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 Wednesday, August 7
 静か過ぎて、眼が冴えた。
 何かが過度に過ぎると、意識が勝手に冴えていくのは癖だ。
 あるいは。
 過ぎた幸福感に眼が覚める。
 穏かに過ぎる内面に、ざらりとした焦燥が張り付く。
 理由もわからずに苛付いた、―――違う。
 理由は恐らく自分でも判っている。
 もう片方の現実。
 蟠る。
 どこか深い所、じわりと苛立ちが拡がっていく。
 片方で。
 昨夜と同じだけの穏かさが凪いだ表面のままであり続ける。穏かな温もりの名残りに、まだ包まれている。
 けれど。ソレに、手を突っ込んで引っ掻き回したい衝動がある。
 凪いだままでいられる部分との折り合いがまだ掴めていない。
 
 苛立ちは消えていくかと思った、しばらく時間が過ぎたならば。けれどソレはただの希望的観測でしかなく。
 同じだけの静けさで。
 薄らいだかと思えばじわり、と焦れた焦燥がまた拡がる。
 相手がわからないからだ、とふと思う。
 手放しで、この凪ぎをまたそれだけのもとして受け取れるほどおれも間抜けじゃあない。
 
 後ろに残してきたままのモノ。その存在に苛立ちを覚えている。
 けれどソレは。
 いま。
 ふわふわと笑みを浮かべて眠っているサンジに知らせるまでもないことだ。
 ココはオマエのテリトリーで。
 おれは後ろに残して来たモノの実態が掴みきれずに焦れている。
 ならばソレを確かめてから動けばよかったかと言えば。
 オマエの在る事を確かめられたからこそ、苛立つのだと。
 堂堂巡りに呆れ果てる。
 
 ―――ダメだ。
 際限なく足元から。指先から。
 マイナスの感情が流れる。
 
 半身を起こした。
 なかの明るさから、夜が明けて間もないのだろうと見当をつける。
 ゆうべ、あれだけ穏かな熱に包まれて眠ったと思ったのに、我ながらバカだと思う。
 まだ眠る姿を見下ろした。
 触れるのを躊躇う。
 なぜなら、寝顔にはなんの曇りも影もなく。
 奢りでもなんでもなく、オマエにそれだけの眠りを与えたのは自分でもあるのだろうと知っているから尚更。
 じりじりと足元。
 ますます耐えがたくなる。
 
 けっきょく、そのまま起き出して外と内とを隔てる薄い幕を捲り上げる。
 それを抜け出し。
 昨夜は感じられなかった、森の気配に一瞬気をとられる。
 ヒトのほかにこの場所で生きるモノの気配。
 溜め息を知らずに吐いた。
 
 世界は、生きて動いている。
 それは何処であっても変わることはなく。
 捨てる事は叶わず、ましてやそんなことはおれの希では無い。
 蟠る苛立ちはしつこく居座り続け。
 追いやるように足を速めれば。水音が近くにあった。木の間から、流れ落ちる滝音がする。
 明け切る前の光に照らし出され、徐々に色を載せていく様を見ていた。
 木に凭れながら。
 
 ―――何か、おれはまだ忘れている。
 妙な確信がある。
 ソレは酷く重要なことだと。なにかが告げる。
 しばらくは、サンジの側へもどることはできないと感じる。穏かな眠りから目覚めてすぐに、おれの。
 この正体の無い焦燥、あるいはぼんやりとした危惧に、付き合わせる必要はゼロだからだ。
 
 「イイ気分で眠ったと思えばコレだよ、」
 自分のバカさ加減を声に出した。
 あぁ、マジで。
 ―――バカだ。
 クソ。
 
 
 
 すぅ、と目が覚めた。
 何かが欠けてる感覚。
 少し肌寒かった。
 ぱた、と投げ出した手、触るのはどこまでいっても毛皮のラグの感触だけ。
 「…ゾロ?」
 呼んでみた。
 返事はない。
 
 ラグは、いつからゾロがいなかったのか、随分と冷えていた。
 横になったまま、事態を考慮する。
 …朝、冷え込んだし。トイレならいいんだけど。
 …どっか、行ったかなぁ…?
 …起こしてくれればいいのに。
 ……ああ、デモ。
 これから先、こういうすれ違いはアタリマエになっていくのかなぁ。
 ずっと一緒に居られるなんて、思ってないし。
 ありえないことだし。
 …だからこそ、今一緒にいたいわけなんだけど。
 
 ころり、とラグの上、寝返りを打った。
 上に被っていた毛皮を、くるりと纏う。
 …ちぇー。
 オイテケボリにされるのは、キライだ。
 留守番をしてる時だって、ちゃんと行ってきますの挨拶はくれたぞ?
 …大概、子守で、ほんとに一人で留守番するときなんかはなかったけど。ワラワラと転がる仔たち。
 
 ……ああ、でも。
 ヴェイルの家にいる時は、一人きりのときもあったっけ。
 セトが家を出て寄宿舎に入って直ぐ。
 ダディはデンバーに家を借りていて。
 マミィも仕事で、ダディのところに泊まりに行っていて。
 そりゃあママ・リディや、数人のメイドさんは居てくれたけど。
 あの時は、一人だったなぁ…。
 …あれ?
 おれ何時リィに拾って貰ったんだろう?
 一人で居るのが嫌で。森にさえ行けば群れに会えるのが解ってたから。
 ……そうやって、オレは森に行くようになったような気がしてる。
 でも最初の頃はエマがいたし。
 
 …ゾロ、帰ってこない。
 道に迷ったかなぁ…?
 でも、滝の水音にさえ注意を向けていれば、自然とこっちに向かうことになるし。
 …あーあ。
 オレ、独りで大丈夫かなぁ?
 …大学戻っても、独りのベッドで寝れるかなぁ…?
 ゾロの腕が欲しいよう。
 頭、胸のとこに突っ込んで、スリスリってしたかったのに。
 でも。
 ゾロの代わりになるヒトなんかアリエナイし。
 …オレが寝起きに寂しいからっていう理由だけで、動物…犬とか、飼うわけにはいかないし。
 …しばらくサンドラに泊まってってもらおうかなぁ?
 オレが独りに慣れるまで。
 オレが大学に戻って、ゾロは群れに帰って。
 
 『アマッタレんじゃないわよ、独りの寂しさを味わいなさい』って怒られそうな気もする…。
 ヌイグルミでガマンしようかなぁ…?
 ……むぅ。
 大学に戻る前に、何か解決策を思いついておかないとねえ。
 ……ああ、あの時よりは、全然ココロ穏やかだけど。
 ゾロがオレを置いて、オンナノヒト抱きに行った時。
 あの時は、ほんっと寂しかったもんなあ。
 …う。思い出したら泣けてくる。
 
 ぷるぷると頭を振って、ソレを無理矢理頭から追い出した。
 朝ごはんでも作るかな。
 それにしても今何時だろ?
 ラグからもそりと出て、ティピの中から空を覗いた。
 ……朝の7時前くらいかな…。
 これで朝ごはん作って、ゾロが帰ってこなかったら。探しに行こう。
 帰ってきて食べてくれなかったら、オレは泣くぞ?
 最近涙脆いんだからな!!
 とか威張ってみたり…むなしー…。
 
 ゾォロ。
 いないだけで、オレってばこんなにグラグラに弱っちゃうんだぞ?
 …あ、それってマズいのか?
 ゾロがいなくても、平気でいられるくらい強くなきゃいけないんだろうか?
 ……ゾロが側にいないと、何もできないのはマズいし。
 でも、ゾロがいてもいなくても平気だってわけにはならないし。
 ……一遍に答え出そうとしてるオレが間違ってるのかなあ?
 寂しいから、寂しいって言いたい。
 だけどソレが重荷になるのはイヤだ。
 …ワガママ、なんだろうなあ。
 
 「…オレってば。こんなにゾロに夢中でどうするんだろうねぇ?」
 溜め息。
 コレは真剣に考慮しなきゃいけない事態かもしれない。
 ゾロに訊くことでもないしなぁ…。
 他のヒトは、どうやってこういう気持ちを対処してるんだろう?
 ……マミィともっと、話ししとけばよかった。
 
 恋心って、難しいねえ。
 あっという間に浮上したかと思うと。
 次の瞬間、どぉん、って落ちてるし。
 ものすごおおおおく幸せになってるのに。
 泣きたくなるなんて理不尽だし。
 
 「……クァアアアアアウ!!!」
 鳴いとけ、オレ。
 吼えてる方が気持ちを言葉にできるし。
 …それだったらヒトのゲンゴの価値ってナニ?
 「…オレ、ほんとヒトに生まれたのが間違いだったのかなぁ…」
 ティピから出て、すっかり消えてしまった火を熾す。
 水を川から汲んできて、とりあえずポットにお湯を沸かす。
 戻ってきて、鍋にベークド・ビーンズとソーセージの缶を開けた。
 火にかけたまま、タオルを持って滝壷に向かう。
 
 水面に移る自分の顔。
 『シンギン・キャット。ヒトも、ヒトの営みも。自然の一部だということを忘れるな』
 ジャックおじさんの言葉。
 ……ヒトは複雑なんだもん。
 …って拗ねてみても始まらないんだけど。
 「……ウァアアアアウ」
 水音に掻き消される吼え声。
 
 ヨシ。気分を入れ替えるために、泳ごう。
 ゾロに会った時、笑えるようになったら。そしたらゾロを迎えに行こう。
 …それまでに、ゾロが帰ってきてなかったら。
 
 服を全部脱いで、滝壷に飛び込んだ。
 「…つめてッ!!」
 キン、と頭の芯まで冷える。
 オオケイ、それで感情も落ち着くね?
 
 
 
 
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