木立の間から、滝の方を見るともなく眺めながら2本目を喫い終えた。
荷物の中にリトルベアが入れてあったのは、アシュトレイ代わりの小さな……なんだ?革袋のようなモノだった。
居座り続ける微かな苛立ちの余震めいたモノがまだある。
目を閉じ、聞こえてくる音に意識を向けた。
しばらくの間。
この場所に「いま」いる意味を考えた。
おれがいま、なによりも向きあうべきなのは置いて来た「現実」ではないことは判ってはいても。
ふと、気付いた。
陽射しの色が先刻とは随分と変わってきていることに。
―――シマッタ、
相当な時間、放ったらかしてきてるなこれは。
目を開けた。
マズイな、アレはまた拗ねているに違いないと思い。
そうしたなら、視界になにかが過った。
色のようなもの、あるいはその気配。
木立の向こう、滝に。
確かめる前に、サンジだろうと直感した。
光を弾きながらも、そのなかに溶け入るような人影。
一瞬の間、目を閉じてその気配を確かめる。
「ヒト」としては随分と存在感が希薄な、どちらかといえばこの場に最初から「在った」ように馴染んでいるソレ。
もう一度目を開いたときには、姿が見当たらなかった。
「―――ン?」
森にでも入ったかと思い。木立の間を抜ける。
急に、直に降りかかる陽射しを感じた。
そして、水面にぷかりと浮いた色。水に濡れて鈍く変わった金。
手を差し入れたときの水の冷たさを思い出した。
「野生児にもほどがある、」
思わず呟いた。陽射しに水が温められた時間ならともかく。
呼ぶ、が。
声は滝音に紛れて水面に浮いたり沈んだりするサンジには届かなかったようだ。
細かな水飛沫が身体にふりかかる距離まで水辺に近づき、ばらばらに放り出されている服やタオルが目に入る。
もう一度呼ぶかと思って、苦笑した。
流れ落ちる水に近いところ、足先だけが見えた。
―――潜ってやがる。
「ネコが潜って魚でも取るのか?」
ギリシャの犬でもあるまいに。
ふい、とバカバカしくなる、先までの自分の焦燥が。
呆れ返るほどにいまも。自分のうちに湧き上がるのはアイジョウに他ならず。
ソレだけが唯一確かなものであると。
どこかで張り詰めた糸が撓んだ。
足元、陽射しを吸い込み始めているタオルを拾い上げる。
ぷかん、と。
金色が、蒼にちかい水の真ん中に浮かびあがる。
クツを脱いだ。足に岩の熱さが伝わる。
あー、デニム。脱ぐのはメンドウだ。そのまま、水に入っていく。
「サンジ!」
金色が沈む前に大声で呼ぶ。バカネコ、こっち向け。
ばしゃん、と片手で水面を叩いた。
「…うわ!!…ゾロ?」
す、と水の表面を滑るように近づいてくる。
腿近くまで来る水は、きん、と冴えた冷たさで。こんな中で潜っていたのか、あれは?
何度か水面を手で揺らす。
「呆れたバカネコだな、オマエ」
「…にゃあ」
「にゃあ、じゃねェよ」
まだ浮いていたのを引き上げる。
近づききる前に自分から引っ張り上げ乾いたタオル越しに抱き上げる。
右肩の辺り、精一杯の力で抱きついてこられた。
両腕で、抱きしめ返した。
ぱたぱたと濡れた髪から伝う水滴が肩を濡らしていき。
抱き上げたまま水辺へ戻る。
「―――オハヨウ、」
「オハヨウ、ゾロ」
預けられた頭に頬を押し当てる。冷え切った髪。
す、と肩口に頬擦りされたのが伝わる。
「なにしてるんだ、おまえ。身体が冷え切ってるじゃないか」
「…アタマ冷やしてた」
タオルをもう一枚被せて、頭ごとぐしゃぐしゃに拭きながら言った。
「なぜ、」
抱き上げたまま、火の側まで戻ることにした。服など放っとけ。
「…I just got sick of my naivete」
ふ、と洩らされた言葉。
自分の子供っぽさに、ウンザリしちゃったから。
そう言っていた。
「Then, leave it, I'm just madly in love the way you are」
なら、放っておけ。信じられねェくらい、いまのままでアイシテルから。
蒼が、光を閉じ込めて見つめてきた。
それが柔らかに笑みに溶け入り。ゆっくりと口付けられた。
穏かなまま、唇を重ね。存在を確かめる。
「…アナタを困らせちゃわない?」
真摯な口調で尋ねられる。
「そんなことはハナから覚悟してるさ、」
からかい混じりに告げる。
「……ゾォロ」
抱き上げなおし、かるく唇を啄ばんだ。
「キスして、もっとちゃんと」
ふんわりとサンジが笑みを浮かべていた。
頬、目元。かるく唇で触れる。
火の側まで連れて帰るのが先決だ。
ゆっくりと肌が熱を取り戻し始めてはいても。
「連れ戻すのが先だな、」
「…うん。アナタも濡れちゃったしね」
「おれは別にどうでもいいんだよ」
「…オレがよくないもん」
ふ、と吐息を感じたなら。首元にカオを寄せてきてた。やんわりと歯をたてながらサンジがこっそりと
呟いていたのが聞こえた。これでもイッパイガマンしてるのに、と。
「あのなあ、」
苦笑する。
「おまえが煽ってどうする、バカネコ」
苦笑が、わらいに変わった。
おまえ、ほんとにバカネコだな、サンジ。
抱きしめ、ふい、と。気付く。
苛立ちが霧散していることに。
あぁ、おれも。相当バカだなこれじゃあ…?
水の中から引き上げられて、ゾロの腕の中。
タオル越しに伝わるゾロの体温に、苛々がふい、と消えていった。
ゾロが側にいないだけで、たまらなく寂しくなる。
一緒にいる間は、ゾロの心もオレの側にあって欲しい。
コドモじみた独占欲。
扱いあぐねて苛々してたのに。
ゾロはそのまんまのオレでいい、って言ってくれた。
とても優しい声だった。
煌く緑の眼差し、キレイに透き通っていて。
滝壷の水より、キレイだと思った。
このヒトが、オレを愛してくれる。
…すごい、奇跡みたいなの。
ふいに嬉しくなった。
感情が、ふわりと溢れた。
言葉にできないくらいの、幸福感。
柔らかな口付けで、ぽん、って周りに華が咲いた様にココロが浮かれる。
もっとキスが欲しいって思った。
もっとゾロが欲しいって思った。
だって恋してるんだし。
愛してるんだし。
触れ合っていたいんだもん。
もっと頬擦りしたりとか、食んだりとか。
この溢れちゃってる気持ちを、伝えたくなる。
火の側、遠火に置いておいた鍋から、ベイクドビーンズの美味しそうなニオイがしてた。
ひょい、と地面に下ろされて。
ゾロはスタスタとティピに戻って、オレの服を取って来てくれた。
着替えろ、って手渡されて、服を着込む。
……なんか、脱ぐときとかはあまり考えてなかったんだけど。
こういう"外"で服を着るのって、微妙に恥ずかしいなぁ…。
ちゃっちゃと着替えたら、それを待っていたかのように、ゾロがオレをすとん、とまた地面に座らせて。
ゾロがオレの真後ろに座り込んで。
きゅう、と回された腕。ゾロに包み込まれる。
火はもちろんあったかいけど。それよりあったかいゾロの体温。
ほう、っと息を吐いた。
…だけど。この姿勢って、一つだけ問題がある。
「…ねぇねぇゾォロ?こういう時、オレの腕ってどこに持ってけばいいの?」
両手をぴらぴらとさせてみた。
「さあ?考えたこともなかったな」
そうゾロが応えてた。…ううん、腕が寂しい。
オレを抱き込んでるゾロの腕に触る。
とん、と膝が寄せられて。
「手でも置くか?」
そう訊かれたから。
ゾロも着替えたらしく、乾いたデニムの上に、片手を置いた。
さらさら、と織り目に沿って指先を辿らせる。
柔らかな沈黙。
目覚めた森は、鳥の鳴き声が賑やかだ。
森の奥からサイアとファラが出てきて、川縁で水を飲んでいるのが少し離れた場所に見えた。
相変わらずな水音。
鍋からは、ベイクドビーンズがグツグツと煮立つ音が聴こえる。
ブリキのポットはシュンシュンと音を立てていて、なんだかあっという間に優しい朝になってた。
「サンジ」
やわらかく呼ばれて、こつ、とゾロの肩口に頭を預けた。
「なぁに?」
「放り出して行って、悪かったな」
さらんと告げるゾロの声。
ふい、と髪にキスが落とされたのを感じて、目を閉じた。
「…うん。寂しかった」
すり、と後頭部を肩口に擦りつける。
「こういう寂しさに、慣れなきゃいけないのかな、とか思って。落ち込んでた」
ゆっくりと回された腕に力が込められて。ぎゅう、と抱きしめられる。
その腕を、もっと引き寄せるように、片手を沿わせた。
「…ずっとこのままでいられればいいのに、って思う。そうはいかないの、解ってるんだけど」
「あぁ、」
…もっとずっとオトナになったら、これだけのことで寂しくはなったりしないのかなぁ?
「無理しなくていい」
ゾロの柔らかな声、ふわ、と染み入ってくる。
目を閉じて、一つ息を吐いた。
「オレね?」
ゾロの腕を撫でる。
「アナタに出会う前、どうやって独りで眠れてたのか、思い出せない」
あむ、とゾロの腕に軽く歯を立てた。
「ヴェイルの家にいる時は、必死で体力回復のために眠ってたから、気付かなかったんだけど…大学戻ったらドウシヨウ?」
ゾロがゆっくりと笑みを浮べたのを、首の裏辺りで感じた。
サンドラに相談したら怒られそうだし。
オレ、ホント。どうしたらいいんだろう?
「思い出して眠れるようにしてやろうか?」
「…思い出して更に寂しくなったら。オレ、会いに行っちゃうかも」
あ、ゾロ。からかうような声だ。…結構真剣に悩んでるんだぞう、オレ???
あむあむ、とゾロの腕を齧る。
「会いに行ってやるさ」
…ホント?
「……じゃあガマンしきれなくなったら。会いたいよう、って言ってもいいの?」
ゾロの鼻先が髪に埋められたのを感じる。
「そうなる前に言え」
ゾロの笑い声が、ふわりと伝わってきた。
「…会いに来れる時は、会いに来てね」
きゅう、とゾロの腕を抱きしめる。
…んんん、ゾロの腕の中にいるのに。先を思い描いてこんなに寂しくなってどうするのさ、オレ。
けど。きゅ、と耳元を齧るようにキスをされて。
くうう、って胸のとこ、締め付けられるみたいに切なくなって。
ゆっくりと、ゾロの腕の中で、身体の位置を替える。
ゾロの目を見て、微笑みかけて。
「…オレ、自分がこんなに寂しがり屋だなんて知らなかったよ」
手を伸ばして、ゾロの頬に触れる。
そろりと頬を撫で下ろしてから、唇をなぞった。
柔らかく微笑みを湛えた、ゾロの顔。
優しくて、愛しくて。
胸がきゅう、って鳴く。
「本当なら、」
「ウン?」
「おまえのことをすぐにでも掻っ攫って行きたいのはおれの方だ」
「…ウン」
さら、と髪を撫でられて、目を瞑る。
オレ、ワガママばっかり言ってるかな、さっきから…?
「2年くらい、我慢してやるさ。けどな…?」
「…うん」
…それって、オレが大学、卒業するまでってことだね…?
「5分くらい会いに戻ったって、おまえ拗ねるなよ?」
に、ってゾロが笑ってた。
「…う。努力する…」
どんなに大変なことなのか、忘れないようにする。
「あァ、"御互い努力は必要だね"」
「……うん」
いつかオレがゾロに言ったコトバ。
ジョーンにも、言ったコトバ。
……懐かしいね、なんだか。
「…愛してるよ、ゾロ」
ジョーンが、彼には言うなって言ってたコトバ。
アナタにだけ、あげるコトバ。
出会った時よりも。最初に身体を重ねた時よりも。
何倍もの深い意味で、そのコトバを口にする。
く、と身体を引かれて、横向きに抱かれる。
そのままぎゅう、と抱きしめられる。
「おれもだよ」
とても静かに告げられた言葉。
更にぐ、と腕に力を入れられる。
骨が悲鳴を上げる寸前まで強く。
「アナタに出会えて。愛し合うことができて。オレは本当に嬉しいよ」
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