「こらこら。オマエがいま泣いてどうする、キャット」
笑ったリトル・ベアに、何時の間にか盛り上がって零れていた涙を拭われてしまった。
うう、だって……。
「外で苛々としていた部下に触発されたのか、『生かすも殺すも、それは私共の世界の話。そして、ミスタ・ラクロワが
結果どうなさろうと、私共の"知ったことではない"のですよ』と笑ってな」
―――――ペルさん、
「『それはもちろん、そうだろう。だからこそ、お教えするわけにはいかない。少なくとも、彼らが我々の庇護にある内は、な。』
と返せば、」
…返せば?
「『あなたを撃ち、あそこにいらっしゃるご老人とそこの若者を殺す、なんのことはありません。ただ、同じ様にまた意味もない。』と感情を殺した声で言う」
詰めていた息を吐く。
一瞬の沈黙。
その後に、リトル・ベアがくくっと小さく笑い出した。
「『――――我らが偉大なるメディスン・マン、グレート・サンダー・フィッシュを殺し。その弟子である私を殺せば、このネィションは貴方の敵となるでしょう。貴方がたの求める人間がその後どうするかなど、それこそ"知ったことではない"が。少なくとも、貴方がたのビジネスも、スムーズにはいかなくなるでしょうな』と返してやったよ」
にこ、とリトル・ベアが笑った。
「『インディアン・ネィションの総てに呼びかけ、地域一体で結束することは、貴方がたの利益にはなりますまい。我らが貴方たちにとって取るに足らない存在でも、それなりの影響を持たせることはできる。小さな石ころ一つでも、荷車を壊すことができるように』
インディアン・ネィションのある場所を地図で思い浮かべる。
そして、インディアン・ネィション・ギャザリングを。
メディスン・マンの偉大さを。
役割を。
リトル・ベアが、くう、と酷く冷めた笑みを浮かべ。
それから、片手をひらりと振った。
「『どのような仲間にも裏切りは必定、』とな、返してきた。そして、『あぁ、ひとつ、ありますね。あのコドモが酷く悲しむでしょう』と薄く笑ってな、『なかなか魅力的です。が、コドモを狩っている訳ではありませんから、それはまた別の機械に』と脅しをかけてくる」
「『まあ貴方の言う"コドモ"が泣いて嫌だというのは、我々個人の感情であって。それにネィションを割り込ませるわけにはいきません。したがって、彼らがここを離れた時に貴方がどう判断されようと、哀しく思いまあ泣くかもしれませんが―――その時にはそういった事態は回避されましょう』」
トーンを変えてそう言い。すまない、とリトル・ベアが目で謝ってきた。
首を振る。
オレこそ―――リトル・ベアや師匠たちを巻き込んでしまって、申し訳ないのに…。
「『お解りか?手負いの狼が自力でここを離れるまでの期間、我々はそちらに"彼"を引き渡す気などさらさらない。もちろん、我々を殺し、こちらに入ってこられハントをするならば、それは貴方がたの自由だ。我らには自衛権があるゆえ、それを行使しないわけがないが』」
くう、と片目を眇めたリトル・ベアがトーンを変えた。
「『ひとつ、誤解を与えたならば心外だ。私共は、ミスタ・ラクロワに仇を為すことはいたしませんよ、ご安心なさい。むしろ、今後一切関わらせたくも無い、というのが実情』だと冷え切った声で返してきてな」
ぽす、と頭を撫でられる。
「『まして、彼が一人で戻るというならば大事な手駒を無為に費やさずに済みます、ご協力痛み入る』と続けていた。」
ぽた、と音が響き。
また自分が泣いていることに気付く。
手に爪を立てて、嗚咽を零すのをガマンする。
赤が鮮やかに浮いた。
「『ご理解が早くて有り難い。貴方がたの貴重な手駒を。我々が彼らに与える休息の時間と引き換えすることで同意いただけるのかな、ミスタ・エヴェレット?』と言えば」
静かにリトル・ベアの低い声が続く。
「『休息?―――愚かな』と。冴え冴えとした笑みを浮べたな、あの男。『主もそこまで愚者では無い筈だ、と願いたいところです』だと。――――あの男、少しクラシック・ロマンスでも読むべきだぞ?」
くう、とリトル・ベアが笑った。
「『体調を整え、頭を冷やし。足場を見極める期間を休息と呼ぶ』と返したらな、『よろしい。今日を入れて2週間、待ちましょう。それ以降は―――』と言葉を切って、ひやりとした笑顔を浮べてな。『またお目にかかる』と言っていた」
さら、と髪を撫でられて。
また視線を落とす。
「その後で、部下を呼んで狼の着替えだのなんだのを、一式置いていった」
「…ゾロ、あんなに……すごい、決意して…出て行ったのに…っ、」
くう、と喉が鳴るのを無視して言えば。兄弟子は、く、と笑い。
「それでな、『馬で行きましたか。――――実に周到だ、』とにっこりと笑っていた。まったく…この土地で馬以外の何が役に立つと思っていたのだろうな、アレは。ヘリコプタすら受け付けない土地柄であるのに」
空高く舞う者にしては、まだまだ目が養われておらんな、と。
リトル・ベアが言っていた。
「それにな?『昔から、馬が好きだったのですよ、』と少し優しい顔で笑っていたから、大丈夫だろう。育てたのなら自分の子供も一緒だ。そう簡単には切り捨てられまい。選択肢がある限り」
ぽすぽす、と頭をさらに撫でられた。
「それに―――あの男には空ろがある」
「うぇ…っ、う、つろ…っ?」
「そうだ。あれは解っている。身体に付く傷より、心に付く傷の方が何倍も酷いということを知っているからな」
息を吸い込み。ぐい、と涙を拭う。
ダイジョウブ。
ゾロを信じるから。
ゾロを、あれほどまでに深く愛しているペルさんだからこそ―――厳しいんだから。
ダイジョウブ、ダイジョウブ。
勘が囁く言葉を、繰り返す。
「勝負としては引き分けだな。勝ってやれなくてすまない、シンギン・キャット」
首を横に振る。
「けれど、まあ。2週間もあれば頭も冷えるだろう、あの男も」
カオを見上げる。
リトル・ベア、笑ってた。
「頭のいい男だ、さっさと殺して終りにするよりも。生かして有益に利用する事を選ばざるを得ないタイプだ。それに、シンギン・キャット、」
「―――ハイ?」
「オマエの愛した狼は。強いだろう?」
すい、と涙を拭かれて、笑った。
――――Yes, he is strong. He, my beloved soul.
頷く。
「強いよ、オレの愛した狼は。そして魅力的なんだ、」
オレから世界を、見えなくさせた。
新しいものに、引き合わせてくれた。
それほどに、強いんだ。オレのゾロは。
「しかもあの狼。狩りがしたくてウズウズしていただろう?」
「―――うん。オレが…嫉妬、するくらいに」
くう、とリトル・ベアが目を細めて笑った。
優しい、優しい、笑み。
「掠り傷くらい、拵えるかもしれんが。あれはしばらくは死なんよ」
笑って、頷く。
そうだ、そんな先は見えてこなかった。
そんな啓示も、ひとつも出てこなかった。
あったのは、確かに鼓動を刻む心音と、前を見据える強い眼差し。
「それに、だ」
言葉を区切ったリトル・ベアを見詰める。
「……それに?」
「オマエの祝福を、たらふく浴びていったのだろう?弾だって除けるだろう」
「―――――リトル・ベア!!!」
ハハッと笑い、優しい声が続けて落とされる。
「信じなさい、シンギン・キャット。オマエは楔であり、祝福であり、アレの生きる場所なのだから」
「―――ハイ」
笑って頷くと。リトル・ベアがにぃい、と口端を吊り上げて言ってきた。少しからかうトーン。
「ああ、そんなカオをしているオマエばかり見詰めてきたのだろう。抱きに帰らないわけがない」
「―――へ?」
そんなカオってどんな…?
「シンギン・キャット。辛ければ祈りなさい。彼の持つ運を信じられないのなら―――狼のために、偉大なる霊に祈りなさい」
「―――はい、リトル・ベア」
さら、と髪を撫でられた。
目を閉じて、笑う。
ダイジョウブ、ちゃんと笑える。
「―――シンギン・キャット」
「ハイ?」
「―――――強くなりなさい」
優しいこげ茶色の瞳に頷いて返した瞬間、ドアが音を立てて開き。
振り返ると、見回りから帰ってきた師匠が大笑いしていた。
「なんと、リトル・ベア!シンギン・キャットが子を産むか!!」
リトル・ベアが苦笑を浮べた。
―――――うう。なんでそうなるかな?
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