これで黙るだろう?
腕の中で、身体が強張ったが。あっさり舌先で唇を割った。
ここは、ワラパイのレジデンスだとすれば、おれの消息不明はとっくにペルに知れてるな。
ひくん、と肩が揺れたのがわかった。勝手に笑みが零れた。かわいいじゃねえ?
逃げる舌を捕まえた。

「…んん…っ」
ならば、ドルトンたちはもうNYに呼び戻されたか、まだフェニックスにいるか。微妙な日数だな。
ふい、とくぐもった声が届いた。
どうした、と。からかい混じりに絡み取り撫でるようにしながら。胸を押し返そうとする手や、
その指先が震えているのが伝わった。

「…っん」
ならば、リミットはあと2日あるかないかだ。
抑えられて聞こえる声。
胸に、突いていた手が。ぎゅう、とシャツの生地をいまでは掴んできている。
手で。項を撫で上げてみた。ひたり、と心地良い感触に少しばかり心臓がざわついた。

「ふ…ぅ…っく」
逃げかけた舌はそのままに。その裏側を舐め上げてみれば。頬に添わせた手に涙が伝わった。
フン、興ざめだな?おれは強姦なんか、ごめんだ。
泣かせたか。
口付けを解いてやった。
さらん、と髪を撫で。なだめてみた。

「…ど…して…?」
どうして?なにがだ。
「なにがだ、」
「アナタ、…オレのこと、スキじゃ、な、い、でしょ…う…?」
眦に流れかけた涙を。唇ですくいあげた。
「さあな。したくなったからしただけだ。名残じゃないのか、"おれ"の」
引き摺られるな、感情の残滓などに。
自分に告げる。
「…だったら、しないで。それは、アナタの、意志じゃ、ない…」
「ああ、泣き止むかと思ったが。逆効果だったな?」
ぐ、と手の甲で涙を拭う仕種に、また。じくりと何かが傷んだ。

「あんたを泣かせたくはなかったんだが」
ふるふる、と。頭が振られた。
「…質問されるのは、イヤですか…?」
その動きに沿って。冗談みたいな流麗さで金色の髪が追った。
アナタのことを、と。囁きで続けられた。

感情が、揺れた。
凪いだ表面が波立った。
あんたは。まるっきり失恋したてのコドモと同じだ。
「理由を問われても、あんたにおれは答えられない」
答えるはずも無い。
「…そう」
ふつりと。息もつかずに項垂れてしまった。
「ああ、」

でもな?
手を伸ばした。
痛い目に会ったばかりだっていうのに、コイツには警戒心がないのか?
「…なぁに?」
ぽん、と。頭に手を落とした。
きょとん、とみつめてくるのを。髪を雑に引っ掻き回した。

「おれは、"ジョーン"じゃない。"ゾロ"だ、」
眼を見据えていった。
「…ぞ、ろ…?」
ふんわりと。初めてわらった。コイツが。
「ああ。ゾロ。二度と、別の名前で呼ぶなよ?サンジ。」
「…うん」

「おはよう、サンジ」
どうにかマトモな会話になったか?
「…おはようございます、ゾロ」
頭から浮かせた手で。にこお、と笑い顔になったヤツの頬に軽く触れた。
「ああ。おれもあんたには聞かなくちゃいけないことがあるんだ。御互い様だろう」

「…うん。そうだね」
「まず、ひとつ。」
「ハイ?」
に、と口角が吊り上げるのを止めるのは難しかった。
「朝食は何時でしょう?」
「…すぐに、支度する」
する、とベッドから降りる。
長い手足。ムダがない、けれど弱さも無い。
十分に視覚に訴えるな、などと思っていたならば。くるりと振り向いた。

お腹すいてる?
まるでガキに問いかける口調。くるくる表情が変わるやつだな、これは。
「手伝う、」
「…ありがとう、ゾロ」
ベッドから抜け出た。ちょうど頃合だろう、どうせ。
手を差し出してきた。
「なんだ?・・・握手でもするのか、」
「ちがう、けど。ダメ?」
僅かに首を傾ける。
足に。木の床が冷たさを運んできた。
「べつに、」
用があるなら使え、と。差し出したならば。手を、握られた。く、と力が込められる。

「こっち」
ああ、おれの手と、あんたの手は。ずいぶんと温度が違うな。
くん、と引かれて。ドアを抜ければ。こじんまりとしたダイニングにすぐ通じていた。



「チェリーパイを食べる?」
既視感。
「それとも、サニー・サイド・アップとソーセージ?」
同じ事を。おれは聞かれたんだろう。繋がれたままの手。
頭のひどく深いところで。たのしそうにわらう子供の声がする。
"ねえ、サンジ―――"

「サニーサイド・アップ。まだ食ったことがなさそうだ。―――だろう?ジョーンが」
「…ジョーンが?」
「ああ。だからおれが食べることにする」
ああ、そうか。ジョーンはアナタの中で、溶け始めたんだね。
俯き馳せずに。それでもどうやらこのひどく素直な。子供に近いようなオトコは。
そう言って少し寂しそうに笑った。
「よし!それじゃあ、とびっきり美味しいの、作るから」
「泣くなよ?襲うぞ」
「あ…わかった。努力する」
ぱ、と離された手。

「努力は必要だな、」
「そうなんだよ」
「同感。」
冷蔵庫から取り出したオレンジジュース。コップに注がれたそれを渡された。
「ドウモアリガトウ。」
「どういたしまして」

「すぐ、できるから」
オレンジジュース。ひどく久しぶりに見た気がする。飲み干した。
横で、同じようにサンジもグラスを空にしていた。ああ、これは。前にもみたことがある。
記憶が追いつくのと、おれがここを離れるのと。どちらが早いんだろう、そんなことを思った。
勝手に仕度を始めた背中をしばらく見遣っていた。ああ、手伝うって言ったか、おれは。

「何をすればいい、」
シンクの横に移った。
「エスプレッソ、淹れてもらえる?」
「了解、任せろ」
飲めるよねぇ?だと。
わらった。なにを聞いて来るんだ、あんたは。

「だって、ジョーンは」
ああ、聞いてやるよ。
「10歳前だって言ってたもの」
「―――ちょっと待て。」
「なぁに?」
「あんた、たしか。おれに抱かれた、って言ったろう?」
「うん。いっぱい」
10歳前?
―――おい、マジかよ。

「おい、あんたの言う"抱く"。やってみろ」
「いいの?」
「ああ、いいから。」
「はい」
だとしたら。―――泣いて当然か?
懸念が、確信に変わった。ふんわり、と。背中に腕がまわされた。穏やかな抱擁。

―――マイッタ。
追加のダメージ。頬が。押しあてられた。
「…ゾロ?」
ゆっくりと。腕を背に回した。
「ん?」
「おかえりなさい」
悪かったな、と。そっと背を撫でた。言葉が。これほど穏やかに響く。
頬に。唇で触れられた。
おれは。こいつになにか言わなくちゃいけない。
ゆっくりと。腕に力を込めた。
「―――無理、するなよ」
「…うん」
肩口に。やわらかく頬を摺り寄せてくる。人恋しい子供の仕種。

「そんなことを、いまは。言わなくていいから」
調子が狂う。
「でも…アナタの世界だから、ここは」
長居は無用だ、おそらく。
「おれの居場所は、別の所だ」
思考と、言葉が勝手に繋がった。

「…そうだね」
そっと離れた。寂しげな笑いと一緒に。
窓からの景色が目に飛び込んでくる。
一面の砂と。かすむほど遠くのキャニオン。
ぎらつく陽射し。

「"ここ"も悪くはないだろうがな、いられるものならば。」
そう思ったのは、たとえ一瞬でも本当だ。おれも、忘れちまってるおれも。




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