眠る前に着替えた服をまたかえた。少しばかり熱が出ているのだろうと判る。
魔女が投げて寄越した一式から、錠剤を何種類か取り出した。ソレを持って外へ出る。
暗がり、陽射しが空隙に薄らいでいっていた。
サンジの姿はとうに無く。
落ちていく、水の音が響いていた。
しばらく、その音のする方向へ視線を投げていたが。
荷物から水を取り出して薬を嚥下した。人工の手助けだろうが、なんだろうが。
熱を下げるのが先決だ。
オマケに、中身には軍の横流しかなにか知らねェが。銃創用のバンデージまで紛れ込ませてやがった。
魔女めが。悪化させるかよバカバカしい。
見回す。
木々の濃いミドリと、時おりのぞく岩肌。水辺特有の、潤った空気。
音の元まで行ってみるか、どうせおれがここにいてもすることは無いわけだし。
食べられそうなものを荷物から出しておけ、とサンジが言っていた気がするが。
面倒だ。オマエがきめろ、そんなことをちらりと思った。
いまなら、何を食っても大して変わらないだろうし。
ポケットを探り、タバコを取り出した。クマちゃんが荷物にいれてあったマッチをついでに取り出す。
随分と久しぶりにみるような、シロモノ。ブック・マッチ。
ぱしり、と音を立てて火が点される。
薄く煙を空気に返しながら、歩き始めた。薄暗がりでも足元はまだどうにか判別できる。
途中、どこかからサンジが出てこないかと思ったが水辺にまた戻るまでには何も出てこなかった。
そして滝は。
水の色が暗がりに沈んでもなお、その水の澄んでいることが伝わるほどの明度のあかるい黒をしていた。
昼間にここを見たときの印象は、なせか薄かった。
コレをみているニンゲンの方へ、意識が引っ張られていたからかもしれない。
なぜか、思い出したのは。
ガキのころに読んだ話の中のセリフ。同じところにとどまるには、走り続けなくてはいけない、とかなんとか。
ふと、水面をたたき続ける音に紛れて思い出した。
いい加減に切り上げて、水辺を離れた。
その前に、冷たい水に手を差し入れてはみたが。
また、明るいうちに見にこようと思った。さらりと指の間を流れた水の色を。
ずいぶんと、暗くなり始めた空にまた星が散らばり。
それがぼんやりと照らす中、元来た道を戻った。
そろそろ、サンジが森から出てきているかもしれないな、と思いながら。まだ、野兎を咥えて走り出てきはしないだろう、と。
馬鹿げたイメージにふとわらった。
進むうちに、鳥の鳴声。それに、遠くにいるらしい馬たちが柔らかく嘶く音も微かに届いてきていた。
そして、近づくにつれはっきりと火のはぜる音が紛れ出した。
あぁ、もう―――なんていうんだったか。
薪?ちがうな。
ああ、焚き木。
集めてきたのか。野生児は仕事が速いな?
火に向き合って、なにかしているらしい背中がはっきりと見えてきた。
「森の生活?」
馬鹿げたひとり言だ。
インディアンネーションでもある国立公園で。姿を晦まそう、っていうことなのだろう。
たしかに、ここはワラパイの聖地、とかいうモノらしいならば。連中の他の人間が知っているはずも無く。さすがにあの子守りも、
ワラパイのニンゲンにインフォーマーは持っていないだろう。
「サンジ、」
「なぁん?」
何かを掻き混ぜていた背中に声をかければ。ふにゃりと笑いながら見上げてきた。
炎が、輪郭に添って奇妙な陰影を落とし込み。
右手を伸ばし、その頬に触れた。
「や、べつに。―――タダイマ」
晩ご飯は、缶フードで終わらせた。嫌いじゃないけど、スキでもないもの。
この辺りは森が豊かだから、野兎なら狩れる。
残念ながら、他のゲームを狩るには許可がいるし。
二人きりなら食べきることもできないから、まぁ野兎くらいがベストのゴチソウなんだけど。
晩ご飯を食べ終わって、滝壷から少し離れた川の始まりで、使ったものを洗った。
ニオイの濃いものをそのまま放置しておくと、コヨーテたちがやってくる可能性がある。
コヨーテはオオカミに近いものダケド、とても警戒心が強く。オオカミたちほどフレンドリーではない。
…ドクタのとこにいる彼は、どうしたんだろう、と頭が一瞬向こう側に戻った。
まぁ…ステキなナースたちがついてるし。ドクタも最高にステキだし。きっと着々と回復してることだろう。
あ…オレ、無断欠勤?…ヤバいなぁ…まぁ、でも。
一番大事なのはゾロだから。
後で目一杯謝れば、…イイって問題でもないんだけどねえ。
ううん、迷惑かけてゴメンナサイ。
………いま悩むのはヤめよう、うん。
今悩んだって無意味だし、無益だし。
洗い物をティピの中に戻して、ゾロが座ってる火の側に座り込んだ。
漂うコーヒーの匂い。
夜空を見上げる。
立ち上る煙が融けて消える先、無数の光が点滅している。
視線を下ろして、ゾロの横顔を見た。
少し痩せて、まだ回復しきっていない。
じっと炎を見詰める眼は暗闇と光を抱擁し。
意識は絶えず、こことここでない場所の間を揺らいでる。
夏とはいえ、夜はやはり冷え込む。
傷が痛んでなければいいのになぁ、と祈る。
す、とゾロの視線が流れてきた。
手が伸ばされる気配。
く、と頭を引き寄せられた。コツン、とゾロの右肩に当たる。
ゾロに体重を預けて、炎を見詰める。
踊るオレンジの炎は何時間見ていても飽きない。
ビジョン・クエストでココを訪れた時と。
師匠とリトル・ベアと一緒にココを訪れた時と。
こんなにも違う気持ちで居る。
ゾロといっしょにココに在る、ただそれだけで。
きゅうっと胸が切なくなって、ふいに甘くなる。
する、とゾロの頬が髪に触れていったのを感じる。
眼を閉じて、感覚を味わう。
意識はどこか甘く、穏やかに凪いでいて。そしてどこか張り詰めている。
森の中に居るから。
ストレスにならない緊張感。
滝壷に落ちる水音は心地良く。時折鳴く梟などの声は優しい。
野鼠が遠くで草を掻き分けていた。
虫の声が一瞬止む。
「…ゾロ」
小さく名前を呼ぶ。
名前を呼ぶ時は、祈るときにように音が意味を持つ。
短く返事が返ってきた。
預けていた肩口に、口付けを落とす。
「こういうところで夜を明かすのは初めて…?」
思いついた質問を口にしてみた。
少し応え辛そうにしていたから、すり、と頬を寄せてみた。
「小さい頃、キャンプとかした…?」
「―――いや、」
「ふぅん…」
だったらオトナになった時に来たのかな…?
ゾロとワイルド・ライフ。…なんだかしっくり来ないねえ。
「森は好き…?」
慣れないと、怖いみたいだけど。
慣れてしまえば、森ほど住みやすい場所は無いと思える。
厳格で、芳醇な森。
ゾロが、これ以上訊くなっていう風に、優しい笑みをちらりと浮べていた。
「いや、スキじゃない」
そう応えが帰ってくる。
…そっか。スキじゃないのか。
砂漠は嫌いじゃないみたいだったけどねえ。
「砂漠の方がいいな、」
「…うん」
砂漠は森より過酷で、そして明確だ。
何もかもが。
「…早く傷が善くなるといいね。そしたらそこで泳げるねえ」
ゾロは水の中はスキなのかな?
ジョーンは泳ぐのがスキだったけど。
ゾロがす、と眉を引き上げた。
ぱち、と木が炎の中で爆ぜた。
「そうだな、」
穏やかなゾロの声が、そう言っていた。
「だけどな、」
「…うん?」
「泳ぐより先にオマエを抱く方がいいけどな」
からかうみたいな笑み、ゾロの顔に浮かんでた。
手を伸ばして、そうっと頬に触れる。
「…オレもアナタに抱かれたいよ」
…でも今、ガマンしてるけど。
全部ゾロに明渡してしまいたい気持ちを、気付かないフリして押さえ込んでる。
ゾロが顔をずらして、そうっとオレの掌に口付けを落としていた。
「……そういえば」
身体が僅かに思い出した感覚を閉じ込める。
「―――ん?」
「……オレのコイビトがオトコだってこと。マミィにバレちゃった」
笑ってゾロに言ってみる。
すい、と身体を全部引き寄せられて、閉じ込められる腕の中。
胸の前に抱かれて、緩く息を吐き出した。
「フゥン?」
腕を伸ばして、ゾロに抱きつく。
「…手首にあった痣とか、鎖骨のトコとか…ばっちり」
あむ、と首筋に僅かに噛み付く。
ゾロがくく、って笑ってた。
「まぁ、おれも驚いたからな」
「…なにに?」
「オマエに惚れちまったこと」
右の肩口の下のところに耳をくっつけて目を閉じる。
とんとん、と頭を撫でられて、笑った。
「…オレは…気付いたら、アナタしか見えなかったよ…?」
…ん、違うかな?
アナタだけが、誰よりも明確に、見えたんだよねぇ、オレ。
「このバカネコだけは止そうと思ったんだけどな、ムリだった」
「……オレは…今、シアワセ」
響いてくる鼓動の音は確かで。
僅かに幸せに眠たくなる。
「それならいい、戻ってきた甲斐もある」
そうゾロの静かな声が聴こえた。
「アナタの腕の中に居る時は、いっつも…シアワセ」
溜め息のように重く甘い吐息に混ぜて、言葉を綴る。
ゾロの顔が、髪に埋められたのを感じる。
ふぅ、と柔らかく息を吐く。
優しい沈黙は、柔らかな夜に彩られている。
サンジ、ってオレの名前。そこに滑り込ませるように囁かれた。
頬に笑みを刻んで、そうっと鼻先を首筋に埋める。
言葉よりも、雄弁な仕種。
暖かな体温に、何よりも安堵する。
抱きしめあっていられることの喜び。
抱かれることは、もちろんスキだけど。
ただゾロの腕の中にいるだけでも、ふわ、と気持ちは柔らかく蕩けて甘くなる。
嬉しくて、シアワセだ。
ゾロの鼓動が聴こえる。
とてつもなく、ウレシイ。
そうっと首許に口付けを落とした。
生命に充ちた闇に抱かれて、そうやって聖域での最初の夜を過ごした。
穏やかで、やさしい時間。
きっといつまでも忘れられない思い出になる。
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