがいたなら。
コレを返して。
道を探せばいい。

汚れた羽と銀の輪。
あるいは。
返さずにおいて、おれが二度と「忘れない」ように残しておくのも良いかもしれない。
記憶は改竄できる。けれど、容は。
自戒の念、あるいは。
貫こうと決めた想いの象徴。
赤く汚れた羽根は、おれが付けてしまっただろう傷を思いださせる。

それならば。
おれが取るべき動きは酷く単純だ。マスター・プラン。
どこかへ続く道。
イカレタ身体を多少は元に戻してから、実行だな。
「いい患者」にでもなってやるよ、精々。
死なない程度に早く戻してくれ。
あぁ、ただ。
向こうと戦争始める前に、子守りに殺されたらシャレにならねェよな。
ペル、あいつはああ見えて、ケッコウ気が短い。
脱走の現場でも押さえられたなら眼もアテラレネェ。
逃げ出す算段を考えよう。こういう計画は、単純であればあるだけいい。

お手柔らかに頼むぜ、おれは狩られる獣じゃないんだからな。
自分のモノを。
もう一度取りに戻るだけだ。
ただ、それだけのことだ。




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