凄い音を立てて、ゾロが…足音?から判断するに…バスルームに歩いていった。
久し振りの師匠とゾロの挨拶を邪魔する気はなくて、静まるまで少し笑って待っていた。
笑ってなければ、どうしてだか泣きそうだったし。
静まり返ったところで、ゆっくりとリヴィングの扉を開けた。
ウッドの室内…どこも壊されてないね?
ちらりと確認してから、上機嫌な師匠に頭を下げる。
「ただいま帰りました、師匠」
「よく戻った、シンギン・キャット」
頭を上げて、師匠を見る
明かりを反射して、目が僅かにきらりと光るのが見えた。
「師匠、」
「アレはわしを避けての、バケツにつき転ばされかけおったぞ!」
ゴキゲンな師匠の口調。
「…ああ!バケツだったんですか。蹴っ飛ばしたとか?」
「突っ込みおったわ、片足をな」
…突っ込んだ?…大丈夫かなあ、ゾロ?
「さて、抜けるかの、」
「もう、師匠ってば」
ごかごかごがん、と派手な音が響いて。
それがぴた、と止んだ。
「む。」
「……抜けましたね、多分」
残念そうな師匠の首に腕を回す。
「ダメですよ、師匠。そんな残念そうな顔しちゃ」
「シンギン・キャット、」
「ハイ?」
ぎゅう、と師匠を抱きしめる。
「後を追わぬか、なにをしておる」
「…いいんです、行ったら…オレ、泣いちゃいそうだし」
からかってくる師匠に、くすくすと笑いながら本音を漏らす。
「ならばわしに砂を塗りつけるのも止すがいいぞ」
師匠がにぃ、と笑って頭をすいすいっと撫でてくれた。
「あ、そうでした。忘れてました、砂塗れだってこと」
笑いながら、頬をすりすりと寄せる。
「砂嵐のような音がしよるわ」
ししょお、オレ、ホント、ゾロと居れて幸せだったんです。
にぃ、とまた笑った師匠の頬に、口付けて。
「師匠、ありがとうございました」
笑って離れた。
「面白い客も来たぞ」
「客、ですか?」
師匠の頬に付いた砂を払う。
ああ、ほんと。
オレってば砂塗れなんだねえ?
失礼しました、師匠。
「――――鷹のような者だ。アレがなかなか面白いものを見せてくれた」
く、と頤でドアを指差した。
すう、と明るくなって、リトル・ベアが戻ってくる。
どうやら、ファルとサイアの面倒は一通り見て、後は馬小屋のヒトに頼んできたらしい。
「のう、リトルベア、あれはなかなか面白い者であったな」
「あれ、ですか?」
ひょい、と兄弟子が眉を跳ね上げる。
「ある意味、興味深い人物ではありましたね」
肩を竦めて、キッチンの方へと向かう。
…うん???
鷹のようなオトコって…ペルさんだよねえ?
戻ってきたリトル・ベアが。
新しい服を手に、バスルームの方へと消える。
…ペルさん、本当に来たんだ…。
「…何時頃、来られたんですか…彼?」
ペルさん…名前、本名で出してるかなあ?
「偽りの穏かさと、底に潜めた殺意がの、興味深い者であった」
…うわあ…怒ってたのかな?
というか…怒ってないわけ…ないよねえ?
「声が総てを語るものよ、」
そう言って、師匠がにかりと笑っていた。
「…誰が相手をしてくださったんですか?師匠が?」
「アレに止められての、わしは見ておるだけだったわ」
…リトル・ベアが…。
「…あの、師匠、…やっぱり、相当怒っていらっしゃいました?」
「雛を奪われた鷲ほどにはの」
「……うーわ、」
映像、思いつく。
大猫が鷲の雛を攫い、それを追いかける親鳥を。
もっとも…オレは"仔猫チャン"ってよくゾロには言われるケド。
「キャット、」
「ハイ、」
師匠が呆れたような表情を浮かべていた。
イエ、オレは後悔はしてないですよ?
ゴメンナサイ、って言う気はないんだけど…でも。
ペルさんの大切なヒトを、オレは攫って行ったのは確かだから。
「あの者はオオカミに怒り心頭であったのだぞ」
「…へ?」
オレに、じゃなくてゾロに?
…なんで???
「すまないことをした、オオカミをみつけたならすぐにでもオマエは戻す、とな」
「……あああああ、」
あああ、なんて言ったら良いんだろう、
ゾロ……どうしてゾロに対して怒るの?
「ゾロ、…なにをしたの?」
オレと、ここで時を過ごすために?
じい、と師匠が見詰めてきていた。
「師匠?」
「檻を壊して逃げ出したのであろうよ、」
「…オレと一緒に居てくれるために、でしょう?」
だったら…原因は、オレ、なのに。
「群の頭目が群を棄てての、愚か者めが」
に、と師匠が笑った。
棄ててなんかいない、ということを。
師匠は…解っているんだ。
そして、きっと…ペルさんも。
「…彼は、ゾロを…許してくれるかな?」
オレも一緒に行って、謝ったほうがいいのかな?
「さあな。それはおまえの兄弟子に問うが良かろう」
「…ハイ、」
「わしがあのものならば、」
「…師匠が彼、ですか?」
師匠がペルさんの立場なら、っていうことかなあ?
「む。オオカミの世話など任された時点で物の道理や言葉の通じぬ事を学ぶ。あの者もそうであろうて」
師匠がにや、とヒトの悪い笑みを浮べていた。
「…師匠ってば、」
くすくす、と笑う。
ゾロ、とってもひどいヒトみたいじゃない、それ?
そんなに我儘、なの?
「そんなこと、ないと思うけどなあ…」
優しいし。
「何を言うか、愚か者めが」
「ええ?」
クスクスと笑ったまま師匠を見遣ると、また呆れていた。
「時々…とても頑なだけど、すごい…優しいですよ?」
「恋は真実を曇らせるか、キャット、あるいはおまえはそれほど床上手であったか……!!」
「…床上手って…」
床…上手?…あ!!!
「師匠ッ!!!!」
うーわ、うーわ、なんてことを…うわああ!!
大笑いしている師匠から視線を反らす。
うーわ…オレ、うわ、すっごい真っ赤なんじゃ…?
リトルベア!と大笑いして叫んだ後、また師匠が声をかけてくる。
「なるほど、オマエの歌はそれほどまでに甘美であるか、」
「知りません!!そんなの!!!」
「師匠、愛弟子を茹で蛸にしないでください」
「美味らしいぞ」
「蛸ですか?」
わっはっはっは!!!!と笑っている師匠には構わず、オレにも新しい服をリトル・ベアが渡してくれる。
「愛弟子がだ、」
「わかってますよ、茶化しただけです」
ゲラゲラ笑っている師匠に構わず、ひらり、と手を振る。
「オマエも。先だっての女子、どれも美しい。一人娶ってはどうだ」
「ご冗談でしょう?」
「なんの、冗談なものか」
大笑いしている師匠に、リトル・ベアがすい、と眉を跳ね上げていた。
先だって…ってことは。
ヴィーダさんたちのこと…だよね?
にかり、と笑った師匠にリトル・ベアは肩を竦め。
「ああいう都会でしか生きられない女性は、私の手には負え切れません」
さらり、と言って除けていた。
「山でわしに言うておったぞ。」
「なにをです?」
に、としている師匠に、くるり、と兄弟子が振向く。
…ええっと…うん、オレから話題が離れてくれたのは嬉しいんだけど。
それにしても。いきなりすっごい会話に突入したなぁ……。
ううん、これも勉強???
「都会でなくとも愛する者がいればそこが至福であるとな」
まこと、惜しいことよの、と言った師匠に、リトル・ベアがにこりと笑いかけた。
「それでは、師匠が娶られたらいかがです?」
「わしがあと20ほど若ければの」
「充分今でもお若いですよ、」
あれ?師匠…本気で残念そうだ。
……ええと?
「あの、師匠!師匠は誰に一番きゅう、ってなりました?」
「きゅうう???」
「きゅう?」
師匠と兄弟子の声が重なる。
「ええっと…あの、胸のどっかが、きゅう、って痛くなりませんか?」
オレなんか、よく、きゅう、ってしてて、時々心臓が止まりそうになるのに。
ゾロを見詰めているだけで。
師匠がリトル・ベアを見上げていた。
そして、リトル・ベアは師匠を見下ろしていた。
「リトル・ベア、」
「なんですか?」
あ、どうしてそんな牽制してるみたいな声???
「キャットは何語を話しておる…?」
ううん、オレそんな…すごいこと、訊いたのかなあ?
「シンギン・キャット語かと思いますが」
「…ええ?胸のとこ、きゅう、って痛くなったこと、ないんですか?」
…オレだけ?
うわ、お医者さんに診てもらったほうがいいのかな…?
「兄弟子の務めをはたさぬか、リトル・ベア」
わしは一服するぞ、と言いながら、師匠がテーブルへ行ってしまった。
「…逃げたな、」
ぼそり、とリトル・ベアが呟き。
それから、すい、とオレを見下ろしてきた。
「シンギン・キャット、それは恋をしている、と同義語かな?」
「…あ、ハイ、多分…オレはゾロに出会ってからそういう状態になるようになったんですけど、」
バスルームからゾロが着替えて出てきていた。
スーツ姿、髪をきっちりと整えて。
…あ、ほら、また。
きゅう、って痛くなる。
ゾロはそのまま、師匠のいるテーブルの方へ行っていた。
…きゅうきゅう、心臓が痛いよぅ。
「…シンギン・キャット、切なくなる、といいなさい」
「切ないの…?今、オレ?」
ふぅ、と一つ息を吐いたリトル・ベアがすい、と身体を折り。
とん、と額に口付けをくれた。
「…風呂に入ってきなさい、」
優しい低い声。
こくり、と頷く。
「拭け、」
意地悪な、からかっているゾロの声が聴こえた。
拭けって…うん?誰が?何を?
「あ、そうだ、オレ、砂塗れだったんだ」
リトル・ベアの唇を指で撫でる。
一瞬、目を真ん丸くした兄弟子とオレとの間に割って入ってくるように。
テーブルに寄りかかっていたゾロがつかつかと寄ってきて。
ぐいーと額を手で拭っていった。
…は?オレ???
「アホウ、」
ぶふっ、とリトル・ベアが噴出し。
くい、と頬を引っ張られた。
「ヒョロ?」
あの、痛いよ?
「ほんんっとにバカだな、てめえは」
呆れ返ったゾロの声に、肩を揺らしながらリトル・ベアがキッチンに戻っていった。
ちゅ、と唇にゾロに口付けられて、…きゅう、と痛かったのが、すう、と甘くなっていった。
すい、と手を伸ばして、ゾロの頬を指先で撫でる。
きゅうきゅう、と甘い痛みが止まらない。
ゾロのグリーン・アイズが凄く優しくて…泣きたくなって、笑いかける。
「シャワー、浴びて来い、さっさと、」
優しい声に、頷く。
すい、と頬から指が離されて…歩き出してから、止まる。振り返る。
「ゾロ、ダイスキだよ、」
ゾロ、本当に。アナタがダイスキだよ。
なぜか、今。言いたくなって。
音にした。
ゆっくりとゾロが微笑んだのを見届けてから、バスルームに向かう。
ああ、どうしてスキだと思うだけで…泣けてきちゃうんだろうね?
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