"水はすべてを清める力があるんだってさ、サンジ。"
教会の鐘を聞きながら聴いていたセトの声。
"だから、生まれた子供は、ああやって水に一度沈めるんだって。"
確かまだ…4歳ぐらいの時の記憶。
"あのみずはとくべつなの?"
"そう言われてるけどね、"と笑ったセトに、肩を竦められた。
"サンジ、ひとつイイコト教えてあげるね。あの水に魔法をかけるのはな―――"


たぷん、と間近で水音がして。
すう、と冷たい液体が熱った身体全体に染みとおってきた。

寒いとは感じない冷たい水に、全身が浸かっていた。
背中、沈まないように支えていてくれている腕。
目を開いたら、いきなり眩しい青空が煌いていた。
視界の端、ゆれる水、引きおこされて打ち寄せる波。
水の中からも伝わってくる、滝壷に注ぎこまれる水の音。

す、と額に口付けの感触。
整った顔、一瞬閉じられた瞼。
オレが見たことのあるどの彫刻より、美しい容。
一点の曇りのない視界の中で、ゾロの髪に散った水飛沫が、陽光に煌いていた。

「…"The one who makes magic on the holy water is the one who gives the ritual"」
セトのコトバの続き、口の端から零れていった。
"聖なる水に魔法をかけるのは、儀式を司る人だよ"

ゾロが、穏やかな表情のままで、オレを見ていた。
「―――オマエはおれの"サロメ"なのか?」
「サロメ?誰それ?」
「預言者の首を取った女だよ、ヨハネの首」

「…違うよ、ゾロ」
笑って、浮いていた水に足を沈めた。
「オレはアナタが魔法をかけた水で洗礼されたんだよ。アナタの手で、生まれ変わった。そういう儀式の話を、思い出したんだ」

たぽん、と少し泳ぎながら、ゾロに近づく。
間近にゾロの顔を見ながら、手をその頬に添えた。
少し首を傾けたゾロに、笑いかけた。
「Rite of Passage, I moved on from being just a child to something new」
なにか言いかけて、口を噤んだゾロに、説明した。
"通過儀礼、タダの子供から、その先の新しい何かになったってこと。"
「アナタにしてもらえて、オレは嬉しいよ、ゾロ」

ちゃぷん、と音を立てながら、片腕をゾロの首に回した。
ゾロが、ふ、と短く溜め息を吐いた。
「ゾォロ?」
目を覗きこむ。
ゾロが少し、苦笑を漏らした。
「おまえは……、」
「ン?なぁに?」

濡れた手で、ゾロの頬を撫でる。
少し熱った頬、僅かに日に焼けた肌。
「Baby, you're such a foolish child」
"ベイビイ、おまえは本当にバカなこどもだな。"
「どうして?」
笑ってゾロの頬に頬を寄せる。
「アナタを愛せて、こんなにシアワセなのに?」
「祭司の手が汚れててどうするよ、」
「んー…」

すう、と頬にゾロの指の感触。
「ねぇねぇゾォロ」
ふ、と前に師匠が言ったことを思い出した。
する、とゾロの指、唇まで辿り降りてきた。
処女性、って師匠、言ってたっけ。
「オレ、教会でだいたいいっつも天井ばっかり見てたから、よく話覚えて無いんだけど」
ヒトツ息を飲む。
「聖母マリアが聖女なのは、彼女が清らかなまま赤ちゃんを生んだからだよね?」

碧の眼、じっと合わされている。
「バティカンではな、そういうことになってる。おれはただの―――」
ふい、と黙ったゾロに、首を傾げる。
「けどさ、オレ。それは絶対ないの」
ううん、と。今のじゃ意味わかんないよねえ?
「ええとね、オレの中じゃ。赤ちゃんは清らかなままじゃ、絶対にできないって答えが出てるの」
すい、と眉を跳ね上げたゾロに、ウン、って頷く。
「ちゃんと段階を踏まないと、そこには辿り付けないんだ」
解るかな?

「オレはね、ちっとも教会の信者じゃないわけ。本音を言うと、法律もあんまり気にしてない」
それで?と言ってるゾロの目を見上げる。
「オレはね。ゾロがちゃんと解ってて、ちゃんと知ってて。その上で、生きてるんだったら。それで充分だって思ってる」
だってさ?
「世界の理はさ、法律の前にあるんだからさ?だから、ゾロがゾロの持って抱えた傷とか、痛みとか、もちろん祝福とか。
そういうもの、全部ちゃんと持ってオレの前に立っててくれるんなら。それ以上の何かは必要ないんだ」
オレは、知ったかぶりをしていて、その実何も見えてない"司祭"の手はいらないんだよ。




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