轢かれたコヨーテの手術は、6時間に及んだ。
粉々になった骨。断裂した筋肉。 内臓が無事だったってことだけが、救いだろうか。
麻酔をかけて、ドクターがオペをするのを、少し離れて見守った。
レントゲンを見ながら、骨をひとつひとつ集めていって。
最後に、轢かれた後ろ足を、包帯で巻いて、固定した。
縫い合わせた筋肉が、きちんと治るまでは、しばらくギプスはなしだろう。
ここは、レジデンス内の動物病院とは言え、近代医療機器が揃っていて。 まだインターンではないけれど、実際の
現場を肌で見れるのは、ラッキーだったと思った。
普段は、レジデンス内で飼育している家畜の診察と治療がメインなのだけれど。
国立公園内に、レジデンスが及んで
いるだけに。時折野生動物が運び込まれてくる。
ここのドクターは、ワラパイ族の人ではないのだけれど。とても西洋医学と東洋医学に興味を持っていて。
患蓄にもっとも負担がかからない方法を、選んでいく。
だから、麻酔の変わりに針を打ったり。注射の変わりに、薬と催眠術を使ったりして。
多分、都会のドクターからみれば、信じられない、っていう方法を使うこともあるのだけれど。
不思議と、どの動物たちも、元気にここを出て行くことが多かった。
野生動物は特に、戻されるから。
薬やなにかに、依存しなければいけない状況は、できるだけ避けられるよう考えられているのだと思う。
ドクターは、チャイニーズ・アメリカンで。不思議と、サンダー・フィッシュ師匠と、ウマが合うのだそうだ。
レンジャーの人とは、時々衝突しているみたいだけれど。
コヨーテの麻酔が効いているうちから、ドクターがブツブツと呪文らしきものを唱えている。
呪いではなく、マジメにコヨーテに、彼のおかれている状況と状態を説明しているのだ。
初めてドクターが患蓄に説明している時は、さすがにびっくりしたけれども。
ドクター曰く、要はこちらがわに敵意が
無い事が伝わればいい、とのこと。
そういえば、動物は不思議と。こちらの言葉を理解してくれているときがある。
エマもそうだったし。オオカミたちや、ウマだって。結構、分かり合えるものだ。
だから、手術後、コヨーテが麻酔から覚めたとき。不思議とカレは慌てふためくことがないのを見届けるのは。
なんだか、そういった神秘を見ているようで、嬉しかった。
休みにいったドクターの変わりに、コヨーテに語りかけ。
意識がしっかりと戻ったのを確認してから、水と痛み止めのシロップを用意し、与えて。
それから、泊り込みのナースに、お疲れ様でした、と言われるまで。ずっとコヨーテを見守っていた。
着替えてから、ドウターたちに挨拶をして、帰ろうとして。
ふ、と家にいるゾロのことを、思い出した。
ランチ、はさすがに冷蔵庫を漁れば、何か食べるものを見つけられただろうけど。
晩御飯、もしかしたら、まだ食べれてないのかな?
慌てて帰ろうと車に向かったら、丁度レジデンス内で飲食店を営んでいるレイマンさんが出てきて。
呼び止められた。遅くまで大変だっただろうから、食べていきなさい、と。
どうやらコヨーテを見つけ、レンジャーに言って運ばせたのは、レイマンさんだったらしい。
家に、客人がいるから、もう帰らないと、って言うと。レイマンさんは、それなら持っていきなさいと言って。
ナベ一杯分のビーフシチューを、分けてくれた。
ついでに、自家栽培のセロリが食べごろだから、と。ビニールにいっぱい。
…ゾロは、セロリ、食べられるのかなぁ?
礼を述べて、倒れないように車に積んで。それから急ぎ気味に帰途に着いた。
時刻はもうそろそろ8時。家に着いたら、9時過ぎちゃうかなぁ…?
何かに話し掛けれた気がして、ぱかりと目が開いた。
とっくに陽は沈みきり、部屋は暗くなっていた。
普段から時計をしないせいで、いつの間にか時間がわかるようになっていた。
9時前だな、と見当をつける。
テーブルからコルトを取り上げ、立ち上がる。そして、身体が勝手に部屋の隅にあるスイッチを入れていた。
パチ、と軽い音がした。
身体が、覚えていたわけか、と。今更になって困惑した。
疲労が溜まっていたとはいっても、あれだけ深く眠るとは意外だった。
そして、意識が表層に戻る前、ひどく。 アタマのどこかで。不安、とでもいっていい感情が残っていた。
―――バカバカしい。
冷蔵庫を開けてアルコールが一切ないことを確かめると、また新しい水の瓶をあけた。
そしてそのときに台所の窓から、遠く。ヘッドライトが見えた。
フン。どうやらコヨーテは死ななかったか。
さっさと、ドライヴァを捕まえて。連絡を入れよう。明日には、ここともオサラバだな。
チェリーパイのフィリングを指先で掬った。
美味いな、と。 言った声はおれのか?
扉を閉めて、居間へ戻った。
タイヤが砂を踏む音がもうすぐそこまで来ていたから。
ソファの背に凭れて、ドアが開くのを待ち構えていた。
雑に、クルマのドアを閉じる音が響いた。
走ってやがるのか?ポーチを抜ける早足。
ばん!と。何かがぶつかる音がした。
おい?
内側から扉を開けた。
「自分の家のドアにあンたはぶつかるのか?」
そこには。
「ごめ!急いで帰ってきたから!」
両手にナベと何かを抱えて。疲れきった様子のサンジがいた。
「貸せ、」
「晩御飯、遅くなってゴメンね、急いだんだけど…!」
重たげな鍋を取り上げた。抱えていた袋ごと。
ありがとう、と手渡されながら言って帰された。
「オレ、ちょ、疲れて…。暖めて、食べてくれる、かな…?」
「ああ、それよりサンジ―――」
夕食のことはどうでもいから。それよりあンたの携帯かせ、と。 言うより先に、また。
頬に唇が押し当てられた。
「―――おい、」
「オレ、寝る、ごめ…んね?」
ひらひら、と手を振って。どうやらベッドルームでサンジは撃沈したらしい。
おれの両腕には、ナベと袋。
ああ、あのクソ猫どもが見たら3年は笑いやがるだろう。そんな有様を自覚した。
とにかく。この鍋をどうにかすることが先決だろうが。サンジは後で起こせばいい。
キッチンに持ちこみ。
レンジに鍋を置き、がさり、と鳴った袋に目をやった。
―――匂うじゃねえか。
閉じ口をあければ、みごとに、ケミカル・グリーンが飛び出てきた。
ちらりと、真剣に。
殺意が閃いた。
アメリカ大陸にコレを持ち込んだ男はダレだ。こんなモンを持って帰るヤツもヤツだ。
「悪いが、オマエは抹殺。」
袋を摘み上げて、玄関のドアから投げ捨てた。ちょうど、クルマの止められた辺りをメドに。
これで済ませちまえ。ドアを閉めた。あばよ、野菜。
そして、おれはまた。
自分の常識が通用しない事を身を持ってまた確認した。
サンジは。 異様に寝つきが良かった。
起きない。
足でも撃てば起きるだろうが。とっくに情が移っちまってるのか?
寝顔を覗いたら、ガンを使う気は失せた。幸福なコドモの寝顔だ。
携帯は、横に転がしてあったが。ピンコードが設定されていた。抜けているかと思えば、
妙な所だけしっかりしてやがる。溜め息が出てきた。
おい、ジョーン。コイツの誕生日でも思い出せよ?どうせソノ程度のナンバーだろうが。
ああ、ドライヴァーズライセンス。アレに必要な情報はぜんぶ載っているな。
サイドテーブルに放り投げられているウォレットから取り出し、コードを入れてみたが拒否された。
フン、自分の誕生日じゃないのか。
「サンジ、」
耳もとに声を落としてみた。ぴくん、とわずかに瞼が動いた。それだけ。
はあ、とまた溜め息が出た。悔し紛れに少しばかりきつく首筋を噛んだ。
「んぅ、」
イイ声聞かせてもらいたい訳じゃあないんだよ、ったく。
ベッドルームを出た。
ああ、ついでに灯かりも消してやるよ、……クソ。
そして、空腹を充たして。
ひどく苛立ちと、どうしようもねえなあという諦めと、ソレに伴ったヤケクソの笑い出したい気分がぜんぶ混ざった
ようなままで、また横になった。こんどこそ他人がいるのだから、そうそう簡単には眠らないだろうと思ったが。
あっけなくおれの負けだった。勝負にもならねえ。
けれどそれも、がたり、と何かが。立ち動いた音がするまでのこと。
眠りの名残などすぐに失せていき、その音に意識が覚醒し、そしてすぐに、弛緩した。
―――サンジだ。
ベッドルームのドアの脇、暗い中でもぼう、と。金色の頭があった。
水でも飲みに起きてきたか、面倒な事をするなよ、と。さっさとまた横になった。
ぼう、とした様子だ。寝ぼけた奴と会話する趣味は無い。
もうどうせ朝まで間がないなら、こいつが起きるのを待っても一緒のことだ。
目を閉じれば。気配はまっすぐにソファへとやってきていた。
キッチンとは、反対側の。なんだ、いったい。
「―――おい、あンた。キッチンは反対だぞ」
「ン…」
わかったなら、あっちへ行け。 そう続ける間もなく。
寝起きで体温の高い体が隣にもぐりこんできた。アタリマエのように。
肩に腕をかけ。満足げな声を洩らし。ぴたりと。くっついてきやがった。
この狭苦しいソファが。2人分の体重で小さく軋み。
肌寒かった夜気が、人肌で温まった。
「サンジ。」
頬を軽く手で叩いた。起きろ、と。
「…な…」
「起きろ。」
むずがるな、あンたも。一層、寄せられた身体を剥がそうにもここは狭すぎる。
「さもないと、襲うぞ」
頬に手をかけても。ふんわり笑みを浮かべたコレは。眠ったままだ。
舌打ちし、抱き上げたまま起き上がった。それでも目を覚ます気配はナシ。
ベッドルームまで連れて行き、放り捨てようとした。
そのとき、コイツの指が胸元にしっかりくいこんでいるのに気が付いた。
生地を、きつく握り込んでいる これじゃあ、投げ捨てられないじゃないか。
おれの身体ごと、とにかくベッドにサンジを落とした。そして、上から。指の一本一本を外させる。
ひとつ、外させるごとに。首元に顔が埋められた。しがみ付くなよ、おい。
けれど、この頬にあたる髪の感触を。おれは確かに知っている。
さらさらと、柔らかい。
指を引き剥がしていった。
なにか、首元でくぐもった声がしていた。無視した。
ぜんぶをようやく剥がし終え、ブランケットにコイツを突っ込むと。
ドアを閉めた。
―――何をやっているんだ、おれは。
腕の中の熱。馴染んだ重さ。
忘れろ。
それでも、今度は眠りは訪れなかった。
そして、二度目にドアが開いた時、まさかと思っておもわずわらっちまった。
何つう、強情な眠りネコだ。
また。まっすぐにやってきて。ぴたりと身体を寄せてきた。
「サンジ、」
今度は呼んでやった。起こすためじゃなく。
「…にゃ…」
眠りたい、っていうのなら。まあいいさ。
わらいがおに口付けた。
3日分の、礼だ。
すこしばかり冷えた唇が意外だった。なぜか、暖かいものだと思い込んでいた。
熱が移るまで、重ね、やわらかく食んだ。
腕の中の熱を抱き込んでみた。
項、指を感じた。くう、と近づいた身体が。
ああ、またあンたしがみついてるのか、と。思った。
もう、戻さないよ。しょうがねえ。
一緒に寝てやる。
胸に、具合よく納まった身体をまた抱きしめた。
けどな?狭いからっておれごと落ちるなよ。
目を閉じた。
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