「オシートが来ているのか?」
「ええ」
ひら、とペルが片手を振った。飛んできた、ということらしい仕種だ。

卓から立ち上がった。どこまで行けばいい、と言えば。
「エレヴェータまで」
「―――ア?」
言葉を省くにも程があるぞ、おまえ。
「昇降機まで」
「―――随分ご機嫌麗しいな?オマエ」
カオをわざと覗き込むようにすれば、すい、と目が細められた。
「下までもう来ています、降りましょう」
―――どこの小熊も動きは素早い、ってわけか。
エレヴェータが指したのは5階だった。


「ミ・ロード、やはり無事だったか」
灯かりの付けられたフロアの中央に立つ男が言った。歌うような抑揚と、光を弾く眼とがバランスを保てずにいるのは
相変わらず、か。
「あぁ、生憎だったな」

くく、と眼を細めてオシートがわらった。
「オシートのコンパ―ドレは言っていた、」
あれは唯の噂だと。ミ・ロード、あなたの死体をみるまでは信じないとね、と続けられ。ペルが後ろで、
なるほど、実の父親よりも信頼されておられますね、ゾロ。そう、おれにだけ伝わる程度、それでもこの上もなく嫌味な
口調で言って寄越していた。

「まだ生きてる、契約も同様か?」
「シ、ミ・ロード。友情もそのままだ」
「それは不要だ」

くう、と笑みの形に口元が吊上がり。
オシートがペルに眼差しを流した。
「本物だ、間違いない」
「当たり前でしょうに、」

す、と右手がおれのまえに伸ばされ。
開かされた掌には大振りなリングが一つあった。嵌め込まれた色石が深い赤をしていた。
「ミ・ロード、見覚えは」
ピジョン・ブラッド、太い指に嵌められていたソレは見覚えあるどころか……
「ある、」
"幹部連中"の一人。

「いまごろは、バンビーノと一緒に土の下にいる」
「ハヴァスパイにいた奴らとか―――」
「シ、ミ・ロード」
裏切り者は南のヴァカンスには気をつけた方が良い、そう付け足していた。

「小物だな、」
「オシートの国には面白い言い方がある。お聞きになりたいか?」
「―――や、いい。それよりも、本題に入ろうぜ」
くくッと笑い声がおこり、また深い色をした目の光と反射作用を起こしていた。

「奥に、」
ペルが促し。
オシートが身体を半分引くようにしながら、「お先に、」おれに先に歩けと暗に示す。
ただの小熊じゃないのは分かっていたが。
「トモダチを背中から撃ったりはしないぞ」
に、とオシートがわらった。
「ミ・ロード、オシートはあなたのライト・ハンド・マンで良い」

「その方が贅沢ってもんだぜ」
後ろで、ペルがでかいため息をついていやがるのが聞こえた。
「仲がよろしいのはもう分かりましたから、冗談も程ほどに」
スペイン語だかラテン語だか。祈りのフレーズがオシートから聞こえた。

「いまのは、ミ・ロード。エクソシズムの一節だ」
「あとで教えろ。おれも使えそうだ」
「シ。セニョール、aguila(鷲)は怖ろしいな」
「まったくだ」



「それじゃあ、師匠、リトル・ベア、リカルド。オヤスミナサイ」
「良い夢をな、キャット!オオカミを呼ぶでないぞ」
にかあ、と笑った師匠の横で、リカルドがにっこりと笑った。
「良い夢を」
「ありがとう」

リトル・ベアがひら、と手を振って。
ひら、と手を振り返してから、手にしていたものを抱え直してベッドルームへと向かった。
手の中のもの。
昼間リカルドに貰ったもの。
抱き枕。
ながっぽそいクッションで、うねうねとヘビのような形を僅かにしている。
ながっぽそい割には、厚みがあって――――――まあ、ゾロみたいじゃないけど。
ゾロの足みたい…かな?

広いベッドに横になって、リネンの中で枕を抱える。
足をくう、と回して、横向きで目を閉じる。
―――――――ゾロじゃないし、比べ物にはならないけど。でも。
「……うううん……ま、いっかぁ…」
妙に安心する…かもしれない。

「ゾォロ、どうしてるのかなぁ…」
抱き枕に頬を寄せて、一つ深い息。
「ペルさんとケンカしてるのかなぁ…」
ペルさん、ペルさん…ペル、さん。
「オレの絵、……返してもらえるのかなぁ…」

失くしてしまった、ジョーンの描いた絵。
一緒に泳ぎに行った、コロラド川のほとり。
ケラケラと笑って、楽しそうだった。
ジョーンがオトナのゾロに戻る直前。
「ジョーン…、」

にこお、と笑った顔を思い出した。
じぃっと真剣な眼差しで見詰めてきたときのことも。
サンジ、って。柔らかなトーンで、甘い低い声で呼んでくれた時のことも。
バーガー・キングでジャンクフード、狭いテーブルを挟んで一緒に食べたことも。

塩の付いた指先。
アイスクリーム。
触れてくる指先は、やさしくて――――――

「――――――オレ、好きになったよ、ジョーン」
ゾロのこと。
約束したみたいに。
それ以上の深さで。

「愛してるんだよ、ジョーン」
柔らかな手触りのクッションに頬を寄せて目を瞑る。
「ゾロも、オレを愛してくれているんだよ、ジョーン……アナタ、それを知ったらナンテ言うかなぁ?」

愛してる、って告げてくれたのは、ジョーンが先。
ゾロの容物、それでもすこしずつ違っている。

「――――――後悔なんて、一瞬もしたことないよ。アナタの"本当"を知っても」
ガンに曝される、なんてことがあっても。
――――――理不尽な目にあっても。
「ゾロを、ゾロの中にいるアナタを、ジョーン。オレは心の底から愛してるよ」

抱きしめてくれた腕を思い出す。
柔らかな口付け。
辿った指先。
ジョーンの。
…ゾロの。

「――――――絵、返してもらえないかもしれない、」
溜め息。
泣きたくなる、少しだけ。
「たくさんの想いを、込めてくれたのに」
もう二度と、見ることが出来ないかもしれない。

「ゴメンね、ジョーン」
もう、毎日。アナタのことを思い出せない。
想いは続いていても。
ゾロの中のジョーンを含めて。全身全霊で愛しているけれど。

「でも絶対、忘れないから」
オレを最初に好きになってくれて。
愛してくれて。
受け入れてくれたのは、アナタだから、ジョーン。

「――――早く、ゾロと一緒にオレの元へ帰ってきて」
抱きしめたいから。
愛したいから。
「―――――逢いたいよぅ…」




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