水の匂いがする、と。半ば緩んだ意識が拾い上げた。或いは、そのイメージ。するり、と潜り込む。
腕を伸ばしかけ、夢と混同する。
遠くはない水音。

いつの間にか閉じていた目を開けた。視界。
僅かに冷えた空気がそばにあった。
金色。
陽射しを浴びて身体を乾かしでもしたのかかすかに日向めいた匂いと。
冷たい真水のそれが奇妙に同居して、近すぎる場所にいる。
眠っている時に、何度も気配が側を掠めた。けれどそれは考えるまでもなくサンジのものだから、放っておいた。

―――用事、すんだのかよ。
そんなことを呟いたのかもしれない。
右腕を伸ばして、引き寄せる。
静かな寝息が聞こえる。
柔らかく預けられる身体をゆっくりと抱きしめた。
さらりと乾いた髪に唇で触れ。
眼元にも口付けた。
僅かにサンジが笑みを眠りこんだまま浮かべたのを眼にする。

水音の他はなにもしない。
目を閉じようとしたとき、する、とまた一層サンジが身体を寄せてきた。わらう。
足を伸ばして身体をくっつけてくるネコを思い出した。
眠ったままの身体を少しばかり引き剥がしてみた。
「…ん、」
不愉快だ、と。さっきまでほわほわと笑みを浮かべていたカオが言っている。

悪い、ついからかってみたくなる。

抱きしめなおし、首もとに一度カオを埋めてから目を閉じた。
すう、と意識が落ちていく。
する、とサンジの。
アシがかけられたらしいのがわかった。
安眠枕じゃねぇぞ、おれは。
揺らいでいく意識のどこかで、溜め息交じりにわらった。
腕の中の存在を抱きしめる。
オマエの在ることに、感謝する。
―――誰かに。
何度でも。



するり、と冷気を感じた。
そして、温かい熱を。
目を開ける。
まだ明るい外、それでもティピの中に入り込むには力が足りないみたいだ。
薄暗くなっている…夜がもうすぐ始まる。

目を真っ直ぐ前に向ける。
見覚えのあるシャツの布地。
く、と回された腕の重み。
僅かな汗と、薬の匂い。
覚えのある鼓動のリズム。
…んん、ゾロだ…。

ゾロ、起きてるのかなぁ…?
眠ってたら、起こすのはイヤだし。
…んん、あーダメ。
ゴメンねゾロ、誘惑に負けちゃう。
すりすり、と抱きこまれた胸に、頬擦り。
にゃはは、ゾロだ。
ゾロだよう…!

勝手に浮かぶ笑みはそのままに、ゾロの体温を感じてシアワセになる。
んー…ドウシヨウ。ウキウキしてくる。
きゅう、と抱きしめられて、更に嬉しくなる。
薪拾いに行かないといけないんだけど…ううん、もうちょっとこのままでいてもイイよねえ。
うぁーシアワセ。
ゾロと一緒だよう…!

にゃはにゃはと喜んでいたら、ゾロが起きた気配がした。
…ん、というか。…もしかしたら起きてたのかな?
「…ゾォロ?」
埋めていた顔を上げる。
手を伸ばし、ゾロの頬に触れる。
グリーンアイズ、あんなにも焦がれたソレが目の前にある。
ゾロの伸ばされた手が、頭の後ろをさらん、と撫でていった。
ゾロのキレイな眉毛の形を指でなぞる。
こめかみに触れて、頬を指裏で辿る。
唇にそうっと滑らせて。
漏らされた吐息の体温、確かめる。
親指の腹で、わずかに捲れた下唇を辿る。
まだ少し熱い。
…薬が切れてきたのかな?

ぺろ、と指先を舐められた。
熱く濡れたソレに、安堵する。
「…ゾォロ…」
そうっと名前を呼んでみる。
飛来する想いのカケラ。
すべてを抱擁する一瞬。
すう、と目許で笑ったゾロの首に、ゆっくりと手を伸ばした。
肩の傷に触れないように、抱きつく。
「I missed you…」

寂しかったよ、って。小さく呟いてみる。
呟いた途端、いかにその寂しさが深かったのか、漸く気付いた。
飛び越えた淵の深さに、一瞬身体が慄く。
オレを抱き寄せていた腕、もっと力を増してきた。
…うん、寂しかったねえ、ゾロ。

「…オカエリナサイ」
言葉が見つからなくて。そんなことを言ってみた。
少し可笑しくて、自分で笑った。
ああ、だけど本当に。
Welcome back to me, by my side.
オレの側に、オカエリナサイ。

「あァ」
そう返事が返ってきて。
する、とゾロの身体の下に引き込まれた。
そうっと唇が降ってくる。柔らかく一瞬だけ押し当てられる感触。
唇が僅かに痺れるように、感覚を受理する。

「オマエがいないなら、戻る価値はないかもな」
そう続けられた呟きに、ゾロの目を覗きこむ。
「……オレにもないよ」
笑って、小さな声で告白する。
んん、アナタのいない世界は、イラナイ…ホントに。

もう一度柔らかな口付けを落とされた。
少し唇を開いて、ゾロのソレをほんの僅かに啄む。
…んん、シアワセだなぁ。
嬉しいなあ…とめどもなく。
さら、とゾロの手がオレの頬を辿っていった。
とろ、と意識が甘く蕩けて、微笑む。
キモチガイイね、アナタに触れられると。
嬉しくなる。

ゾロの背中をゆっくりと撫で下ろした。
少しずつ冷えていく外気温と、僅かに通常より高いゾロの体温。
ゾロの笑みが、く、と深くなっていた。
…んん。ゾロが笑ってるよう…!
にゃはー…シアワセ。
「ぞぉろぉ…」
むぎゅう、と抱きついた。

す、とゾロが顔だけずらしたのを感じる。
耳元、く、と僅かに齧られて、くすくすと笑った。
首元に埋めた頬を、すりすりと当てる。
「…にゃあ」
嬉しいよう、シアワセなんだよう。
身体が真ん中からホコホコしてくる。
「…ぞぉろぉ……んん、だぁいすき…」
にゃはー…どうしよう。
もうどうにもシアワセで蕩けちゃうんだけど。

てろり、と耳、齧られた場所を辿る濡れた熱。
耳たぶ、舐められた。
「…みゃあ」
もっと蕩けてきた。うわー…幸福感。波みたいに押し寄せてくる。
する、する、とゾロの唇が、耳たぶを柔らかく辿っていく。
僅かにくすぐったくて、首を笑いながら竦めた。
背中に回した腕に、力を込める。
く、とゾロの牙が、きつめに耳朶をピアスしていった。
チリ、と熱がそこに生まれて、さぁ、と広がって散っていった。
柔らかくキスをされて、ふあ、と息を吐いた。
…うあ、すごい幸福感。
溺れても苦しくないソレ。
呑まれちゃってるね、オレ。

「…ゾォロ」
ゾロの首筋に、そうっと舌を這わせた。
舌先に乗る、僅かな塩分。
「起きれる…?ミネラル補給しないと」
はむ、と首筋をそうっと唇で食む。
背中を、ゾロの手がそうっと撫で下ろしていく。
きゅ、と僅かに首許を吸い上げてから、唇を押し当てたまま言う。
「まだ少し気だるい?…熱、まだあるでしょ」
ゾロから離れたくないし、離したくないんだけど。
日没は待ってくれないしなあ…。

「寝てれば治る」
ぐう、と一度抱きしめられてから、腕が緩められた。
「…寝て治すにも、なにか食べないとね」
ゾロの唇にちょん、とキスしてから、ゆっくりと身体を起こした。
「用意するから、その間、ゾロは寝てる?」
そう言ってる間にも、ゾロもゆっくりと起き上がっていた。
口許には僅かな笑み。
…薬を飲むのかな。

「じゃ、オレ。先に薪拾ってきてからゴハンの仕度するね」
起き上がってデニムを穿いた。
まだ暑いけれど、上にセータを着る。
「手伝うか」
「うん、じゃあ。とりあえず晩ご飯、食べれそうなもの、カバンの中から選んで」
着替えに腕を伸ばしたゾロに笑いかけた。
「狩りは明日からね」
「あんまり野生化するなよ」
「…あう。気を付けます」

笑ってティピを出た。
オレンジ色に染まり始めた、聖域の外の空。
僅かな雲が、金色に輝いていた。
その向こうに、白く薄く浮かんだ月。
聖域に、そろそろ夜がやってくる。




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