遠ざかる車のエンジンの音と。
巻き上がっては落ち着いていく砂埃の音を聴いていた。
唇、まだ濡れたままで。
掌には、まだゾロの服を握り締めていた感触が残っている。
「…ぞ、ろ、」
寂しいけど。
泣いて、しまったけれど。
「…うぇっ、」
イカナイデ、と言わずに済んだ。
前、置いていかれかけたときのように、縋りつかずにいられた。
口付けるためだけに、帰ってきてくれたから。
「ひ…っく、」
嗚咽を噛み殺す。
胸の中、ゾロが残してってくれたもの。
ちっちゃな温もりみたいにして、中心に残ってる。
愛情。
ぽか、と穴が空いてしまいそうだった場所、ゾロが最後に埋めてってくれたから。
ぐい、と拳で涙を拭った。
深呼吸して、嗚咽を止めて。
リトル・ベアが扉を開けて入ってきた。
ちらり、とオレを見てから笑った。
「シンギン・キャット、顔を洗ってきなさい。それからお昼にしよう」
ハイ、と頷いた。
「オマエが元気でいなきゃな、帰ってきた時アレにオレが怒られる」
そうだろう、とリトル・ベアが眉を跳ね上げ、思わず笑った。
「…リトル・ベア」
「なんだ、」
「髪、今度切ってもらえませんか?」
「ん?ああ、それは構わないが」
「うん……最初にゾロに会った時くらいに短く、」
これくらいまで、と手で示すと。リトル・ベアが小さく頷いた。
「結構切るな」
「伸びましたから」
「手触りがいいから勿体無いな」
「…ハイ?」
くしゃくしゃ、と髪を掻き混ぜられた。
「それより少し長い方が似合うと思うが」
「…じゃあ、それくらいで」
お願いします、と頭を下げると。
わかった、といってリトル・ベアが離れていった。
「久し振りだから、サラダが食べたいだろう?」
ふい、と瑞々しいレタスの感触を思い出した。
「食べたいです」
「食欲があるってことはいいことだ、」
さあ、バスルームへ行きなさい、とジェスチャーされて、バスルームへと向かう。
ふわ、とバーベキュー・チキンのイイニオイが漂ってきた。
鏡の中、目を赤くしたヒトが立っていた。
ヒト。
狼でなく、ヒトであることを選んだから。
冷たい水で顔を洗った。
ゾロが頑張るんだから、オレも頑張らなきゃ、と心に決めて。
「シンギン・キャットは連れて行かれたのか!」
師匠の声が聴こえてきた。
低い声でリトル・ベアが、違います、と言ってるのが聴こえた。
顔をタオルで拭って、髪の毛を後ろで縛り。
バスルームを後にする。
リヴィングに戻って、こっそりと足音を忍ばせ、師匠に後ろから抱きついてみた。
「師匠!しばらくお世話になります!」
「む、」
ぎゅ、としたら、オオカミの匂いがするの、だって。
「ハイ、」
残り香と一緒に、ゾロの想いもまだココにあるのを知ってるから。
笑うことができる。
リトル・ベアが、オオカミの置土産なんだろう、って笑っていた。
本当に残されたものは、確かな愛情だよ。
心の中で呟いて、師匠から離れた。
「リトル・ベア、お手伝いしますね」
キッチン、コーヒーの匂いとチキンの匂い。
ヒトの生活の営み。
流れに戻る。
「シンギン・キャット」
師匠に呼びかけられて振り返った。
「はい、師匠?」
「おまえの内なるものは充たされておるの、」
にぃっと笑った師匠に笑いかける。
「ゾロから貰った愛情なんです、」
掌、心臓の上に当てる。
「温かいんですよ」
リトル・ベアが、くっと笑っていた。
「リトルベア、」
「なんですか?」
オレの手にサラダのボウルを押し付けてきたリトル・ベアが振り返った。
「アレが娘ならばとうに身重か?あのように笑いおる」
からっと言った師匠に、背の高い兄弟子はすい、と肩を軽く竦めて。
「膨らんできてても、不思議じゃありませんね」
にぃ、と笑っていた。
………って、はい?
「むう、まこと残念じゃの」
「まったくです。キャットに似てかわいい子だったでしょうに」
「…あの、だから…えええ?」
「オオカミの血も混ざって面白かろうてのう」
「ワイルド・キャットが生まれてたかもしれませんねえ」
……期待、されてたわけ、オレってば?
というか、オレはオスだって……知ってるだろうに。
や、知ってて……からかわれてるのか、な?
「あのー、オレのこと、からかってます?」
「シンギンキャット、」
「ハイ?」
にかりと笑った師匠を見詰める。
うん?なんでしょう???
「みだりに出歩くでないぞ。押し掛かられように」
………誰に???
「そら、テーブルにサラダを置いておいで」
「あ、ハイ」
テーブルにボゥルを置いて、師匠を見遣る。
「あの……誰にですか?」
「リトルベア!答えてやらぬか、兄弟子の勤めだ」
笑ってる師匠に、リトル・ベアが溜め息を吐いていた。
「シンギン・キャット、オマエは内も外もきれいだと言う事に、そろそろ気付きなさい」
「…ハイ?」
キレイ?
「オオカミは目が良いものよ」
「問題は、オオカミ以外でもキレイだと気付いてしまうくらいに見目も内も良いってことですかね、」
わはは、と大声で笑ってゴキゲンな師匠に、リトル・ベアが苦笑していた。
「…うあ?」
「警戒心を怠らないように」
「婚礼をあげたての娘ほどにはな」
ドレッシングのボトルを手渡され、はぁ、と気の抜けた返事が勝手に洩れていった。
にぃい、と笑っていた師匠のコトバに、頷いて笑いかける。
「ハイ、オレ、ゾロ以外のヒトは、オンナノコでも嫌ですから」
ぶふっと兄弟子が噴出していた。
チーン、とトースターがマヌケな音を出していた。
あの…なんでそこで笑うかなあ、リトル・ベア?
師匠、すっごい大爆笑して……なんか、ガラスがピリピリ言ってるし……。
「我々としたことが、してやられてしまいましたね、グレート・サンダー・フィッシュ」
リトル・ベアが師匠にそう言っていた。
師匠は、わっはっはっは、って大声で笑って酷く機嫌が良さそうだ。
「キャット、よい子を産むのだぞ、」
や、笑いの間でそんなこと言われても。
「あの、師匠?オレ、産めませんってば」
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