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 そういえばあなたは、と。ペルの声がまた低くなっていた。
 目をあわせたままコトバの続きを聞く。
 「父上がなぜ後を継がれたかご存知ですか、」
 知らない、と答えた。本人に訊くことは思いつきもしなかったし、なによりおれが気がつけばアレは今の位置にいたわけだ。
 
 「先代のことは覚えてらっしゃいますか、お祖父様ですが」
 ひどく朧な輪郭でしかない、低い張りのある声だけが記憶の底に辛うじて引っかかる程度だ。
 「声だけな、」
 「なるほど。子供が二人いらっしゃいましてね、兄妹です」
 「女の方がハハオヤか」
 「ええ。家を捨てて出ていかれました、美しい方でしたよ」
 伸ばした手を、思い出す。そして、葬儀の日の黒いレース越しに手を取ろうとしたソレを払い落としていた自分。
 
 「先代は、ご子息よりあなたの父上を後継に、と考えておいででした」
 声に意識が引き戻される。
 要となる実子が出奔した後も変わらずに、と。昔語りと情報の中間を声が齎してくる。
 
 「親父が義兄を殺したとでも?」
 当たり前の定石だ、家督争い。くだらねぇな。
 「いいえ、」
 なにをばかな、と厭きれた風にペルが片眉を引き上げた。
 「あなたの叔父上は、ご自分から生業へ一切関わろうとなさいませんでした」
 「フン?」
 「無駄な足掻きでしたけれどもね」
 
 ふ、と。
 物柔らかな声と、頭に落ちてきた手を思い出した。
 まだガキの頃に、何度か―――
 その手を取って、見上げ。ガキがわらっていた、……"トーニオ叔父さん"
 カオが黒く塗り潰された男の姿が窓を背に。
 ―――あぁ、こいつか?ちびと一緒に還ってきた記憶の断片。
 
 黙り込んだおれを目を逸らさずに見つめていた鳶色、その目にまっすぐにコトバを返す。
 「"トーニオ"?」
 「ええ、アントーニオ様です」
 すう、と。鋼が横切る程度には親しげな笑みがペルに浮かぶ。
 「あなたがまだほんの子供の頃に、亡くなられました」
 
 実しやかに、先代とあなたの父上に殺されたのだと噂されましたが、誰の手も下されてはいません、そう続けていた。
 「ですが、時期が悪かった。その半月ほど後にガリマルディの後継ぎも"事故"で亡くなられた」
 ―――――エース。
 
 「ゾロ、」
 タバコを取りだしかけた動作を嗜める口調で、ペルが言葉を綴っていた。
 「あなたには、従弟がいらっしゃる。ご存知ですか」
 「初耳だな、」
 「酷く薄情な方だ。何度かお会いになっていますよ、子供の頃に」
 記憶をすっかり押し込めていたことを百も承知の子守りのせりふだ、これが。
 「おれの従弟はあのバカだけだろうに」
 
 「アントーニオ様に、私生児がおありだったのですよ。内縁の奥方がひっそりと育てておいででした」
 「フン?」
 「トマソ、と仰いました」
 
 さっぱり、記憶に引っかかるものが無い。
 「しらねぇよ」
 「まぁ、あなたはトマ、と呼んでおいででしたが。ご本人が嫌がられるのを意にも介さずに」
 「だから、ガキのしたことなんざ関係ないだろう」
 「さあ?三つ子の魂百まで、とオリエントでは言いますよ?」
 やんわり、と浮かべられた笑みがまるっきり。―――あぁ、てめえも悪魔の仲間だな、決まりだ。
 
 「愚か者が裸の王を謀っておりましてね、厄介です」
 ―――本題か。
 だけどな、ペル。
 その"トマ"とかいうおれの従弟だか何者だか。
 さっぱり、浮かんでこねぇぜ?
 
 
 
 
 昼前に帰宅したリトル・ベアが、
 「必要な荷物を取りに帰りなさい」
 と言ったので。
 買ってきてくれていたデリをそのまま持って、一緒に砂漠の家に向かった。
 
 初めて乗る、リトル・ベアが運転する車。
 リカルドのフォードより古い、GMCシエラ・クラシック7.4。
 薄いクリームが日に焼けて更に淡い色になった、古い型のピックアップだ。
 
 「…すっごい、揺れるねえ」
 砂漠を横切りながら、ぽつりと漏らすと。運転しながら兄弟子が笑った。
 「サスペンションを弄っているから、まだマシな方だ」
 革のシートも、やっぱり固くて。
 「リトル・ベア…この車って、乗って長いの?」
 思わずカオを顰めて訊いてみた。
 
 「初めて買った中古車を、そのまま乗っている」
 「ふぅん……あ、ラジオ…すっごい。AM局しかない…」
 茶色で統一されたパネルを見遣る。
 メーターが一個ずつ埋まっていて、なんだかジャックおじさんのチェロキーチーフを思い出す。
 
 「この車くらい古いと、メンテナンスが楽だよ」
 リトル・ベアが笑った。
 「結構無茶させても動くんだよ」
 「ふぅん……古いって、この車、いつの?」
 「1971年型だ」
 「………オレ、生まれてないや」
 
 車の中でブラウンバッグを開けた。
 中にはサンドウィッチとスープ。
 真四角に近いフロントウィンドウの前に広がる砂漠を見詰めながら、それらをパクついた。
 
 「…ジェイミーの店のだ、コレ」
 なんとなく懐かしい味。
 久し振りに食べるんだよねえ。
 「ジェイミーのサンドウィッチは、それこそサンジが生まれる前から味が変わらない」
 くくっと笑ったリトル・ベアを見上げた。
 「リトル・ベアは今から18年前、何をしてました?」
 
 
 
 
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