Tuesday, June 11
いつもと違う体勢で、眼が覚めた。
まだほの暗い場所。ベッドルームじゃない。
それでも。
誰かの腕が、回されていた。誰かの胸の鼓動が、穏やかにリズムを刻んでいた。
ジョーン、ではなく、ゾロ。
嗅ぎなれた匂い。身体が慣れた熱。
ぽてり、とゾロの腕の中に、頭を戻した。
まだ目覚める気配は無い。

ゾロは、オトナ、だ。
そして、とてもシャープ。
警戒心が強くて、意志も強い。
それでも。こうやって自分を抱きしめてくれるくらいには、優しい。
何時の間にゾロのところへ来たのか、自分でも解らなかった。けれど。
寝ながら、寒くて。寂しくて。
だから、こうして抱きとめてもらえているのは、なんだか涙が出そうなくらいに、嬉しかった。
オレ、嫌われてないよね…?

ゾロは、ジョーンではない。だけど。
ジョーンは、ゾロの過去であり、一部だ。
どうすれば、キライになれるだろう。
そんなことを考えていたら、回された腕に力が込められて。
もしかしたら、ゾロのイイヒトと間違われてるのかもしれないけれど。
とても、嬉しかった。

ゾロ。
記憶が戻ったみたいだ。完全に。
やっぱり、行ってしまうのかなぁ。
…やっぱり、行ってしまうんだろう。
カレには、カレの人生がある。
カレには、カレがしなければいけないことが。
だから、寂しいだけのオレが、引き留めてはイケナイ。
引き留めては、いけないんだ。

髪に、顔を埋められた。首元に、ゾロの息を感じる。
ジョーンも、同じ様に首筋に顔を埋めるのがスキだったっけ。
知り合ったのは、たった5日前のこと。ジョーンがいなくなったのは、昨日のこと。
それでも、寂しいよ、ジョーン。オレは、本当に、アナタがスキだったんだ。
ゾロは、アナタと同じくらいに。オレに愛させてくれるのかなぁ…?

ふう、と勝手に、溜め息が漏れた。
幸せなのに、幸せじゃない。こんな気分って、なぁに?

首元。
ゾロの唇が触れた。まるで溜め息を聞いたようなタイミングで。
そして、目の前で、まだ少し眠そうなグリーンアイズが開いた。
これは、ジョーンと変わらないなぁ。
急に、胸がきゅうっとなって。スキって気持ちが、湧いていった。
不意に、ふわんと目許が和らいだ。
ああ、どうしよう。この表情、とてもスキだ。

「……ォハヨウ、」
「オハヨウゴザイマス、ゾロ」
なんだか、嬉しくなって。そうっとオハヨウのキスをした。
ゾロの眼が、ゆっくりと閉じていった。
なんだか愛しくて。頬に掌で触れた。
良く眠れたかなぁ?もしかして、オレ、邪魔しちゃったかなぁ?

唇、すぐ側にあったのが。柔らかく、食んでいった。
びっくり。寝惚けてるのかなぁ?
「ゾロ…?」
そうっと名前を呼んでみた。
「―――んー、」
誰かと間違っているのなら、キスされるのは哀しい。
「朝だよ…?」
どうしてこんな気分になるのだろう。誰かと、間違われたくない、なんて。
ぎゅう、と抱き込まれた。やっぱり、寝惚けてるのかなぁ?

サンジ、って。名前を呼ばれた。
少し甘えるような、それはジョーンの声。
もう一度、口付けてみた。
ふんわりと、口元が笑った。
「オハヨウ…?」
ジョーンと呼びかけるか、ゾロと呼びかけるか、迷っていたら。
今度はキレイに覚醒した眼が、オレの眼を射抜いた。

これは、ゾロの眼だ。く、と細められた。
やっぱりオレ、迷惑だったのかなぁ?
「……身体、痛くないか、」
「…オレ?…大丈夫。アリガトウ」
横になったまま、くう、と伸びをした。寝起きの狼みたいだ。
「…そうか。」
「狭かった…?」
狭いに決まってるんだけど。ついつい訊いてしまった。
すると、喉の奥の方で、笑い声が漏れた。

「…ゾロ?」
「あンたは、強情だな」
強情。
そうなのかな?ああ。でもセトも。
『サンジは、ホント、自分の意志を曲げないねぇ』って、笑ってたっけ。
「二度もここに戻ってきた、」
「…うあ、そうなの?」
「ああ。」
ちっとも記憶に無いや。
寂しくて、寒くて。独りになるのは、嫌だったから。きっと、眠っているうちに、来たのだろう。
にっこりと笑っているゾロ。迷惑じゃなかったのかなぁ?

「よく、眠れた…?」
「お蔭様で。アリガトウ」
「…にゃあ」
あ、オレ。いま、すごい嬉しい。
きっと笑い顔だったオレの髪を、ゾロはかき回して。それから、とても鮮やかな仕種で、起き上がった。
ふわん、と笑みが浮かんでいる。

「ネコか、あンたは」
「…オレ、シンギン・キャットって、名前もある」
どうして、解ったんだろう?
「フン。オハヨウ、ネコ。ならばこんど雷魚を食ってくれ」
雷魚?サンダー・フィッシュ?
…あれ、ゾロって、師匠の知り合いだったのかなぁ?
疑問を口にする前にベッドルームから着替えを持って、ゾロはスタスタとバスルームに消えていった。
…でも、師匠ほど食えない人はいないのに。
「…うみゃあ???」
むう、と考えて。それから、そうだ、朝ごはんを作らなきゃ、と思い当たった。

結局昨日、夜を食べ損ねたから、もうお腹が空いていて。
…そういえば、ゾロは昨日、食べれたのかなぁ?
ふ、と流しを見ると。深めのディッシュ・ボールが皿立てに置いてあった。
ちゃんと洗ってあるのが、なんだか、ジョーンみたいで。
少し嬉しくなった。



おれは。
朝っぱらからヒトの顔をみるのは好きじゃあ、ない。はずだった。それはダレであっても同じことで。
むしろ、疎ましいから避けていたのだが。どうやら、また例外が起こった。
消えた記憶だか感情だかの残りか?不快感はゼロで。むしろ朝から上機嫌だったといえる。
この、強情な歌いネコは不可思議なヤツだ。警戒心がゼロで、作為がなにも感じられない。
だからか?

さっさとシャワーを浴びて、出てきてみれば朝食は出来上がっていた。
香ばしい匂いが漂った。スクランブルエッグとベーコン、トーストにコーヒー、リンゴ。
きちん、と小卓に並べられ、平穏な朝の代名詞だと思った。
ああ、あのときみたいだな、と。なにかがざわついた。
朝からスクランブルエッグの固さについて、ぎゃあぎゃあと。朝食のテーブルで騒いでいたような気がする、ずっと昔。

そんな思考を追いやり、目の前の皿を片付けにかかる。
ちら、と。食事を始める前にまっさおな目が見てきた。
大げさに十字を切った。
「あンたに感謝する。」
アーメン。
そうしたならば、満面の笑み。
ああ、コイツハ。とてもとても大事に育てられてきたに違いない、そんなことを確信した。
頬が。わずかに色を乗せていた。フウン?いまになって気が付いた。
小さく祈りを口の中で唱えてから、ゆっくりと十字を切っていた。

あンたは、「あまくてやわらかくていいもの」だけで出来てるんだな、と。不意に思った。稚拙な語彙と思考。
おそらく「ジョーン」のモノ。おれが消しちまったガキの頃の自分。
ならば、ガキのおれが心底惚れ込んだらしいコイツを。さっさとあるべきところに戻してやろうじゃないか。なあ?
ルーティーンだったらしい、食後の片付けを手伝いながら。横に立ったままで言った。
謝礼を振り込ませるからあンたのバンクアカウントを教えろ、と。できれば、オンラインで新規に口座を開いて
くれればもっと助かる、とも追加した。
「謝礼なんか、イラナイ」
「そうもいかない、受け取れ」
「だって、オレがアナタを轢いちゃったんだし」
「けれどあンたはソレを連れて帰ったろう」
「お金なんて、いらない。そもそもこうなったの、オレのせいだし」
覚えている、おれはコイツにたしか銃を突きつけた。

最後の皿を拭き終えて、ラックに置いた。

「殺されかけたのにか?」
「オレだって、アナタを殺しかけたよ?」
少しばかり、そう言ったコイツは苦笑を浮かべていた。
「だから、イーヴンじゃない」
平行線だ、クソ。
「そこから後の問題だ。」
「どうして?いいじゃない。オレは、いらない。困ってないし」
シンクから離れた。一旦話しを変えるか。

「サンジ、」
「なぁに?」
「レジデンスまではどれくらい掛かるんだ」
「ピーチ・スプリングスまで?」
「ああ、」
「今日みたいな天気なら、1時間はかからないよ?」
「西に向かうのか?」
こんなことに誰かの手を煩わせるもの癪だが。少しばかりの手間だ、ライセンスのIDナンヴァ―から割り出して口座は
調べさせよう。

「東。南東に下らないと」
「なるほど」
くい、とまだ傍にあった腕を引いた。
「…?」
「じゃあ、おれはあンたにどうやって感謝すればいい?」
「…オレは、もう、イッパイ貰ったよ?」
―――なにを、と。訪ねてみた。
「一緒にゴハン食べてもらったり。寝ている時の、暖かい腕とか。微笑み」
驚いた。
「―――驚かせるなよ、」
「…どうして、驚くの?」
頬に口付けた。衝動。
ほんとうにわけがわからない、という顔をしていた。
「オレ、ほんとうに嬉しかったよ?」
「―――そうか、」
「うん」
抱きしめた。
ふんわりと、笑ったらしい気配が届いた。

「なあ、サンジ。じゃあ、ついでだ。クルマ貸せ」
耳もとに告げることになった。
「…アナタ、行って、戻ってこれる?」
「―――ああ」
戻りはしない。
「…そう」
ぎゅう、と。まるでコドモの拙さで抱きついてこられた。
「…オレ、アナタが戻ってこなかったら、ここで死ぬね」
「サン……」

なんだと?おまえは何を言う?
ぼんやりと。肩口。頬を寄せて擦りつけてくる。
穏やかな仕種と、口調で。いま、自分が何を言ったのかわかっているのか?
穏やかなだけ、真意なのが判る。ちゃちな脅しならば、ハナでわらって捨てていくが。
コレは、脅しでも何でもなく。ましておれを引き止めるためなどでもなく。
ただ、じぶんにとっての真実を言っているだけなのだと、わかる。
わからないのは、その理由だ。
なぜ偶々拾った「ガキ」が帰るからといって、おまえがいなくならなくてはいけない?
サンジ?と。呼びかけた自分の声が、酷くウロタエテイルのを感じた。

「んん?」
気の抜けるほど、やわらかな笑み。
「なぜだ?」
「…なにが?」
「なぜ、そこまで言う?」
「オレ、そんなにすごいこと、言ったの?」
波立った。凪いでいた感情が。
「戻らなければ、死ぬと言った」
「だって。在りえないことじゃないでしょう?」
穏やかな声だ。
「なぜ、―――」
言葉を続けることが出来なくなった。おれは、あンたにとってただの他人だろうに。
そうだろう?

「オレはね?それでもいいんだ。それが、オレの運命なら」
生きているものは、いつかは死ぬんだし、と。静かに続けている。
だから、おれが言っているのはソレじゃないんだよ。そんなことが聞きたいわけじゃあない、
けれど同時に聞きたくもなかった。
「バカか、あンたは。」
口付けた。
「…んん…」
黙れよ、頼むから。

「おれが訊いているのはそんなことじゃない、」
「…なにを訊いているの?」
もういちど、かるく押し当てた。下唇をやんわりと食む。
発作だろうと衝動だろうとどうでもいい。
肩が、ふる、と震えたのが伝わった、掌。
「だから、なぜそれにおれが関係あるのかわからないんだよ」
答えを出される前に、舌先で唇をたどった。まだ冷たいそれ。
熱が漸く移ったのを確かめてから、薄く距離を持たせた。
口が開かれる。僅かにもれる吐息。

「スキダカラ、じゃダメ…?」
ああ、チクショウ。
その程度の感情で、イノチを明け渡してるんじゃネエよ。バカか、てめえは。
「クソがつくほどバカヤロウだな、あンたは」
「…?」
噛み付くように。一度だけ唇を重ねた。腕の中のバカの身体が。ひくん、と揺れた。
痛みとの境界近くまで。舌を捕えて歯を立てた。
「…ッ」
「わかったよ。あンたも来い。」
「…うん」
とす、と。金色の頭を軽く掌で叩いた。
一度瞬きをしてから、サンジが笑った。コイツハ、オオバカだ。




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