第12章
4:30 am Tuesday, August 28
目の前に、暗い大地が広がっていた。
岩と、木々の間から、闇が覆い尽くす世界を見ていた。
渓谷の、誰もいかない場所。
オレだけのパワースポット。
乗ってきたファルは、どこかへ消えていた。
明けない空、天井には星が溢れて。
まだ金に煌く月がぼんやりと浮かぶ中、指でペイントを顔に塗る。
革のボトム。
裸足のまま、両足首にホークベルを着ける。
上着はナシで、変わりにそこにもペイントを施す。
紋様。
虫の声が納まり始め、星が明るみを帯び始めた空に飲まれていく。
黄金の月は、白く薄くなり、
遠い地平線、そこからゆっくりと白味を帯び始める。
頭に羽飾りをゆっくりと結わえ付けて。
シャン、と足首を揺らして大地を起こす。
シャン、とホークベルが鳴るに連れて、風が目覚める。
シャン、と鈴が鳴って太陽を呼ぶ。
シャン、と音が響いて、心臓の音を手放した。
リズム。
古い歌を腹の底から導き出す。
明け始めた空、吐く息が白いのが見えるようになった。
ゆっくりと鈴音を滑り出させるのに乗って、世界が目覚める。
シャン、
シャン、
シャン、
鈴の音が響く。
チャントが意識を乗っ取る。
色が世界に溢れる。
新しいものの目覚め。
円を足で描く。
踏みしめる大地から力が立ち上る。
ドラムを鳴らすように大地を鳴らし、鈴の音で風を呼び起こす。
黄金の太陽の光、指先が弾く色味。
ヴィジョンが宿る。
大いなる霊、
宙と一体化する。
溢れ出す光はエネルギィ。
呑まれて、溶け合って、分かれて、融合。
シャンっ、と音が響く。
黎明、目覚めたティラワ(太陽)、
光に呑まれる―――――――。
ふ、と息を吐く。
大地に横たわっていた。
鳥のさえずりが聞こえる。
頭上、明け切った夏空。
雲が白かった。
足が痺れていた。
しばらくゴースト・ダンスを踊っていなかったから。
足の裏は砂や石に細かな傷を負わされ、熱を持っているみたいだ。
ゆっくりと起き上がると、首からかけていたシルヴァとタークォイスがカチ、と音を立てた。
羽飾りを外して、赤い砂の上に置く。
すっかり冷え切った身体。
ペイントが流れた跡があった。
手を伸ばして、ホークベルを外す、
シャン、と鳴る音に意識が僅かに浮上する。
ゆっくりと立ち上がって、アタリを見渡す。
遠くにファルの姿があった。
「――――」
チャントで声を出し切ったのか、僅かに空気が漏れた音しかしなかった。
仕方がない、歩くか。
足元。
月明かりに描いた紋様。
色砂が混ざり合っていた。
足で痕跡を消す。
じわ、と熱い足の裏を、ざりざり、と感触が僅かに伝わって。
はふ、と息を一つ吐いた。
久しぶりの正装、ポーニー族のメディスンマン。
ひとまず、描いたフェイス・ペイントを落とそうと、谷底の川を目指す。
携えたバンドル。
ベルと一緒に羽飾りも腰から下げて。
尾に着けたままだった真っ白の羽も、思い出して外す。
しばらく歩いていると、ファルがとことこと寄って来てくれた。
鞍をつけないままの馬。
鬣を握って、ゆっくりと飛び乗る。
首を撫でてやってから、水場に向かい始める。
頭上、遠く。
鉄製の鳥が羽ばたく音が聞こえた。
今日一番の観光客。
ファルをゆっくりと木々の間に進ませる。
ヴィジョンを見に、ゴースト・ダンスをしようと決めたのは、昨日の夜遅く。
ダディが送ってきたメッセージを読んでから。
ヘッダーナシのメッセージは、短かった。
『Dorlotez, je ne peux pas penser juste a que dire a vous.
Je crois que nous avons besoin de faire quelque parler serieux avant de decider n'importe quoi.』
"ベイビィ、いまのところ、なんて言っていいものやら思いつきません。
何かの結論に達する前に、じっくりと話し合いましょう。"
サイン、レターE。
それから、セトからのメッセージ。
『You'll always be my baby angel』
"オマエはいつだって、オレのかわいい天使チャンだよ。"
From your big brother, S.B.L―――オマエの兄貴、セト・ブロゥ・ラクロワ。
道は、決めている。
話し合うとすれば、ダディがオレをどういう関係で捉えておきたいのかということ。
ダディとマミィがオレのことを見放しても。
オレは両親を愛してる。
彼らの息子として生を受けたことを、感謝する。誇りに思う。
いままでは、ヒトとして生まれたことに大いなる不満を抱えていたけれど―――
オレのための道は、目の前にしっかりと広がっている。
迷う時も、疑う時も。
だから。
感謝をしたかった。
偉大なる霊と、この世界に。
太陽と共に祈りを捧げる。
鈴の音と共に大地に響き、山河を渡り。
どこまでも染み渡っていけるように、ステップを踏んだ。
現れたヴィジョンは一瞬。
蜘蛛の巣、大地、メディスン・ホイール。
"成るように成る"
自分を信じて進め。
オレのトーテム。
黄金色の巨大な獣。
大地を駆ける。
独りでも。
狼たちの群れは、遠くなっても。
大丈夫。
大丈夫。
川。
覗き込むと、ペイントに汚れた顔があった。
笑う。
ゾロは、きっと。
オレがこういうコトをするなんてこと、気にすることがないんだろう。
こんな化粧をしていたら、笑うかな。
びっくりするかな。
太陽を見上げる。
レジデントに戻る頃には昼近くになっているだろう。
ワラパイのみんなは、ポーニーのオレに驚くだろう。
彼らとは違う衣装。
胸の紋様も彼らには馴染みのないもの。
一番不味いのは、観光客に写真を撮られること。
こっそりと帰らないとな……。
ばさばさ、と鳥が飛び立った。
ファルが小さく嘶いて、先を促す。
水浴びをしていってもいいけど……うん、でも。ハヤク帰ろう。
冷たい水でペイントを落とすと。
水に反射して色味を変えた目が、二つ。
こちらを見据えていた。
笑う。
まるで知らないヒトみたいだ。
ちっとも馴染んだ顔をしていない。
長く伸びた髪が纏わりつく。
―――――髪。切ってもらおうっと。
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