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 まだ、どこか重いような身体をイスに預けていたなら、リトル・ベアが間もなく夕食にしよう、と言ってきた。
 サンジはバスルームから出てきてはいない。
 「はぁ?」
 思わず聞き返した。
 確かもう11時近くなかったか?
 
 「腹が減っては戦はできんだろうが」
 に、とクマちゃん笑いをしていたが。
 それよりも、外の妙な気配が気に触った。
 あまり食う気がしないな、と適当に返答はしていたが、確かにゆっくりと何かが「やってくる」。
 
 「パワースポットにたどり着く前に、遭難するぞ?」
 かさり、と。落ち葉が崩れる程の音がした、窓の外。
 リトル・ベアがちらと音へ目線をやり、苦笑している。
 落ち葉なんか、この辺りにある筈も無いんだが。
 どうせ、―――決まってやがる。
 
 「魔女共と山にいるんじゃなかったのかよ……」
 自慢じゃないが、まだじじいとやりあうまでには本調子じゃねェってのに。
 クマチャンはおや気付いたか、とでも言いた気な顔をしてみせた。
 アタリマエだ。
 「クマちゃん。おれは二度寝を希望する、」
 雷魚のじじいかよ、カンベンしろ。
 「…待っていなさい」
 
 声を待つまでもなく立ち上がりかけたなら、そう言い残してリトル・ベアが勝手口へと向かっていた、らしい。
 でけぇ、笑い声がしやがった。窓の外。
 あぁ、クソウ。なんてェ声だしやがるあのじじい。
 「弱っておるのか!あのオオカミが!!」
 「まあ狼といえど、人の子ですからねえ」
 ――――クソウ。段々ハラが立ってきたぞおれは。
 「弾が銀でもあったか!!」
 えらい喜び様だな、じじい。
 「さぁ?本人に訊いてみたらどうです?ただし…」
 
 サンジが哀しむようなことはしないように、とクマちゃんの声が続いていた。
 「わかっておるわ、愚か者めが」
 何かさらに続けていたクマちゃんを遮る声だ。
 「失礼いたしました」
 
 潜められたソレは、サンジの状態を説明しようとしているらしかった。
 一つ息を吐いて勝手口へ近づいた。声がますます大きくなる。
 ドアの側で、外に向かって怒鳴る。
 「じじい!!夕食時に帰ってくるとは躾けがいいな、あンた!」
 「なにをいうかこの愚か者めがッ」
 大音声、ってやつを背中に聞いた。
 じゃらん、と例の杖だかパイプだかが振り回される音までする。
 クマちゃんの抑えた笑い声と。
 
 ああ、悪いな、じじい。
 あンたを構う閑はちょっとねェんだよ、いまは。
 ふい、と思い出した。サンジのシャツの間から見えていた包帯のことを。
 濡れネコの怪我の具合を確かめるのが先決だ。
 
 バスルームのドアをノックした。
 「はぁい?」
 長閑とした返事に苦笑する。入るぞ、と告げてからドアを開けた。
 白のシャツを羽織ってデニムを引っ掛けたサンジが、タオルをアタマに被っていた。
 「もーすぐ終わるよ」
 
 サンジは、どうかすると偶に動作が雑な時がある、例えば目を掌で強く擦ってみたりであるとか。コドモじみた懸命さで今も髪を乾かしているらしい。コットンの上下する音まで聞こえそうだ。
 タオルを取り上げる。片手で。
 「…なん?」
 それを籠に放り、アタマに手をおいて向きなおさせた。
 きょと、と見上げてきた蒼に、言う。
 「手と、胸のところ。見せてみろ」
 「……うん」
 
 差し出された左手を取った
 掌に、大きくはないが深い傷が、まだ治りきらずに残っていた。
 ハロウポイントの欠片を握った、と言っていたか、…バカが。
 すぐにイメージが浮かぶ。捲れあがった金属の欠片、そんなモノ握り込みやがって。
 
 落とした視線が、それでも感じ取ったのはすう、と表情を無くしたサンジだった。
 乾き始めた深い傷をわずかに指先で掠める。
 「まだ消毒しておいた方が良い、」
 「…ン」
 引き上げさせ。手首に口付けた。
 「指、ちゃんと動くか…?」
 「ウン」
 
 じ、と見つめてきていたサンジに問い、その返答に僅かばかり息苦しさが薄まった。
 ほら、とでも言わんばかりに動かされた指先の一つにも、唇で触れた。
 「皮が突っ張って、妙にくすぐったいけど」
 サンジが苦笑しているらしい。
 
 「あのな、サンジ」
 覚えておいてくれ、と続ける。
 「なぁん?」
 まっすぐに覗き込んでくる蒼を見つめ返す。
 「おれは、これからも性懲りも無く滅びかけるんだろうが。目が覚めてまたオマエが傷付いていたなら、いっそ死にたくなるぞ?」
 半ば冗談めかして本音を紛れ込ませる。
 
 「オレ、もう二度としない、って言った」
 「あぁ、再確認。……もう二度とおれも言わねェよ」
 頬に口付けた。
 上気して滑らかな肌を滑り。
 「信じてるからね、ゾロを」
 目線を上げたなら、サンジが笑っていた。
 「あぁ、」
 
 そのまま、視線を落とす。
 ―――こっちの方が酷ェな。
 遠慮会釈なく両手で掻き毟ったのだろうとわかる、傷跡。
 心臓の周りを中心に。
 爪で皮膚を裂き、薄く肉を抉り取るほど深いモノが散る。浅く、深く。あるいは長く爪跡が残る。
 乾き始めているモノ、まだうっすらと血の色を透かす傷。変則で残される。
 
 まだ水気を含んだ肌に唇で触れる。
 「―――悪かった、」
 ふぅ、っと小さくサンジの零した吐息が空気を揺らした。
 「…ゾロのせいじゃないよ」
 く、と背中を引き寄せさせる。
 柔らかな声だ。
 それでも、オマエを傷付けさせた。そのことに変わりはない。
 オノレの未熟を悔やむより、決して繰り返させないことをサンジに告げずにもう一度自分に確かめる。
 「オレの覚悟が、足りなかっただけなんだ」
 
 穏かに続けられる言葉に、確かに自分がこのコドモを引き込んだ事実をまた、突きつけられた。
 きゅ、と回された腕に力が込められる。
 鼓動を間近で感じ。
 抱きしめ返した。
 「酷ェところに、片足突っ込んじまったな、オマエ」
 頬が押し当てられた。
 「んー?…そうかなぁ」
 もう一度、心臓の上。唇で触れ。顔を上げる。
 「あァ、けど。返してやらねェけどな」
 
 「ウン」
 うれしい、と笑みが言葉より雄弁に告げてくる。
 ―――オマエ、ほんもののバカだぞ。サンジ。
 柔らかく唇を啄ばんでから。腕を緩めた。
 「オーケイ。手当ての時間だ、」
 「ン」
 
 まだ生乾きの髪を手で掻き回した。
 「あ、薬と包帯もって来てない、」
 「ドアの外にあった、運送サービスは完璧だな」
 わらう。
 「……さすがだなあ…!!」
 ドアを開け。小熊パックを引き込んだ。
 「ほら、サンジ。まず手、出せ」
 「うぁい」
 「はやくしねェと雷魚のじじいに夕食をぜんぶ食われちまうぞ」
 ぽと、と掌に置かれた手にわらいながら告げた。
 「ソレは困るねえ!!」
 
 消毒薬を掌に吹きつけ、もう何かが塗りつけてある薄布を傷の上におき包帯を巻いていく。
 「ほら、次。腕上げてろ、」
 「はぁい」
 ひょい、と両腕を高く上げてみせる。
 「なにもそこまでしなくてイイ、バカが。おれは強盗かよ」
 わらいながら同じように繰り返す。
 高く腕上げすぎると肩に回す時邪魔だろうが。
 そう告げれば。くすくすとわらっていた。
 
 何度か包帯を往復させ、留める。
 「終了。御疲れサマデシタ」
 とん、とアタマに手を置いた。
 「ありがとう、」
 言葉と一緒にコドモじみたキスをされる。
 「I won't say "any time"」
 ドウイタシマシテ、なんざ言わねェぞ、と告げる。
 肩を押してバスルームから出た。
 
 「……Just say you love me, and that's all I'll ever need」
 『愛してる、って言ってくれたら、それだけでいいんだ』
 歌うように言いながら、横をあるいてくる。
 その肩を捕まえて引き寄せた。
 「にゃ?」
 「愛してるよ、」
 覗き込んで告げ。
 深く唇を重ねた。
 
 夕食が一皿か2皿減っても、知るかよ。
 こっちの方がよっぽど美味そうだ。
 笑みの形に引き上げられた唇、さらに開かせて貪る。―――おれはハラが減ってるんだ、思い出した。
 ちょっと喰われてろ、オマエ。
 
 
 
 
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