第3章
Monday, June 10
泳いでいるユメを見た。
陽に晒されて、水面だけが温まったような。伸ばした腕の先に別の温度を感じ。
ああ、水面が近いのだと。思っていた。鼓動。水の中で。聞こえる。
ぱかりと、水面に顔を出したのと同時に。意識が浮かび上がった。
柔らかな重みを感じ、それを意識するにつれて何かの名残のようにひどく穏やかなモノが引いていった。
朝だ、世界に何の変わりもなく。
ぼんやりと、重みを抱きしめ。勝手に首筋に顔を埋める。
おれは昨夜だれかと一緒だったか……?
記憶を眼を閉じたままでたどり、ふい、と混乱した。
物柔らかな熱は。おれの肌に馴染んではいるが―――、
ちょっと待て。
ヘッドライト。
覚醒した。
「…ん…じょー…ん?…オハヨゥ…」
声がした。おれが「抱き込んでいる」モノから。
手が。すんなりしたそれが伸びてきて。
それは確かに、頬をたどって。マヌケ面で固まっていたに違いないおれを捕まえると。
やんわりと、口付けた。
「…もーすこし、寝させて…?」
―――ちょっと待て!
唇が離れずにそう囁いて。身体を引いて。縋るように、だからおれにだ、縋り付いてあますところなく。
身体を寄せて、また寝ちまった。
―――なんだ?
―――なにが起こった?
落ち着け、くそ、これが落ち着いていらるかってんだ、チクショウ。
胸元を見下ろした。見事なハニイブロンドが目に飛び込んできた。
カンベンしろ。
ぴったり、寄せられている身体はオンナなんかじゃないことは明白すぎる事実だ。
そこいらのよりよほど上等にすっぽり、納まってはいるが。
誰がどう見たって、これはオトコだろうが?いや、ただの。ガキじゃネエのか?!
それを何でおれが後生大事に抱きかかえてるんだよ?コイツもなんで、足絡ませてるンだ!
冗談じゃねえ、これがおれの精一杯だ。
そう、ヘッドライト。夜中の砂漠。
ジープがおれに突っ込んできて―――
跳ね起きた。
「…っ、な、に?」
やわらかい、少しばかり掠れたイイ声だが。
いまはそんなことを思ってる場合じゃないだろうが、おれ。
「…ジョーン…?」
跳ね起きた拍子に。チェーンに付いていたタタグとクロスがぶつかって。音を立てた。
ジョーン?
―――ああ、このフザケタ偽名か。身内の暗号、洗礼名だ。おれの。
声に顔を向けた。
驚いた。
ヒトの顔の中心に。空へと穿った窓があった。そんな、藍だ。
ふう、とそれが。細まる。おれが訝しいか。そりゃあ、そうだろう。
なあ、あンた。
「…ジョーン、じゃないね」
震えた、声が。
藍か、揺れて。ほとり、と。涙が溢れていた。
おれが口をひらくより先に金髪の腕がひどくゆっくりと伸ばされ。ただ一度だけ、おれの頬を撫でていった。
いちど零れてしまえば。涙は。つるつるといっそ面白いくらい頬を伝っていた。
「あンたが、おれを拾ったのか?」
濡れた目だ。
じっと見つめたまま、声も出さずに泣いていたやつが。眼を閉じて頷いた。
「何日経つ?」
「…今日が…4日目…ッ」
低く掠れた声が告げた。おれの記憶はなるほど、それでは3日ほど空白なわけだ。
4日。絶望的な数字だが、まだ救いが無いわけじゃあない。運がよければ。
まだ―――。
ここまでで。意識が強制的に停止されたと思った。
「ありがとう、」
おい、おれは何を言ってる?
金髪が。俯いたまま、首を横に何度か振っていた。
なんだ?なにがそんなにコイツハカナシインダ?
手のひらに。小鳥を握りつぶしたような、重苦しいモノ。それが拡がるおれの内に。
カンベンしろ、おれは。
3日の間なにをしていたんだよ?コイツに情が移ってたのか?
「なぜ、あんたが泣くんだ」
「…忘れちゃったの…?」
朝、目が覚めてみれば。抱いていたんだ、そういうことなのか多分。
俯いていた顔が上げられた。泣き濡れた瞳が開かれて。おれのことを覗き見るようにしていた。
真摯、って顔つきだろう。これは。
「おれはあンたを抱いたのか?」
「…うん、イッパイ…」
……イッパイかよ。天を仰ぐ、とはまさにこの気分だ。
「…アナタは、誰?」
オレの知ってる、ディア・ジョーンじゃない、と言っていた。
ふ、と。このまま、偽名で通してしまおうか、と思った。
ちゃら、とタグを指で挟んだ。
「ここに書いてある通りだ。だけど、あンたの知ってるヤツとは別モノだろうな。悪いが」
記憶が無い、真実を告げた。
「…そう」
「礼は言う。世話をかけた」
そう言ったそばから。目が閉ざされた。ひどく辛そうに、そしてまた。涙が。留まっていたそれがシーツへと落ちた。
「アナタは、ジョーン・ドゥ・セ…?」
どうやら「おれ」は。このニンゲンにこんな表情をさせるくらいは。親しかったわけか。
「Cyrille、だよ」
せめて、例え偽りでもフルネームを答えてやろうとなぜだか思った。長すぎて、タグに彫りきれなかったソレ。
「ジョーン・ドゥ・シェリール。アナタを、轢いてしまって、ゴメンナサイ」
「あンたが、看病してくれたんだろう?なにを言う、頭をあげろよ」
嗚咽が漏れていた。肩がひく、とそれにあわせてゆれ。
「―――泣くな、」
「…ごめん、なさいッ」
濡れた頬を。手が勝手に撫で上げていた。
しゃくりあげて。無理矢理に嗚咽を止めようとこんどは必死になって。
なぜだか。そんな様子をみていると
そのまま。頬から頭へ手を持っていって。胸でも貸してやろうか、って気になる。
「ああ、だから。息はしろって」
引き寄せた。
「なんなんだ、あんたは。」
「ゴメンナサイ、もうちょっと…だけ」
抱いちまった身体には、情がやはり移るものなのか?こういう気分は初めてだけどな、おれは。
けっして不快じゃない重みがおれに加わった。
泣いている。声を押し殺して。
それでも腕は降ろされたままだった。
「…さん―――」
ぽろりと。単語が零れた。勝手に。
サン?
背中が。おれの目の下で緩やかに上下した。深い呼吸。胸元に、吐息がかすめた。
戸惑いながらそれでも、細い身体はおれから離れていった。
ああ、もしかすれば。コレはあんたの名前の欠片か。
おれの中から出てきた。
眼を閉じた。
何かが足りない。
呼んでやればいいだろう、名前くらい。
目を閉じていても。思いがけず強い視線が感じられる。ただの、泣いてばかりなガキじゃないわけか。
なんだ、やっぱりおまえ強いじゃないかよ。―――サンジ。・・・・・・これか?
奇妙な語感の名前。いっさいのおれの記憶にひっかかって来ないソレ。
眼を開けた。
なんで、あんたはそれほど真剣な表情でおれをみる?
いまにも、睫の縁から涙が落っこちそうなツラしてるのにな?
「―――サンジ、」
これが、あんたの名前か?
藍が。見開かれた、ほんの僅か。
「…ハイ?」
ああ、やっぱりそうか。
「ここは、どこだ」
「ここは、アリゾナの砂漠。明確には、モハヴィ・カウンティ。ワラパイ族のレジデンス」
「―――ワラパイだったか、クソ」
小声で。毒づいた。
「アナタは。どうして、夜の砂漠にいたの?どうやって、来たの?」
おれはレジデンスまで降りてきてたんだな、4日前に。
その質問には悪いが答える気は無いんだ、サンジ。
「ドクターか、ポリスを、呼んだ方がよかった…?」
ああ、とにかく。ちょっと黙っててくれないか?
腕を掴んだ。
引けば、僅かに距離を置かれていた身体はあっさり胸の中に納まった。
少し見開かれた目許。ああ、あンた。美人じゃねえか。
口付けた。
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