滝音と、それに微かに揺れる冷気を含んだ空気が身体を伸ばしていた木陰まで届いていた。
午後の間中、とくになにをするわけでもなく。クマチャン文庫のトルストイにサンジが音を上げてからもそのままに
時間を過ごした。
日々の朗読の代わりに、思いつくままに「むかしばなし」をサンジが15分ほどすることになったわけだが。
あと何日かの間、18年分のどれくらいがあの声で語られることになるのだろう、とふと考えた。
自分が18の頃を思い返してみた。
――――フン。
ヒトに話して聞かせられることは、多分。5分もあれば事足りるに違いない。
2年前に死にかけた、学生だった、1年後に殺されかけた、以上。あぁ、1分で足りるか。
あぁ、あと。
アレがいるか。サンフランのバカ。
西のキョウダイブン。
けど、まあ。追加するにしても。ノース・カリフォルニアに知り合いがいる、おれと同じ年だ、で終わりだな。
1分半ってとこだ。
話せない類のことならば、残りの日をすべて使っても足りないか。
サンジは、恐らく。
キョウダイたちのことを話したがるだろう。連中のことを話すたびに自分の眼が、いつも光を増すのに本人は
気付いていないだろう。
おれは高い、と言ったのにも関わらずサンジは。まだ思い出したように髪に触れてくる。
不快でもなければ、かといって快適な訳でもないが。
サンジの腰辺りにアタマを預けた角度は丁度いい具合だから、イマサラ移動するのも癪だ。
手を捕まえて払い除けても、くすくすと上機嫌な笑い声が返ってくるだけだった。
「いっぱい触らしてよ、そしたらそれを覚えるから、」
柔らかな笑みを含んだ声まで落ちてきた。
目を上げれば、やはりにっこりとしたカオをぶつかった。
「なぜ」
「触れていたほうが、立体的に細かいところまで覚えられるでしょう?」
にこにことサンジは変わらず機嫌が良い。
「フウン?忘れるほどおれと会わないつもりか?」
同じように笑みを乗せて言い返してみた。
「あのね、ゾロ」
「あぁ、なんだよ薄情ネコ」
「記憶の初歩ステップは反復練習でしょう?」
とん、と唇が言葉を綴りながら掠める。
「手触りもにおいも味も覚えておきたいんだから」
そんなことを言っていた。
「記憶は不確かだぞ?」
笑いかける。
「だから、より正確に覚えられるようにしてるんじゃない」
くすくす、とまたわらっていた。
「まぁ、無駄だな。」
「いいの、」
手を捕まえて開かせ、掌に口付けた。
「ヒトの本能だろう、不快なことは記憶に残りやすい」
そのまま、舌先で擽った。
「ああもう、ゾロってば!」
抑えた笑い声が届く。
それから、言葉。
「わかったよ、正直に言うよ。ゾロに触れているのがスキなんだよ、だたそれだけ」
捕まえたままだった手の、甲に唇で触れた。
ただそれだけ、と。消え入った語尾が酷く真摯でやわらかい口調だった。
穏かに澄んだ空気に溶け入る。
「……サンジ」
「なぁに?」
「思い出した、おまえそういえば、」
「ん?」
「"ちび"のことも、相当撫で回してただろう?」
「ジョーン?…そうだっけ?」
記憶。
「カオだの頭だの、肩だの。ああ、思い出したまさにこんな感じだ」
「…そうだったっけ?」
きょと、と見下ろしてきたサンジに言う。
「サンジ、なんども言うが」
「なあに?」
「おれはオオカミじゃねェぞ?わかってるか……?」
ふにゃりとわらったカオに告げる。
「ウン。オレ、ゾロじゃないとヤダもん」
「だから。グルーミングしてるんじゃねぇぞ、って言ってるんだよ」
「ダディとマミィも、でもずっとこんなカンジだったよ?」
「"ダディとマミィ"は延々と蜜月中なだけだ、それは稀な事例だ」
「じゃあ問題ないじゃない?」
きょと、としたカオをまたしやがった。
「生憎と、おれはコンスタントに触られているのは趣味じゃない」
「……ぶー」
「ぶー、じゃない」
膨らんだ頬を指先で押しつぶした。
「…じゃあ、ゾロがしてて」
「ヤナこった」
にやりとわらいかけて目を閉じた。
「おれは忙しい」
「ぶー!!」
「ぶーぶー言ってやがると剥いて丸焼きにするぞ」
「タベラレルのは構わないけど、丸焼きは困るなあ!」
「くわネェよ。焼くだけだな、豚は」
「…ちぇー!」
不貞腐れたのか、降ろされていた顔がふいと上げられた気配がした。
滝音だけがしばらく続き。
目を開けたなら、ちょうどこっちをみてきたらしい眼差しをぶつかった。
また、ふい、と逸らされる。
ネコだ。まるっきり。
目を閉じる。
そうしたなら、また目線が戻ってきたらしい気配がした。
―――バカサンジ、手の辺りが動いてるぞ?
捕まえて口付け、指を絡めて握りこんだ。
こうやって捕まえておけば、ぺたぺた触られないだろう。
「バカだな、やっぱりオマエ。少し触ってるくらいで済むハズないだろ?」
きゅう、と柔らかく握り返してくるサンジに告げれば。
「はにゃ?」
いつの間にかうれしそうなカオになっていた。
「言っただろう?オマエに限度がないんだよ、おれは」
「…ゾォロ、」
本音をばらすのは、ここまでにしておくか。
とろり、とした笑みがまたサンジに戻っているのを確かめ、目元でわらいかける。
「オレは、何度でも…ゾロにしてもらいたいし。オレこそ、ゾロに限度がないよ」
ふんわりと、頬に朱がのぼっていた。厭きずにみつめる。
そして。
「だから、意識が跳ぶまでシテもらうの、スキだもん」
赤くなりながら、続きをコトバに乗せていた。
ぷい、とおもむろに目線が逸らされた。
「サンジ?」
「なん?」
真っ赤になったまま、横を向いたまま。
「こっち向けよ」
腕を伸ばし、頬を掌で包み込んだ。
ほんの僅か力を入れれば、カオが戻された。
「カワイイな?オマエ」
わらった。
サンジが、ぶつぶつと独り言を言っていた。
好きだから触れたいし、触られたいんだもん、しょーがないじゃない、とかなんとか。
それから、眼差しをあわせ、笑みと一緒に。
「ゾロに溺れるの、キモチイイんだもん、」
――――言いやがったな、サンジ。
そのまま、腕を引き。ほんのりと赤くなったカオを上半身ごと引き寄せる。
秒針と同じだけの速さでサンジの鼓動が伝わる。
「フウン?じゃあまた精々溺れろ」
口付けた。
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