「シンギン・キャット、」
「―――ハイ?」
「わしに目配せをしてくるそこの―――」
―――目配せ???
ひょいっと肩越しを振り返る。
―――うん?
「陽気な亡者はおまえの知り合いか、」
呆れた風な師匠の声。
「んん?――――あ、」
エース、と。
音に出さずに霊を呼ぶ。
すう、と淡い色身だけだったモノに容が宿る。
「親指を立てておるな」
「ほんと、ですね、」
にこやかに笑いかけてくる、雀斑を散らかした顔。
黒い髪。
「―――あ、」
ふ、と思い当たる。
「それってゾロの―――」
無事を知らせる、サインだ…。
くしゃん、と雀斑が歪むくらいに大きな笑み。
口が、「バイ、」そう言う様に動いて。
それからすうう、と空気に溶けていった。
僅かなイオンの匂いと…日向の匂いが残る。
きゅう、と胸が痛くなった。
「珍しいの、」
師匠を振り返る。
苦笑している師匠の姿が涙にぼやける。
リトル・ベアは、気にした風もなく、カタカタとリズミカルにキィボードを叩いていた。
リカルドが、少し目を開いてこちらを見ていた。
「あれが本物だな、」
振り返らずに、リトル・ベアが笑った。
「彼のようなものにしては、邪気が無いのぅ」
「あれが狼のメントゥですよ、グレート・サンダー・フィッシュ」
ゾロが愛した、エース。
ゾロを愛した年上の血縁者。
堪らずに、涙が零れる。
エースの想いに、少しだけ触れた。
愛情のカケラ。
「―――ふむ、」
師匠の視線がまた戻される。
笑いかけて、涙をぬぐう。
「シンギン・キャット、」
「―――ハイ、」
師匠のまじめな声に、揺れる声で応える。
「どうせ嫁にやるのならあの者へが良かったの」
首を横に振る。
笑いがこみ上げてくる、涙と共に。
「イイエ、師匠」
空を仰いで言葉にする。
「オレは、ゾロを愛しているんです」
こんなにも愛されているあのオトコを。
「む…、あるいは、」
「あるいは…?」
リカルドが立ち上がって、部屋から出て行った。
カタカタという音が止むことはない。
ポン、と師匠がパイプをテーブルに打ち付ける音が聞こえた。
掌で涙を払い落とす。
「あの者がおったならば、オオカミはここへは来ぬか」
ハッハッハ、と笑う師匠に笑って返す。
「"There is no if, but just is"」
この世にもしもはないのです、ただあるだけ、と。
先人が残した言葉。
リカルドが戻ってきた。
ばさり、と大きなタオルを頭に乗せられる。
白いコットンの向こう、にいいい、と笑う師匠の笑顔が見えた。
また笑って涙を零す。
「良い弟子じゃ」
どうやらそれは兄弟子に言っているようだった。
リトル・ベアが、タイプするのをやめて、こちらに向き直った。
「だからこそ、メディスンマンにならない子供を引き受けなさったんでしょうが」
笑っている低い声。
リカルドも笑った。
「まさかオオカミにやるために育てるとはのう」
笑っている師匠に、リトル・ベアが肩を竦めた。
「元々がスキディ・ポーニィの預かりものですからね、」
「ふむ、輪は繋がる運命であるか」
とん、と師匠がまたパイプを打った。
「偉大なる霊の導きに感謝を、」
リトル・ベアが祈りを捧げた。
師匠も口で祈りの言葉を呟いた。
リカルドが、パチン、とカメラを閉じていた。
「サァンジ、写真を撮ってもいいかい?グレート・サンダー・フィッシュ、アルトゥロも、」
いまならとてもいい空気が写し取れる、そう言ってリカルドがまた笑った。
「こんな泣き濡れた顔なのに、」
笑って文句を言うと、それがいいんだ、と言い返された。
「そうでしょう、グレート・サンダー・フィッシュ?」
「知らぬな」
に、っと笑った師匠に、オレはわかっていますよ、って顔をリカルドがして笑った。
「オオカミに聞け、戻ったならば」
すぱーっと煙が師匠の口から吐き出された。
「ははっ、」
笑ってリカルドがシャッタを切った。
オレに向かって。
師匠に向かって。
リトル・ベアに向かって。
「おまえは、」
1回押すごとに、何度か連続してシャッター音がする。
ストロボ。
ファインダァ越しに問いかけられたリカルドが、まだ撮り続けながら、なんですか、と応える。
「ソレを持って行くか」
「カメラ?そうですよ、」
「―――ふむ」
トン、と何度か軽くパイプが乾いた掌に打ちつけられる音がする。
その間にも、いくつものシャッター音。
リトル・ベアは、そ知らぬ顔でデスクトップのモニタに目線を据えたままだ。
タオルで顔を拭いてから、それをそっとテーブルに置く。
ヒラっとリカルドが手指を動かした。
思わず笑いかけると、カメラ越しにリカルドが笑った。
シャッター音。
ストロボ。
手を差し出すと、リカルドがカメラを下ろし、オレの手の中に置いた。
重たいソレを構えて、少し笑顔を浮かべたままのリカルドを写す。
連続するシャッター音が間近で聞こえる。
そして、リカルドの声。
「オレには、世界との距離が必要みたいなんです、」
師匠に向けられた言葉。
空中から見下ろすくらいの距離が、そう言って、リカルドが笑った。
「アレがオレの重たい羽だと知りました」
師匠に語らいかけるリカルドを写し取る。
「知っておるわ。わしが名付けた」
に、と笑った師匠の前で、リカルドが膝を着いた。
「今はあなたに感謝を、グレート・サンダー・フィッシュ」
リトル・ベアは相変わらずモニタとにらみっこだ。
けれど、背中が少し笑っているように見えた。
だから、それもフィルムに焼き付ける。
オレに写し取れている腕があるといいけど…。
「偉大なる霊とあなたの導きに感謝を、」
ワラパイ語でリカルドが呟いた。
そこには、ワラパイ・インディアンであるaguila blanca、ホワイト・イーグルが居た。
インディアンになるのに必要なのは、心と祈り続ける気持ちを持つことだ、とずいぶんと前にジャックおじさんに教わった。
リカルドがリカルドであろうと、アグィラ・ブランカであろうと。
いまの気持ちがある限り、彼は永遠にインディアンなのだろう。
カメラを置いて、偉大なる霊に感謝を捧げる。
―――アナタの導きを、加護を、祝福を、感謝いたします。
オレにたくさんの愛する人と、愛してくれる人たちとがいることを。
それを気づかせてくれる機会をくれたことを。
ゾロの運命の輪を続かせていてくれたことを。
我が侭で、子供で、迷っている時もいつも、オレのために、道を用意してくださっていたことを。
泣いてばかりいては、道は見えない。
泣くことも、ひとつの選択肢だけれども。
目の前に道は続く限り、
オレも、ゾロも、みんなも―――歩いていくだけなのだから。
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