11:00pm Sunday, August 26
蒼が、窓の外へ流れた。
自分が逃げると思うか、と退屈さを滲ませた声が訊いてきた。

ハ、まさかな。そこまでオマエが生きたがっているとも思えない。だから、返事は否、だった。そうしたなら初めて、
トマが薄く笑みを浮かべた。
すい、と細長い指先が窓の外を指した。
「対岸が見たい」

薄い服越し、銃器の類はゼロなことは明白過ぎた。そもそも、コレが銃を好んで扱うとは思えない。
ドアの向こうで、ペルが全神経を張り詰めているのがわかった。

ふ、と。
常ならば在り得ない気まぐれが起こった。好きにさせてやろう、とそう思った。
―――結果に変わりがないならば。

「どうぞ、」
答えれば。すう、とトマが首を傾けた。願いがすんなりと通ったことに僅かな驚きの表現。
けれどすぐに慣れた風に、外へと繋がる窓を押し開いていた。

夜気と一緒に、ミドリの香りと。波が砂を洗う音が部屋に入り込んできた。
「おれが先にいく、」
感情の抜け落ちた声が告げて、姿が暗がりに溶け込む。
さり、と足元で細かく砕かれた白石が音をたて、淡く浮かび上がる細い道が庭を抜けて続いていた。
毎朝のルーティンだったのか、慣れた足取りが暗がりを速度を速めも遅めもせずに進み。
デッド・マン・ウォーキング、それにしては随分と優雅な歩幅だ。

頭上で木の枝が擦れて、乾いた音を落とし。すい、と上を見上げていた。
「あの枝に、雛がいる」
「そうか、」
それ以外におれになにが言える?

寄せる波音が一層近付いた。
ふわり、と淡く宵に浮かび上がっていたシャツの背が微かに動いた。左腕が身体の前にまわる。
―――フン、ナイフ…?

ぱら、と何かが落とされた。
「餌」
ただ告げる声。
薬でも包むみたいに、きちんと真四角に折りこまれた小さなモノがあった。
草の間に。

用はもう無いな、とまた静まり返った声で誰にともなく呟き。く、と肩が揺れていた。――――わらってやがる。
風が吹いて、潮の香りが届いた。
「もう着く」
左腕が伸ばされ、その先に荒れた浜があった。

「眼でも閉じていようか」
―――コレは。
読めた。
「――――オマエ、」
おれをダシにしやがったな……?ただ、死ぬ理由が欲しかっただけだろうそれでバカ共と組んだか。
下手をしてもどうせ死ねるし、もし巧くいけばおれもいなくなって一石二鳥、かよ?
癪に障るヤツだな、オマエは。

トマが、すうっと眼差しをあわせてきた。
そして何も言わずに波際へと歩いていき始める。
おれから数メートル離れて、振り向いた。

「正解?」
言葉にだしてもいなかった思考の欠片の答えを捕まえてヤツが言ってきた。
眉間にあわせていた銃口の位置を下ろさずに、違うのか、と言った。
「違うよ。おれはおまえなどに殺されてやらない」

星の無い曇天、宵闇の中にぼうと淡い色が浮かぶ。髪は光を弾かずに夜に紛れて、ただ。
「理由がいるんだ、母が自死を禁じていたから」
声と。ぎらり、と。魚が跳ね上がったように鈍色の光が過ぎった。
喉元、いつのまにか握り締められたモノで。斜めに引かれる。

反射で一歩前に踏み出しかけ、蒼が睨みつけてきた。単純に、美しい色。燐光めいて純粋に正体も理由もいらない
マイナスの感情だけがぶつけられる。

よくもわるくも、ここまで混ざり気のない憎しみを向けられるのは初めてだった。
空気が、喉元を抜ける代わりに血の溢れる音がした。
自分の血に溺れ死ぬか、オマエ……?

膝をついた姿に近寄った。目線、光はそのままに、見上げてくる。
「ブラーヴォ、トマソ」
最後に、褒め言葉。心臓に一発。


波音が急に耳についた。




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