じわりと湿った悪意の覗く行間、そういったモノの詰まった短編集を読み進める。
「黒猫」。ガキの頃に、確かポーは好きだった。
この短編集に大抵含まれる……あぁ、これにも入ってるな。
「黒死病の舞踏会」。

ソレを半ばまで読み進めながら、足元にある柔らかな重みに半ば意識を残す。
指の間を、音を立ててすり抜けていくような細い髪を指先で弄ぶ。
身体を引き寄せるようにすれば、ハラの辺りにカオを埋めていた。
目を閉じて、眠っているという訳ではないらしい、時おり額や頬が押し当てられていた。

行を追うのに目を戻す。
ペストから逃れ大広間で舞踏会が行われる。
閉ざされた窓の外に満ちるのは夜半の暗さを模った死でしかなく。灯かりに照らされた衣擦れの音で満ちた広間は虚ろに明るい。
チビは、こんなモンが好きだった。

ふ、と。
押し殺した吐息がサンジから零されたのを知る。
隠そうとしている風だった。
先に、放り出された快楽を逃がすように零したソレとは明らかに違っている。
意図があって隠そうとしているものではないのだろう、サンジはひどく自分というものが欠けている時があると偶に思う。
例えば、いまは。
煩わしたくない、であるとか。
そういった思いから、自分の内で起こった揺らぎを押し隠そうとする。

ゆらり、と。どこか底の方から、いっそ曝け出させてしまおうかと衝動にも似た思いが過り。
また同じように、やめておこうとも思う。
掌で、頬から耳もとまで滑らせ。
中間にあるような線を確かめる。大人のモノともコドモのものともつかない伸びやかな線。

我慢しきれなくなる前に、言えといってある。
だから、放っておく。
サンジが以前、自分でも言っていたことを思い出す。
そしておれが返した言葉。
『オマエ、それは初恋って言うんだぞ?』

自分の内で起こる感情に、曝け出されるものすべてが多分オマエにとって初めてのものであるのなら。
一人で最初はソレにトッ捕まってみるものいいんじゃないのか?
あんまり愚図っているなら、引きずり出すけどな。
けれど、それをいま。
オマエに言うほどおれも人間が出来てないんだよ、だから。
思春期ってのもちょっと体験してみろ、とそんなことを半ばからかうような、慈しむような奇妙な感情で思う。

その間にも追った話は、クライマックスにさしかかる。
夜半を示す大時計の鐘が鳴り。
煌めく輪の中心から、あるはずの無いモノが姿を現す。
黒衣をまとった死神、窓の外に追いやったはずの「ペスト」。

コドモの声が頭の中でした。
『叔父様はどこへ行ったの』
叔父、おれのハハオヤの実兄。本来ならば、おれのチチオヤの代わりに「家」を継ぐはずだった男。
『御祖父様がお呼びですよ』
ペルの、何かを隠す時の滑らかな声。
―――おれには、確かに叔父がいた、そしてある日戻らなかった人間の中に含まれて……?

『複雑な相手』であるとペルが言い。
あそこまで『動くな、』と言い含めるほどにはメンドウな相手。
―――見えてきた。
おれの虚構の輪の中心、軋みはじめたモノの輪郭が。

血の温度が、一瞬。き、と冴えてから跳ね上がる。
見えてきた。
面白ェじゃないか。
―――オモシロイ。
正体が見えてきた。

走り出しかける思考と、アタマの中では確実にいま。唇を舐めた。
す、とそれでも。
意識に。滝音が流れ込み。
「いま」の場所に意識を引き戻される。
知らずに閉じていた本、そしてきゅ、と背中にまで腕を回して顔を上げないもの。
名を呼ぶ前に、意識を切り離す。

ハント、狩り。走り出しかけ、すぐにでも追い込み跡も残さずに狩り尽くしちまいたいと本気で願い。
けれど同時に。
「ここ」に留まっていたいと渇望するのも同じおれ、ときた。

僅かに、肩が強張っている、サンジの。
―――あぁ、オマエ。バカのくせに敏いんだよ。
気付いたか……ゴメンな。

肩に、手で触れる。
ゆっくりと握りこみ。
名前を呼ぶ。
オマエの。
おれに向けられるだろう笑みを、もうおれは知っているから。
サンジ、おまえは。安心してろ。



抱きしめていた暖かな身体。
それが不意に熱を帯びた。
ピン、と何かが張り詰めた気配。
耳を立て、鼻先を擡げ、歯を僅かに食い縛るように漏らす唸り声。
エモノを見つけた気配。
ウァアウ、と短く鳴いて、ハントを開始する直前の、オオカミたち。
彼らと同等の気配を、ゾロが纏った。
今にでも駆け出していきたいのだろう、筋肉がぴくりと動いていた。抱きしめていた腕の中。

置いていかれるのはキライだ。
できることならば一緒に走りたい。
だけど、それはオレには求められていない事。
ゾロと、ゾロの群れとハント。
ヒトのハントの様相は、確実にオオカミたちのソレと違う。
もっと複雑、そして危険度は数倍。
ゾロはエモノを見つけただろう今、どうしたいのだろう?
駆け出していっても仕方が無い。
オオカミとはそういうもの。
ましてやゾロは、1ヶ月以上も。
お預けを食らわされたまま、オレの側にいてくれた。
全速力で走っていったとしても、オレには止めることができない。

どうしようもないやるせなさ。
オレは、なにもできないのだろう。
それならばせめて。ゾロのその願いを受け止めてあげたい。
今ゾロが帰りたいと言ったならば、オレは笑顔で送りだせるだろうか?

試される瞬間は、不意に訪れる。
けれど。
ゾロがふ、とオレに気付いた気配がした。
一瞬を置いてから、名前を呼ばれる。

気遣われている、愛されている。
そのことに、不安は無い。それならば…。
ゾロのお腹に埋めていた顔を擡げた。
泣きそうな気持ちを押し隠して、笑ってみた。
「ゾロ、…ハントに行くの?」
ゾロがふわ、と目許で笑ってた。
柔らかな、笑み。

こんなにゾロをスキでなかったら。
こんなに胸は痛まなかったんだろうか。
けれどオレはゾロがスキでスキで堪らない。
だから、胸がズキズキと痛む。

く、とオレの肩を握っていた手に力は入った。
「なぁ、サンジ……?」
…置いていっても、恨まないよ…?
その言葉を口にはできないけれど。
優しいゾロの声がした。
「…なに、ゾロ?」
掠れた声で応える。

「晩メシ。なに食う?」
にか、ってゾロが笑った。
……そうか。
もう少しだけ。アナタはオレだけのもので、居てくれるんだ…?
「まぁ、オマエがいれば別にナシでもいいけどな」
僅かに濡れた音とともに降らされた口付け。
ジンジンと胸は痛むけれど、すぅ、と少しだけ範囲を狭めた。
「…その傷、治すには。ちゃんと食べないといけないんだけどねぇ」

半分泣きたい気分で、それでも笑う。
くう、と抱きしめられて、眼を瞑ってゾロに縋った。
「オレを食ってアナタが元気になるなら。いくらでもあげるんだけど」
「なぁ、サンジ、」
す、と真剣な声がした。
ぴく、とオレの手が勝手に動いた。
一つ息を飲んで、ゾロの眼を見れるように身体をずらした。
「…なぁに?」
「オマエ、ムリだけはするなよ」
柔らかで、静かで、真剣な声。
「バカネコなんだから」
そう言葉が続いて、笑ってみた。

「……いま、甘えていい?」
静かに見詰められて、ゾロの頬に手を滑らせた。
潤んでぼやけた視界の先。
いくらでも、と告げたゾロが、また、ふ、と笑った。
「……オレ、いまこの瞬間が、ずっと続けばいいって、思ってる」
まだオレはコドモなのかな。
意思が弱くて、揺れずにはいられない。
す、と額が合わされた。
またゾロに笑いかける。

「アナタを返したくないんだ、本当は」
願ってはいけないことを、願いたくなる。
「おれだってオマエを戻してやりたくない」
「…うん」
言っても詮無いことだから。
それは、そのことは。解っているのにね。

「それに、いまこの瞬間が続けばいいなんて、願うなよ」
「…どうして?」
目を瞑る。
ゾロの不機嫌そうな声が、バカかオマエは、って呟いた。
「…だって」
どうしようもなく訪れる現実は、痛いじゃない。
く、とまた一層。額を押し当てられた。
「オマエを、抱けないままだぞ?フザケルなよ」
「…オレを抱けるようになったら、アナタは…行ってしまうでしょう?」

言葉にしただけで、胸が張り裂けそうだ。
イタイイタイイタイ。
切なくて、胸が痛いよ。
きゅう、と抱きしめられた。
ゾロに縋りつくように腕を回した。
「行かないと、迎えに戻れない」
「…ゾォロ…ッ」
ああ、ダメだ。
泣いてしまいそうだ。
「離れたくないよぅ…」
小さな声で、言葉が勝手に零れた。
もっと抱き込まれて、喉が潰れそうになる。

ワガママな願い。
小さなコドモみたいなソレ。
泣いても仕方が無いのに、勝手に涙が零れていく。
あやすように背中を撫でられていく。
サンジ、って。名前をそうっと呼ばれながら。
「…さみしぃのはキライだ」
「―――そうだな、」
ぐい、と涙を手で拭った。
ゾロの言葉、ずしりと胸に入ってきた。
ゾロ、アナタは。いくつこんな思いを抱えてきたの…?

背中を伝っていた掌が、項まで遡ってきた。
ゾロの首許に、顔を埋める。
「ただ、おれは」
「…うん?」
ぐず、と鼻をすする。
泣き濡れたコドモみたいに頼りない声。
もっとアナタを包んであげられるくらいに、強くなりたいのに。
けれど。
伝わってきたゾロの声は優しくて。
「オマエにそこまで想われて、正直嬉しいけどな?」

髪にすり、とゾロの頬が押し当てられる感触に、目を瞑る。
「…ゾロ」
「―――ん?」
アナタがオレの初めて恋した人だから。
湧き上がるままに、全部の感情をあげてしまっているけれど。
オレはアナタを繋いでも。
縛るものにはならないように、これからなっていくから。
今だけ、甘えさせてね。
「オレには…ゾロだけ、なんだ」
「あぁ、寄越せ」
落とされた呟きに、頷く。
「全部…攫っていって。ゾロが持っていって」
「アタリマエ、」
「…うん」

ぐ、と首筋に熱を感じた。
牙、ゾロの、埋められてる。
「…ん、」
灼熱の痛み。
けれど、湧き上がるのは歓喜。
全部、ぜんぶ。食べられてしまいたい。
オレが溶けて、アナタの一部になってしまうまで。

ゆっくりと潜り込む牙。
ぐぐ、と皮膚が開いた。
その場所を、ゾロの舌が舐めていく。
目を閉じて、痛みを堪える。
ゾロをもっと引き寄せる。
「I love you, Zoro」
紛れも無い真実。
だから、もっと、オレを食べて。

一度ギリ、と噛み締められて。
ひくり、と肩が一瞬浮いた。
それから唇が浮かされて。穿った痕にもう一度口付けかれた。
とてもとても、やさしく。
ずくずく、と穿たれた箇所から熱が広がる。
胸の痛みより強烈な、リアルな痛み。

暫く先のことより。今に捕らわれていたい。
ぺろ、と疵を舐められた。
んぅ、と蕩けた声が落ちた。
「"エサ"も持ってきてるんだったよな」
甘い小声、耳元で落とされた。
こくり、と頷く。
ぞくり、と尾てい骨辺りから、快楽が這い登った。
つる、と耳朶を含まれた。
理性が零れていく。
思考が掻き消されていく。

くちゅ、と耳元、濡れた音が響いた。
つ、と僅かに引っ張られる感触。
音を立てて、貪られている。
びくり、と肩が勝手に跳ねた。
「夜中にでも喰うかな、」
低められた声、甘いゾロのソレ。
「メインディッシュ」
くう、としがみ付いた。

それから、開こうとしない目を開いて、ゾロを見上げる。
す、と脚の方に滑らされるゾロの手。
きらん、と何か企んだように光る、ゾロの眼。
夢中になる、ゾロのそんな仕種ヒトツにも。
「I'm …all yours」
オレは全部アナタのだから。
だから、微笑みかけた。
ゾロの好きにしてくれて、いいんだよ、って。

デニムのボタンフライ。
ぱらっと開けられた。
するり、と滑り込まされた掌の熱に。ゆっくりと瞬く。
ゾロの背中のシャツ、握り締める。

容を辿るように、ゆっくりとゾロの指が辿っていた。
じわ、と湧き上がる快楽に、そこに血液が凝縮し始める。
それから、下着の薄い布地の切れ目からもぐりこんできて。
直に触れられて、息を飲んだ。

Eat me as you will、オレはアナタだけのモノだから。
見上げていたゾロのグリーンアイズ。
くう、っと瞳孔が狭まっていた。
ゾロに微笑みかけて、眼を閉じた。
与えられる感触を貪る。
高めるために、手淫が施される。

昂ぶらされる、いたずらに踊る手指に。
快楽の欠片、残さないように、ゾロが全部、引き出していく…。
荒い息も、滲む涙も。
吐き出す蜜も、何もかも。
全部ゾロのもの。
全部差し出した。

頬、唇、零れかける涙を湛えた目尻。
全部ゾロの唇が触れていく。
「…んあぁ」
甘い声、白くなった頭。
オレのものであって、オレのものじゃないような感じのまま。
ゾロに全部、受け止められていった。

上がり続ける体温。
湧き上がる汗。
強い快楽は、少し痛いくらいになっても。
それでも、どこか安心し始めている自分がいるのを知った、
零した蜜、ゾロがぺろって指から舐めていってる仕種。それを見て、嬉しくて。
不安が消え去ってしまうことは無いのだろうけれど。
愛されて、慰撫されていた。
ダイスキなオレのゾロに。




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