着替えを終えると。
買い揃えてあった服に、ゾロが着替えてバスルームから出てきた。
黒の、少し色の擦れた…ついでに裾も擦れたデニムのボトム。上はグレイのTシャツ。
薄いアイボリーのシャツを羽織っていて、ネーム・タグとクロスが空いたスペースで揺れる。
ジョーンが着ている時は、なんとなくヤンチャなイメージがあったのに。ゾロが着ると、どこかシャープ。
それがそのまま、二人の差なのだろう。そんなことを仄かに思った。
「外、日差しが強いから。眼鏡とキャップが要るよ?」
あ、そうだ。そのマエに。
「あと、日焼け止めも塗ってね」
うーん、ジョーンだとそのまま塗りに行ってあげられたのに。どうしてだろう、なんとなく、拒まれる気がする。
サングラスだけでイイ、なんて言ってるけど。頭皮だって日に焼けるけど、いいのかな?
しぶしぶ、というカンジで、ゾロが日焼け止めのボトルを受け取って。適当に伸ばし始めた。顔に。
「…それじゃあ、ムラができちゃうよ?貸して」
スプレーのものがあるだろう、とか言ってるけど。…そんなのあるんだ?
「眼、閉じて」
「大丈夫」
そう低い声が言った。…警戒心、強いなぁ。
「パンダにならないでね?折角ハンサムなんだし」
なんだか可笑しくて、クスクス笑ったら。
「ああ、ご配慮感謝するよ、」
ぺた、とまだ日焼け止めがいっぱいついた手が、頬に当てられた。
…なんだか、面白い、ゾロって。
オレに触れられるのは嫌でも、オレに触れるのはオッケイなんだ?
なんて思っていたら。
おもいっきり頬を抓られた。
「いひゃいよ、ひょろ」
に、ってそれは嬉しそうに笑ったゾロに。とりあえず、痛いと訴えてみる。
…喋っている最中のほうが、もっと痛いんだけど…。むう。
ぱ、と手が離れて。
「行くぞ、」
思わず涙が浮かんでしまった目で見上げたら。
声をかけてから、背中を向ける瞬間。目許がほんの少し、笑った。
…あれ?なんだろう?…なんでオレ、嬉しいんだろう?
トクトク鳴り始めた心臓。
携帯電話とサイフを引っつかんで、テンガロンを被って。ゾロの後を追った。
外は相変わらずの好天気。
雨はまだ、降らない。
「キィ貸してくれ」
「アナタが運転するの?」
「ああ。あンたに任せてコヨーテでも轢かれたらコトだ」
「コヨーテは、キャニオンの中腹ぐらいまでいかないと、いないよう」
「じゃあ、じじいだ。」
笑って車のキィを放った。
「こんなトコに、フツウの人は、来ないもん」
玄関のドアに鍵をかけている間に。キィをキャッチしたゾロは、さっさと車に乗り込んでいた。
何をそんなに急いでるんだろう?
音を立ててドアを閉めながら。
「おれはイカレタシャーマンにふざけた山の中であったぞ」
そう言ってきた。
「…もしかして、背の小さい人?」
「ああ、小さいくせにクソみたいにフザケタじじいだ」
「すばしこくて、きびきびしてる?」
乗り込んで、シートベルトを締めながら訊いた。
ふい、とマジメな顔をしたゾロが、こちらを見た。
エンジンがきれいにかかった音がした。
不意に、ゾロが笑って。
ギャルルル、と車がスタートした。
「うわ!」
アタ。舌噛んじゃったよ〜。
すごいスピード。砂煙が舞うのを、楽しんでるみたいだ。
オレの声に、ゾロはまた笑って。ガン、とアクセルに足を踏み込んだ。
「と、りあえず、あの大き、な岩を目指、して走って、ね」
「ああ、」
指で目印となっている場所を示しながら、どうにかそれだけを口にした。
スプリングは硬めなのに、それでもバウンバウン上下する。
ゾロがにぃって笑ったのが見えた。
運転、スキみたいだ。ああ、でもこれじゃあ。おしゃべりも何もできない。
口を開いたら即座に。頬の内っかわか、舌を噛みそうだし。
あ、なんか血の味がしてる。さっき噛んだトコだ。
あちゃあ、これじゃあ、味見するとき。きっとヒリヒリしちゃうだろうなぁ…?
そんなことを漠然と思っている内に、ピーチスプリングスに向かう道路に乗った。
「この道路を真っ直ぐね?」
なんだか跳ねる思考のままに、告げる。ふいにゾロの視線がこっちを見たのに気付いた。
なんだか少し苦い顔をしている。
「切ったか?」
「さっき、噛んだ」
すこし、スピードが落とされた。
「でも、もう血は出てないみたい」
うん、もう味しないよね?…うん、してない。ああでも。喋ろうとすると、少しツキンとする。
…あんまり喋るなっていう宣託かなぁ?
ふいに、クラッチを握っていた手が伸ばされて。唇を、親指が撫でた。
視線は、前を向きっぱなしだけど。
…んん?唇が、すこしくすぐったい。
だけど…んん?
なんで腰がゾワゾワするんだろう?
しばらく走っていると。
砂漠を突っ切るようにあった道路の先に、建物が見えてくる。低い建物の影。
「センターの駐車場に入れてね?ビジターじゃなくて、レジデントって、書いてある方」
「わかった、」
…自分では通いなれた道だけれど。誰か他の人の運転で来るのは、なんだか不思議な気分。
あ、そうだ。ジェイクの奥さんのシェリル。もう病院に入ったかなぁ?この間の話では、そろそろ
予定日だって言ってたけど。
車はゆっくりとピーチ・スプリングスの町の中に進んでいって。ちゃんとセンターのパーキングに運ばれた。
…そうか。ゾロはオトナなんだよねぇ?一人でも、大丈夫だよね。
「ねぇ、ゾロ。オレさ、知り合いの人を見舞いに、ホスピタルに寄ってくるけど。アナタはどうする?」
知らない他人を見舞うのは、きっとカレには苦痛だろうと思って訊くと。
「ここいらで、デンワをいれる。」
やっぱり帰る算段をしているのかな?…いい加減、5日目だし。ご家族の人も、心配しているよねぇ。
そんなことを思っていたら、ああ、そうだ、って。ゾロが言った。
「我が寛容なるサンジ。哀れなおれにタバコ代とクォーター。ツケにしておいてくれないか?」
ゾロがにかり、と笑っていた。
「じゃあ、10ドル渡しておくね?適当に、どこかで水か何か買って飲んでね。熱中症になっちゃうから」
「イエス、マアム。」
財布の中から、10ドルを一枚出して、渡した。
「オレはオトコだってば!」
笑うと。
「ああ、そこいらのホンモノよりキレイだけどな?」
…びっくり。あれ、ジョーンも同じこと、言ってたよねぇ???
ゾロはさっさと車から降りていってしまった。
車の鍵…まぁ、いいか。いや、よくないんだけど。…でも。うん。いいや、預けておこう。
「それじゃあ、また後で、この辺りで会おうね!」
狭い町だから、迷いようがないし。またちゃんと、会えると信じてるし。と思ったら。
放物線を描いて、キラキラのそれが投げ返された。
車のキィ。
…もしかしたら。このまま、もう会えなくなるのかなぁ?
行ってしまうのは、仕方が無いことだけれど。
せめて、サヨナラは言いたいけど。
…うあ。
ナシ。
考えるのやめよう。涙が出そうだ。
プルプルと頭を振って、気持ちを入れ替えた。
シェリル。今病院にいるとしたら。もう出産間際か、出産後だよねぇ。
何がいるかなぁ?何が欲しいかなぁ?
ジンジャエールでも買っていこう。お祝いは、また後日、落ち着いたら贈ろう。
今貰っても、困るだろうし。
ホスピタルに向かう前に。町の小さなストアに足を向けた。
顔馴染の店主が、にこやかに手を振ってきたのに、笑みを返して。
商品が並んでいる場所に、意識を集中させた。
ゾロを、思い出さないように。
クルマから降りるまでは、一旦別れた後にペルに連絡を入れそのまま、提示されるミーティング
ポイントまで行くつもりだった。現に、キィは渡さなかった。けれど、背中に追いついた声に。
「それじゃあまたあとで。」
僅かに弾んでいたソレ。
けれど、サンジはバカだが。敏い。
続けられた声が、ほんの少しばかり揺れた。疑いにではなく、多分。寂しさのようなものに。
クソ、が。おれの心境だった。
だから、キィを投げ返した。せめてもの、ディポジット。
泣くなよ、ほら。おれは戻るかもしれないだろう?気休めの保証だ。
キィなどなくても、エンジンはかけられる。
どちらが酷かなど、おれの知ったことじゃあない。
埃っぽい通りに、サングラス越しでも白みの強すぎる陽射しがおちている。
ラッキーなことに、すぐにリカーストアは見つかった。
店のドアを開ければ絵に描いたような、カウンター越しに商品が並び髪の白くなったネィティブの男が座っていた。
ちらりと雷魚のじーさんが頭を掠めた。
「タバコをくれ」
「ああ、どれにする」
無愛想この上ないな、このじーさんも。
「あンたの後ろの。ああ、だから。その隣だよ」
じーさんは、白地に金のパッケージを寄越しやがった。
ライトじゃネエんだが。おれが欲しいのは。
けど、おれは。雷魚のじじいの一件で、このじじい連中が恐ろしく頑固な事もわかっている。
客なんざ、屁でもねえんだろう。
まァ、それも悪くないけどな、じっさい。おもしれえ。
赤パッケージを横目に、勘定を済ませた。
「なあ、この辺りでデンワ、ないか?」
「うちのを使えばいい。あそこだ、」
じーさんが店の奥を指差した。
「外で、使いたいんだが」
「ない。」
はァ?!
一緒に買ったライターで思わずタバコに火を点けた。
「この通りには、使える電話は外には無い」
「そうか。じゃあ、じーさん。コレもくれ」
ひどく旧式のフリーザーからミネラルウォーターを引き出した。
「探すか」
「ああ、悪いか」
「ならば、もうひとつはオマエにやろう」
「・・・アリガトよ」
ネィティブのじじい共は。実におもしれえな。
店を出かけたなら、また。山道で聞いたのと同じ単語が背中にぶつかった。
―――なんだ?
振り向いたなら。じーさんが至極満足そうに頷いてやがった。
ひら、と手を振って。また日差しの中に踏み出した。
が、ない。
確かに、「使える」デンワが外には無かった。
延々と、広くも無い町の通りに時折思い出したように見える電話のマークも。
ケーブルが切れてるわ、ダイヤルは無いわ、の酷い有様だ。まだNYの方がマトモだ。
結局、パーキングの傍にあったデンワだけが、使える代物だった、ってわけだ。
早くしないと、ネコにみつかるじゃないか。自分のバカバカしい思いつきにわらった。
ペルの携帯に自動転送されるナンバー、それをクォーターを落として1コール。
要はそれだけで足りる。後は、ここを出るだけだ。
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